page17 : 全員集合……?
「なぁ聞いたか?」
「何だよ」
「グレイ先生のこと。新しい教室作ったって話」
「あ、知ってるぞそれ。なんでも
入学式から早いものでもう一週間。
今日から学園での本格的な授業が開始する。
どこかソワソワした空気が漂う中、その空気に乗ってとある情報も噂となって広がっていた。
――グレイ先生が特別教室の担当を始めた。
学園の教師たちにとっては朗報であり、生徒たちにとっては
「いいなー、俺もその教室入りたい」
「俺もだ。けど、この学園で問題なんか起こしたら……」
「あぁ、それこそグレイ先生に怒られるぜ」
「……真面目に受けるか」
「…………それがいい」
しかし、これまで積み重ねてきたグレイと生徒との信頼が、多くの生徒の無駄な行為を阻止していた。
そもそも、グレイが担当する
これまで真面目に授業を受けていた彼らとは、問題児としての次元が違う。特別教室のメンバーを聞けば、恐らくほとんどの生徒は辞退すること間違いない。
……まして、授業30分前のこの時間に、学部棟で雑談をするような
――そう、
「お姉ちゃん!起きてください!!お姉ちゃん!」
「………………フラン……か」
「今日は授業が始まる日だと言っていましたよね?!エスちゃんは随分前に部屋を出ていましたよ!」
「……はぁ、もうそんな時間なのか」
机に伏して寝ていたグレイが、フランの慌てた呼び声に目を覚ました。
なお、冒頭で彼らが噂していた時刻とほぼ同時刻の話である。
「まったく……学園の教材と言うものは何故、教師が一から作らねばいけないのか。共通の内容で行えば、楽ができると言うのに」
「文句は後ですお姉ちゃん。早く着替えてお風呂に入って……って、その格好で行くつもりじゃ無いですよね?!」
「無論、このまま行くつもりでいたが」
机から立ち上がり伸びをしたグレイ。
その格好はまさに寝起きそのもので。
乱れて絡まった長い髪、下手な体勢で寝たためにシワのついた白衣、まさに寝起きの象徴と呼べる開ききっていない瞳。ズボラにも程があるが、これがグレイの真の姿である。
生徒たちのために動き回っていた昨日までが珍しいのだ。
「――っもう!!お姉ちゃん!早くお風呂に行ってください!その間に着るものは私が持っていきます!」
「そうか。それでは頼む」
長く綺麗な髪を鬱陶しそうに払って、グレイは風呂場へと移動する。
頬を膨らませ若干プンスカしたフランは、グレイが置いていった白衣を手に取り、足早に外出の準備を始めたのだった。
――これが、授業開始時間10分前の出来事である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……お、おはよう……ございます」
恐る恐る開かれたとある教室の前扉。
「誰も……いない?」
そこは随分長い間使われていなかった物置にも近い学部棟の最奥の教室。
窓は藍色のカーテンに遮られ、若干の光のみが教室を照らし、机の上に置いてあったバインダーの金具が隙間からの濃い光を反射している。
その光景に動揺しながらも教室に入り、そのバインダーを手に取ると、放置された分のホコリが少女の顔面へと襲いかかる。
「――っコホッコホッ」
瞬間に目を瞑り、鼻と口を隠すように手で覆うも、ホコリの対処には一瞬遅く咳が出る。
その動きに合わせ、さらなるホコリが空中でダンスを始めた。
少女は急いでその場から離れ、教室脇の誰もいない廊下に退避する。少し落ち着いて来ると、開いたままの扉からほんの少しだけ顔を覗かせる。
あまりに悲惨な教室の現状に、少女は不安を募らせ手元の資料と眼前の教室番号に目を向けた。
『〜準備室(Z)』
こちらも薄汚れていて読みにくい部分があるが、確かに後から付け足された真新しい文字で
つまり、明らかな嫌がらせに近いこの教室が、これから数年間使うことになる教室なのだ。
「…………どう……しましょう」
その事実を得て、少女は困惑する。
こんな場所で、果たしてきちんとした学びが受けられるのだろうか。
その困惑は、未来への不安に変わる。
1歩後退り、埃まみれの現実から遠ざかろうとする。
「誰だお前」
「ぴぇっ!?」
突然背後から低い声。
踵が浮き上がるほど驚いた少女は、トカゲもびっくりの速さで後退した。
ドンッと壁に当たる音がして、これ以上後退出来なくなり、初めて声の主の顔を見た。
「わ、悪い……、そこまで驚かせるつもりじゃ無かった」
「…………えと」
そこに立っていたのは、(少女から見て)大柄な獣耳の少年。灰色に輝く耳としっぽは、少年の整った体と合わさり美しさを感じられる。
「俺はニコラ、ニコラ・クラークだ。グレイ先生に言われてこの教室に来たんだ」
「わ、わたっ……しは、えと、ラクエス、です」
「ラクエス?
