第3話

 待ち合わせたのはS駅の忠犬ハッチのブロンズ像の前だった。それをいつ、誰が作ったのか誰も知らない。ただ恋人たちの待ち合わせ場所としての知名度は抜群だった。


 Sは古い町でスクラップ・アンド・ビルドが有機体のように続いていた。ただ、それは成長ではなく老化のようで、古い高層ビルはつたこけにおおわれてくすんで見えた。


 あちらこちらから重機がコンクリートを粉砕する音が雷鳴のように轟いている。鉄骨を組み立てる音は板金工場内にでもいるようだ。どんなに街が古びて騒音がひどくても、そこは伝統に反発する若者の隠れ家のような店舗が多く、通りから若者の流れが絶えることはなかった。


 世那は待ち合わせ時間前に駅前の広場に着いた。


 ブロンズ像の前、すでに彼はいた。職場でとは違う洒落しゃれたジャケットを羽織っていた。どこか不安げな瞳で行きかう女性の姿をキョロキョロと追っていた。


「おはよう、美人が沢山ね。気に入ったは見つかった?」


 そう言いながら街路樹の陰から飛び出した。


「アッ、おはようございます。先輩を探していたんですよぉ」


「そうなのかなぁ」


 彼をからかって楽しんだ。


「僕が浮気するはずないじゃないですかぁ。僕が好きなのは先輩だけです」


「浮気って……」まだ付き合ってもいないのにキモイ。でも、好きだとストレートに言われるのは嬉しい。


「それじゃあ、行きましょう」


 彼はこちらの気持ちなど忖度しなかった。何事もなかったようにスクランブル交差点に向かって歩き出した。


 意外と強引な性格なのかもしれない。そんなところに〝おとこ〟を感じた。背の高い彼に遅れないように脚を進めた。


 工事が行われているビルから蝉しぐれのように降り注ぐ騒音の中、2人は長い坂を上った。いつのまにかレンは世那の手を握っていた。そのさりげなさを世那は歓迎した。


「どこに行くの?」


「エッ?」


 質問は工事の音にかき消され、彼が頭を寄せてくる。安っぽい整髪料の香がした。


「どこに行くの?」


「すぐそこですよ」


 彼が工事中のビルを指した。古いビルを解体しているらしい。15階ぐらいの場所で鉄骨がむき出しになっている。それを切断する青い光がチラチラ煌めき、ワイヤーロープをぶら下げたクレーンが旋回していた。


 工事現場でデート? まさか、日雇い労働で日銭を稼ぐとか? それを元手に贅沢ぜいたくデート? でも困ったわ。力仕事ができる格好じゃないし。……妄想している間に工事現場の前を通り過ぎていく。


 あら?……拍子抜けした。その時、目に留まったのは異国の教会……。


 結婚式をあげようというの? なんて強引な!……驚きながらも嫌な気持ちはしなかった。とはいえ、結婚するには早すぎる!


「まだ早いわよ」


 言いながら、自分のウエディングドレス姿を想像していた。


「僕は早く奪ってほしいんだ」


「奪う?」


 理解できず、改めて見て気づいた。高い塀をくりぬいたようなアーチ形の門の脇に〖休憩pm4時まで××××円〗というネオンサインが薄く点滅している。


「エッ、ラブホ!」


 声をあげたのは失望したからではない。衣装を選んだ時の予想が的中したのに驚いたのだ。


 彼は足を止めなかった。捕らえた獲物を逃がすまいというように、世那の手を握る指に力がこもった。


「デートです。ここ、……食事も美味しいぃぃ、らしいぃぃぃ」


 言い訳する声が震え、世那を見る目が血走っていた。


「最上階の特別室を予約してあるんです。昼食も豪華ですよ。絶対、お勧めです」


 彼はNOと言わせまいというように、アーチをくぐってズンズン進んだ。


 特別室? 変態プレーをするのかしら? まさか、彼は童貞じゃない? もしかしたら上級者? 危ないわ。でも、ホテルに入るのを拒んだら彼は傷つく。場合によっては狂って暴力に及ぶかもしれない。そうして警察沙汰になったら……。そんなことで彼の明るい未来をダメにしたくない。……世那は彼の母親にでもなったような気持だった。特別室や豪華な料理、変態プレーにも興味があった。


 結局、手をひかれるままに建物の入り口をくぐった。


 ホールは教会のようなシックな外観と異なり、宮殿のような煌びやかな内装だった。床や壁は白い大理石。天井にはクリスタルが七色に光るシャンデリア。観葉植物と楽器をかなでる人物や動物の彫刻が交互に並び、奥まった場所にあるエレベーターの扉が招くように開いた。


『いらっしゃいませ』


 話したのはエレベーターか、彫刻か……、甘い音楽の一部のように流れた。

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