page13 : 神降ろし
「後でしっかり叱ってやるから、今は大人しくしていろ」
「……はい」
「素直でよろしい」
連れ去ったエリスを木の影に降ろし、グレイは堕神の前に立ちはだかる。
左手はいつものポケットの中。
しかし、右手には珍しく、一本の杖が握られていた。
グレイの髪に入っているのと同じ紅色で、一切の歪みを払う直線的な形。杖と言うよりも細剣に近いが、先端に埋め込まれた青く透き通る宝石には強い魔力を感じ取れる。
――神聖杖、グレイの宝具である。
「……誰ですか?私の計画を邪魔するあなたは」
「計画?あぁ、お前か。こんな脆い魔法領域を広げていたヤツは」
エリスが連れてこられたこの森は、初めから男の手によって歪められた森。広範囲に男の魔力が伸ばされ、侵入した者を惑わす。
男の言葉に従ってしまったのも、素直に後ろを着いてきたのも、そして……逃げるという
「私は教師だ。悪いが、私の生徒に手を出したヤツを野放しには出来ない」
空に浮かぶ男を睨みつける。
男は計画を邪魔されたことへの怒りと同時に、まだまだ余裕な表情で笑う。
「既に後戻りなど出来ない状況まで進みました!神は既に顕現したのです!!」
頭上からの喜声に不愉快な態度を示した堕神。
堕ちた神に味方などいない。視界に入る全てが敵。
全ての魔力を貪り食い、世界を破滅へ導かんと動き始める。
「いくら教師であろうとも、ただの生命になす術などありはしません!この世の理は通用しないのですから!」
「ならば、
「…………なんですと?」
ぴくりと男の眉が動く。
狂気に悦び舞っていた男の動きが止まる。
「悪いが、お前の話に構っている暇は無い。今はこいつを
グレイは未だ形が定まらず、魔力を欲して手を伸ばす光を睨みつけた。目は無いはずが、グレイと目が合った。
その瞬間、光が僅かに揺らぐ。
「フラン、準備はいいか?」
「私はいつでも大丈夫です!!お姉ちゃんに合わせます」
「頼りになる妹で嬉しいよ」
「えへへ。久しぶりにお姉ちゃんと
いつからそこに存在したのか。
グレイの傍らには精霊
「行くぞフラン」
「はい!」
握った杖を眼前に掲げ、ありったけの魔力を注ぎ込む。
堕神の放つ魔力に負けぬ強い光を杖が放つ。
一際強く輝いた瞬間、フランがその光に吸い込まれて杖の中に降りる。
「――時の輪を結び運命の波を交錯させる。陽は沈み、星々が導く扉を開かん」
「何をする気ですか?それに、この魔力は……」
神をも凌駕する美しい魔力の波長。
狂信的であった男も思わず息を飲む。
「――汝の名は『
「コ、ノ……チカラハ…………マサ、カッ?!」
森に集まる異質な魔力に、遂には堕神も気がついた。
「――重ねて詠う。我の名は
しかし、時は既に
「――
とある一族の伝承で、こう言ったものが存在する。
神の権能を個人で扱うことの出来る、特殊な技と才能を持った天才たちがいる。その者らは一時的に神を己の体に移し、魔力の対価として権能の行使を行う。
――
世界で見てもたった一族のみが扱える文字通り秘技。
代々一族の間で継承し、外部には一切の情報を閉ざしている。よってどの書物にも記されておらず、歴史にすら名を残さない。
――巫女
神を降ろす元となる者、神を喚ぶ詠唱を行った者を巫女と呼ぶ。一時的とはいえ
『お姉ちゃん、大丈夫ですか?』
「問題ない。久しぶりだと言うのに身体によく馴染む」
『家族の絆です!』
「ははは、嬉しそうでなによりだ」
だが、そこには例外もいる。
一族の掟を破り、私欲で魔法を行使する異端者。
半端者でありながら、歴代でも類を見ないほどの才能の持ち主。
――家族を神に堕とした極悪人。