「あ…………う……」
ニコラの純粋な疑問に、ラクエスは苦い表情で俯く。
握りしめた手は震えているのが分かる。
「おっと、ここでそういう事を聞くのはタブーだったか。悪い、気にしないでくれ。それよりラクエスはここで何を?」
ラクエスの態度に気がついたのか、それとも素なのか。
彼女が答えるより早く、話題が移り変わる。
「えと、私、も、グレイ先生の教室に……、けど、中の様子が」
ラクエスの話を聞き、ニコラはその薄暗い教室の中を覗く。
「うわっ、なんだこれ。酷い埃まみれだな。全然数年は使われて無かったんじゃないか?」
「……そ、それで、その、教室、まちがえた……のかなって」
「まぁ、これじゃ入りたくねーわな。グレイ先生が来るまでここで待機か」
教室の酷い有様に苦い顔をし、ニコラはやれやれとその部屋から遠ざかった。嗅覚にも優れた彼ら獣人にとっては、埃まみれのこの部屋はあまり良い臭いでは無い。
「お、おはよう……ございます?」
そこへ現れたのは、小さな土の精霊を連れた少年だ。
ニコラより少し背が低く、精霊以外は特に目立った特徴もない。無論、魔力量は外見通りではないのだが、ここにいる者はグレイのように精密な魔力感知は行えない。
「僕はロザーク・ジェイルです。皆さんも、グレイ先生の教室に?」
「ニコラだ。ってことはお前も?」
「はい。えっと、今日からよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げ挨拶を交わす。
恐らく、この教室では一番の真面目君となるだろう。
だが、彼の穏やかな態度に不快になるものもいない。むしろ、第一印象としてはかなりの高評価である。
「え、えと……わわ私、は、ラクエス……です」
「はい。よろしくお願いします。ところで、教室には入らないのですか?」
単純な疑問と共に、開いたままの部屋を覗き込む。
そして、その部屋の様相に動きが止まった。
「さすがに入りたくないだろ?それに、間違ってる可能性も」
「……いえ、恐らくなんですが、ここが僕らの教室で間違いないと思います」
大変申し訳なさそうな表情をしたまま、ジェイルは扉を背に振り返る。彼は、事前にグレイからこうなるであろうことを聞かされていたのだ。
「どうやら、グレイ先生は他の先生方からあまり良い評価を得られていないようです。普段は学園長の後ろ盾があり目立った事はありませんが、こういった部分で嫌がらせの可能性があると」
「なんだそれ。この学園の教師共はガキか何かか?」
彼の説明に眉をひそめ、鋭い口調で文句を言い放つニコラ。何も言わないラクエスも、その表情からはどこか怒りを感じられる。
「グレイ先生は、"大人の事情ってやつだよ"と言っていましたが、これはあんまりだと思います」
「本当に、その通りですわ!」
三人が俯く中、高らかな声で登場したのは赤髪の少女。
ヒラヒラな独自のアレンジが加えられた制服のスカートを
「あの方がどれほど優秀なお方であるか、この学園の者は微塵も理解していない!お爺様の仰った通りね」
その神々しさに困惑しつつ、その偉そうな雰囲気に飲まれない強靭なメンタルの持ち主が1人。
「誰だお前?」
ニコラである。
「私はエリスよ。グレイ先生の教室で学ぶ仲間だけれど、あなた方は1年生?」
「ああ」「はい」「は、はい」
圧倒されるがままに返事をすれば、エリスは優しげな笑みで返す。
「私は一応2年になるわ。とはいえ、この教室に年齢や過ごした歳月なんて関係ない。対等によろしくお願いするわ」
ここで偉そうに構えないのが、彼女が他の貴族主義の学生と違うところだ。普段の雰囲気と
「それじゃエリス。俺たちがこの教室に割り当てられたのは間違いじゃ無いって事か?」
「そうなるわね。この教室はお爺さ……こほん。学園長の指示で作られた場所だから取り消しはできない。けど、ここで私たちが卒業に失敗すれば、グレイ先生も居場所が無くなる。……一部の大人たちは、それを望んでいるようね」
