第2話

 その日帰宅すると、80歳になる祖父の陽彩乃安国ひいろのやすくにがテレビをぼんやり視ていた。彼は高血圧による軽い脳溢血で倒れてから家を出ることは滅多になくなり、テレビを視たり本を読んだり、あるいはネット上の誰かとチェスや囲碁といったゲームをしてばかりいた。世那が子供のころにはすべての家事を彼が行ってくれたが、それらは徐々に世那のもとに移行していて、今、彼が家事をすることは全くない。いや、彼女自身、祖父にそれをさせるつもりはなかった。


「すぐに食事にするわね」


 話しかけながらキッチンロボットに指示を出す。祖父の胃にも優しいかゆと煮物、デザートにはプリン。経済的には余裕がないので、それだけだ。


 安国のうつろな視線が世那の横顔をめてテレビ画面に戻った。


 ――チーン――


 電子音が鳴りキッチンロボットのハッチが開く。料理と共にスマホに請求書が届いていた。


「了解」


 請求書のボタンをタップ、支払いに回す。料理を取り、テーブルに並べて祖父を呼んだ。


「あぁ」


 彼は力なく応じて食卓に移動した。


 食事をしながら、次の休みの日にデートに出かけると告げると、彼はまなじりをつり上げた。


「私を放っておくのか?」


「お昼の準備はしておくから。仕事の日と同じよ」


「デートは認めん。もちろん結婚もだ」


「結婚なんて考えていないわよ。ただ、彼が資格を取ったらデートをすると約束したから」


「そんなことで……。この、尻軽女!」


「おじいちゃん……」この、わからずや!……胸の内で非難し、話すのを止めた。


 結局、ぎくしゃくした雰囲気のまま、休日の朝を迎えた。安国が反対していると、レンにデートを断ることはできた。が、そうはしなかった。心のどこかで、彼に魅かれているのは間違いなかった。


 世那が目覚めた時、安国は家にいなかった。顔をあわせたくなかったのだろう。動きにくい身体を動かし、どこかに散歩に行ったようだ。


「おじいちゃん、どこにいるの?」


 電話をすると『散歩だ、昼までには帰る』と返事があった。


「帰り道はわかるの?」


『ボケ老人扱いするな』


 その声に穏やかなものを覚え、朝食と昼食をテーブルに並べてデートに出かけることにした。


 うっかり約束したのだから。五つも年下だし。……頭の中で言い訳を繰り返して嫌々感を膨らませたが、洋服を選ぶ気持ちはいつになく躍っていた。


 デートって、どこに行くつもりなのかしら?……水着の話は出なかったから海はないだろう。もちろん、登山もないわね。車は持っていないはずだから、ドライブもない。……映画館、水族館、動物園、植物園、遊園地、博物館、美術館、レストラン、展望台、公園……、様々な行先を思い描き、そのたびに衣装を選びなおした。


 ホテル!……ひとつの単語が浮かんだ時、頬が燃えた。ぶるぶると頭を振る。……最初のデートでそれはないわ。第一彼は子供だし、きっと、童貞よ。


 世那自身、性的な経験は多くない。いや、年齢からすれば少なすぎると言えるだろう。すべては祖父を心配させまいとしたためだった。彼は昔から、世那が男性と付き合うのをひどく嫌うのだ。


 暦の上では秋だけれど、そんなものはずっと昔になくなってしまったらしい。晩夏というのがふさわしい。まだ気温が高いので薄手のワンピースを選んだ。ずいぶん昔に買った少し幼いデザインだけれど、レンの年齢を考えれば、それがいいと思った。


 普段は身につけないネックレスとブレスレットをすることにして、ベッドに広げたワンピースの上に置いてみる。


 無意識の内に、彼にふさわしい女性を演じようとしていた。

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