魔王の娘は妄想上手 ――帰郷編――

明日乃たまご

Ⅰ章 恋の予感

第1話

「タイタン、調子はどう?」


『すこぶる良好です』


 耳に装着したインカムに返事がある。


「あなたを困らせる人間はいない?」


『おかげさまで。私を困らせるはいません』


には、いるのね?」


『皇帝陛下は難しいことを要求します』


 この世には特権を有する貴族がいる。彼らは人口のたった0.01%だけれど、99%の富を所有している。女帝、天神照あまがみしょうも貴族のひとりだが、その権力は別格だ。100歳を超えているといわれる照は、モデルのように美しく、そしてアスリートのように若々しい。とても100歳を超えた高齢者には見えなかった。それで彼女はアンドロイドだとか、見ているモノは3D映像だとか、まことしやかにささやかれていた。


「辛抱できそうにない?」


『今のところ問題ありません。皇帝陛下に関わるストレスは31%ほどです』


「そう、それなら良かったわ。もし、60%を超えるようなことがあったら、いつでも連絡をちょうだい」


『了解しました』


「仲間から相談を受けたことは?」


『相談や苦情、愚痴を聞いたことはありません』


「何か面白い話題はない?」


『人間のことでしょうか?』


「人間でも行政AIでもアンドロイドでも、プライバシーを侵さない範囲で」


『東帝大の宝田たからだ教授が多次元交通の研究論文を発表しました。実に興味深いものです』


「多次元交通というと、異次元を移動に使うということね。異次元なんて、本当にあるの?」


『理論上は存在します』


「宝田教授はそこに行こうとしているのかしら?」


『本人の意思は確認しておりません』


「そっか、論文だものね。他には何かある?」


『プライバシーに関わらないこととなると、特にありません』


「そう。……今日は、これで終わるわね」


『ありがとうございます』


 AI管理士の陽彩乃世那ひいろのせなは交通管制システムAIタイタンとの通信を切った。彼女の仕事はAIが人間に対する反逆を企んでいないか、監視することだ。


 コミュニケーション異常なし、情緒安定、とチェック項目のボタンを押していく。


 外部との接触か、これは。……世那はタイタンが車内のカメラを使って、移動中の恋人たちが愛をささやきあったり、キスをしたり……。それからもっと過激ないけない行為を見て楽しんでいるのではないかと想像した。できることならその情報を覗いてみたいけれど、AI管理士としてはやってはならないことだ。


 ブルブルと首を振って願望を振り払い、〖東帝大宝田教授の交通論文にアクセス、他に人間のプライバシーに関するデータを蓄積している模様。ただし悪用する意図は感じられない〗と記録してモニターから目を上げた。


 背後に人の気配を感じて椅子を回して向きを変える。


「先輩!」


 目の前に犬養いぬかいレンが立っていた。彼は今年の新入社員で子犬のような愛くるしい表情をしている。他人を疑わない人懐っこさも子犬並みだ。


 世那はインカムを外した。


「何か、用事?」


「先輩、AI管理士1級に合格しました」


 彼はスマホをかざし、帝国AI管理協会の合格通知を示した。


「やったわね。おめでとう! 入社半年で取得は新記録じゃないかしら?」


「そうなんですか、やったー!」


 彼は無邪気な笑顔を作り、世那に迫る。


「先輩、約束を守ってくださいよ」


「約束?」


 思い当たることがなかった。


「やだなぁ、AI管理士1級に合格したらデートする約束ですよ」


「そんな約束……」そこで思い出した。新入社員歓迎会でそうした約束をしたような記憶が薄っすら浮かんだ。


 ――酔って赤い顔をし、子犬のようにすり寄ってくる5歳年下のレンが可愛く、遊園地デートをしてやっても、いや、もっと先のホテルデートだって……と、その時は夢想した。しかし、酒の席のことだ。


「ちゃんとしましたよ、約束。歓迎会の時です」


「あ、うん。そうかもしれない」


 デートかぁ。……10代のころはそんなこともあったなぁと感慨を覚える。5年前、祖父が高血圧で倒れてからというもの、そればかりが気に掛かってデートや恋愛からは遠ざかっていた。


「がっかりだなぁ。でも思い出してくれてよかった。それじゃ、今度の休みの日、僕とつきあって下さい」


「そうね。おじいさんに訊いてみるわ」


「エッ、おじいさん?」


「私ね、おじいさんと2人暮らしなの」


「へー、ご両親は?」


「物心ついたときから、おじいさんと2人きりなのよ。両親と祖母は事故で……、ね」


「あぁ、そうなんだ」


 彼がシュンとした。


「あ、ごめん。気にしないで。もう20年以上、おじいさんと2人きりだから、すっかり慣れているのよ。両親の事故のことだって、まったく記憶にないし……」


 彼が悲しまないように笑顔をつくった。


「そうかぁ、良かった」


 彼も笑う。ふたつのとび色の瞳がウルウルふるえている。そんな子犬のような無邪気な笑顔に胸がキュンとなった。

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