「やっぱりろくな大人が居ないな」
「えぇ、先生は気にして居ないみたいだけれど、黙って受け入れるのは私たちが許せない。だから……」
エリスはさして大きくもない胸を張り、右手で開いた扉を叩きつけた。――バンッ。
「今から掃除を始めるわ!!この教室を、最高の教室にするのです」
それはグレイ先生のための、生徒たちによる大人へのささやかな抵抗である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「まずは換気ね。窓を全部開けて頂戴」
「僕が行ってきます」
――すうぅぅぅぅ
ジェイルは廊下で大きく息を吸い込み、埃の舞う教室へと踏み込んだ。息を止め、足早に窓際に移動し、閉じられた窓を開け放つ。
「ぷはぁぁーー。わっ、ここって植物園の目の前なんだ」
分厚い布に遮られて分からなかった窓の先の自然に、ジェイルと精霊のスカラーは目を丸くして笑い合う。
外からは爽やかな空気が流れ込む。
静かで、勉強するにはもってこいの部屋だ。
「よーしっ!一気に全部開けちゃおう!」
気合いを入れ直し、隣に続く20箇所ほどの窓を全て開け終えた。換気……と言うには少々臭いが残っているが、充満していた濁った空気は随分と改善された。
「まずは……片付けの前に、拭き掃除、……ですね」
「そうね。掃除用具は……そもそも道具が汚れていては、使い物にならないわ」
教室奥の壁に立てかけられた箒や雑巾。
それらも全て埃や泥にまみれ、残念ながら掃除用具としての役割を全うできそうにはない。
「箒程度なら私の魔法でも綺麗にできるけど、雑巾は……そこまで器用じゃないの。申し訳ないけど、捨てるしか無さそうね」
ボロボロの雑巾だったものをつまみ上げ、エリスはその激臭に鼻を抑える。水属性の魔法には泥や埃などを洗い落とす魔法も存在するが、ここまでボロボロでは効果を発揮できない。
「……あの」「お、おはようございます」
新しい掃除用の布を探さねばいけないとため息をついたエリスの元に、二人の姉妹が訪れた。
「あら、あなた達は?」
「えっと、グレイ先生に呼ばれて……」
「ってことは、私たちと同じね。私はエリスよ。見ての通り、せっかくの教室がこの有様だから、グレイ先生が来るまで掃除をしましょうと言うことになってるの」
「私はフーロ!こっちは妹の……」
「レティです」
ぺこりと頭を下げた二人の姉妹。
色鮮やかな緑と水色の髪が、エリスの眼前で揺れる。
髪の隙間から覗く耳は、普通の人間のモノ。
高度な幻術で、精霊ということは隠しているのだ。
「……姉妹、なのね。よろしくお願いするわ」
一瞬の間を隠すようにして、エリスも挨拶を交わす。
どれだけ高度な幻術であろうと、――天才には通用しないこともある。
「あ、それで……あの、良ければこれ、使って」
姉の後ろに隠れていたレティが、両手に抱えたたくさんの雑巾を差し出す。
「グレイ先生に頼まれて……えっと、たぶん、
「だと思うよ!グレイ先生、呆れた顔で笑ってたから」
それはグレイが彼女たちを学園に連れてきた日の去り際の話。ろくでもない教室が割り当てられるかもしれないからと、彼女たちに特殊な雑巾を託していた。
「これは……魔法が付与されているわね」
「グレイ先生が作ったものらしいけど、効果は使ってみてのお楽しみだって」
「なら早速使って掃除開始よ!6人もいればあっという間に終わるわ!」
服の袖をまくり、意気揚々と雑巾を受け取る。
「まずは上からね。それから汚れを拭いて、外に運び出せるものは移動させましょうか」
「道具の汚れなら魔法で落とせるよ!」
「なら、物を運ぶのは俺に任せてくれ。細かい魔法はあまり得意じゃないんだ」
そばにあった椅子を貰った雑巾でひと撫でして、軽々と片手で持ち上げてみせたのはニコラだ。身体強化以外の魔法もそれとなく使えるはずだが、物を壊さずに利用するには出力の安定性に不安がありすぎた。
使い慣れた身体強化を活かして、力仕事を進んで選ぶ。
「じゃあ、僕は窓拭きを担当しますね」
「……あ、あの……お手伝い、します」
水を入れたバケツと濡れた雑巾を手に、ジェイルとラクエスは窓際に移動する。
役割の分担も随分と素早く、皆初対面だと言うのに、その気まずさを一切感じさせない連携ぶり。
上から下に、物から床に。みるみるうちに掃除が進んで行き、始業のチャイムがなる頃には大きな深呼吸を満足に行えるほど見違えた教室に生まれ変わっていた。
窓は透明であるにも関わらず太陽の光を反射して輝いているし、歩くだけで分厚い埃が舞っていた床や机も光って見える。
その他、教室に用意されていた掃除用具や小物も、一つ一つ汚れを落とし、新品同様の姿がそこにはあった。
壊れた空箱やゴミ同然の袋も1箇所にまとめ、いつでも捨てられる状況で整理済み。
「おぉ……、これなら授業もできそうだぜ」
「終わりましたね。先生が来る前で良かったです」
生まれ変わった教室を眺め、皆各々感動の反応を示す。
「……やはり、お爺様があの方に担当を任せた生徒たちだけはあるわね…………。悔しいけど、学園長としての判断は完璧と言わざるを得ないわ」
そんな彼らの様子を、共に掃除をしながら探っていたエリスは、皆の魔法技量の高さに小声で呟いた。
学園長である祖父が、何故彼らを集め、グレイ先生という優秀な教師の授業を受けさせる場を設けたのか。
そのための
「あの
「へっ?ぐ、グレイ先生っ!!」
彼女の小声に反応したのは、いつの間にか背後に立っていたグレイ先生であった。無論、二人のやり取りが聞こえていた者はいない。
「端の教室で、どんな酷い場所かと身構えていたが……、この短時間でよくここまで掃除したな。偉いぞお前ら」
手にした名簿を頭の後ろで構えながら、左手を白衣のポケットに入れて、素直に彼らを褒める。
シワひとつ無い、真っ白の白衣を身にまとうその姿は、彼らが知っているグレイ先生その人だ。
「おはようございます!!」
「おはよう。遅くなって悪いな」
普段通り、いつも通りの遅刻。
しかし、グレイのこれまでを知らぬ彼らは、遅刻してきた事実を知る術がない。ラクエスは薄々勘づいていたものの、それを言葉にすることは無かった。
これも、数週間すれば呆れ顔と共にツッコミを入れられるようになるのだが、現時点では誰からのお咎めもない。
「出席は……わざわざ読み上げるほどの人数でもないか?まだ全員は来ていないようだが」
「……?まだいらっしゃるのですか?」
「そうだ。まぁ、顔を見せたら紹介するとしよう。それと、せっかくの初日だ。既に自己紹介は済ませているかと思うが、出席を取ろう」
残り1人、ウィンダルス家の三男、ゼクト。
初対面の反抗的な態度もあり、初日から出席するとはグレイも考えていなかった。
よって、初日の授業はこの6名――
「ティース・スペリディア・エリス」
「はい」
美しい赤髪が揺れる。
「ニコラ・クラーク」
「おう」
整った灰色の耳としっぽが同時に反応する。
「ハウネス・フーロ、ハウネス・レティ」
「はい!」「は、はい」
偽った耳と対象的な二人の返事。
「ラクエス」
「……はい」
まだ少し、遠慮の影が見え隠れする。
「ロザーク・ジェイル」
「はいっ」
聞こえの良い返事、しかしまだ緊張が見える。
同時、彼の隣のスカラーが小刻みに震えた。
「欠席は……いや、ウィンダルス・ゼクト」
――ガタッ
返事は無い。
しかし、教室の扉の横に積み上げられたゴミの山から、微かに音が聞こえた。
その音はグレイにしか聞こえていないし、グレイも特段反応することは無い。
「以上7名はこれから1年間、この教室で共に学ぶ仲間となる。それぞれの目標があり、目的があり、目指すべき結果は異なるが、……誰かと共に学ぶというのは貴重な機会だ。無理に馴れ合えと言うつもりはないが、よろしく頼むよ」
彼らの期待に満ちた瞳を見て、グレイは満足そうに目を閉じ――笑った。
「さて、授業を始めるぞ」
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