「私はイルミス・グレイ。ただの教師だ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
左目がフランと
他に、姿は変わらない。
だが、存在力が増した。
身体が本能的に頭を下げ、平伏せざるを得ないと判断させられる。圧倒的存在感。
突如として顕れた神に、エリスと男は息をすることすら忘れて固まっていた。
「オマエ、ハ!!ナ、ナゼ……ココニ」
「お前を戻しに来たと言ったはずだ。どうした?私に頼らず
喚び出された堕神すら、真の神を前に恐れを抱く。
「……我ハ、マダ、戻ルワケニハ」
「さすが、堕ちても尚神の威厳を守るとは。だが、その未来を
喚び出したエリスの魔力を奪い、肉体を奪い、神の権能を行使し破壊の限りを尽くす
己の願望に従い破壊するその運命を、グレイは阻む。
「カラダ……ソウ、カラダサエアレバ。ヨ、ヨコ……セ」
まだ完全な顕現を果たしていない堕神は、グレイに対抗するため肉体を求める。喚び出したエリスの身体を。
「諦めの悪い心は嫌いじゃない。が、大人しく戻れ」
「させませんよ。――
ほんの少しだけ抵抗した堕神の影響を受けて、圧に屈していた男が動きを取り戻す。
せっかく喚び出した堕神を返されては適わないと、グレイの魔法発動を妨害する。
グレイだけを別の精神空間に飛ばし、その動きを封じ――
「――1.
「……?」
男が腕を伸ばした先に、誰の姿も無かった。
己が地面へ叩き落とされたと理解するまでコンマ数秒。
攻撃されたとはただの一瞬として
「ヨ……コセ、カラダ、ヲ…………カラ、カラダ」
「意志を保つための魔力が充分では無かったか。ちょうどいい。フラン、
『了解です!!お貸しできます!』
そんな男に一瞥をくれてやる時間も無い。
ただ、確定していた未来であったと、グレイは堕神から目を離さない。
「面倒だからもう喚ばれるなよ――9.
明滅する杖が緑光に染まる。
グレイが堕神へ光った杖を振るう。
瞬間――世界の理が捻じ曲がる
暫時――理が時を逆行させる
「ヤメ……ロッ!世界ヲ逸脱スル…………ナリ損ナイ、ガ」
集めた魔力が元の居場所に戻り、解けたはずの封印が復活する。地面の魔法陣に吸い込まれた光の渦は、初めから何も起こっていないとばかりに静寂を保つ。
「生命とは、無限の可能性を秘めている。いずれ、私ではない誰かが、お前らの言う理なんぞ壊してくれるさ」
その言葉は、諦めでも皮肉でも無い。
確かにグレイが信じている、
聞こえていたかは重要では無く、この場所から魔力が消えた事を確認して事態を収束させたに過ぎない。
堕神を喚び出したエリスも、与えた魔力が戻り代償との縛りが解けていた。
『お姉ちゃん、1人居なくなりました』
「逃げ足の早いヤツだ。何者かは知らないが、相当な手馴れのようだな。無理やり追うこともできるが、それは私の目的とは異なる」
『ですね。お疲れ様でしたお姉ちゃん』
「フランも、ありがとう」
――神降・解放
神としてグレイに降りていたフランが杖に宿り、長い黒髪を払った瞬間に青く澄んだ瞳へと還る。
フランの影響による圧倒的な存在感は消え去ったが、その堂々とした佇まいには美しさが残る。
「エリス、身体は大丈夫か」
「…………だ、大丈夫よ」
グレイの伸ばした手を叩き、エリスはツンとして一人で立ち上がった。しかし、先程まで動けずに倒れていたエリスは、急な立ちくらみによろける。
「わっ」
「無理はするな。激しい魔力の入れ替わりに身体が順応していないのだろう」
思わず差し出された手に捕まり、グレイ本人は笑って彼女を抱え上げた。
「ちょっと、何するの?!」
「このまま森を抜ける。暴れてもいいが、私は強いぞ」
神の権能をも使いこなしたグレイは、皮肉を混ぜてそう返した。魔法という範疇を超えた、理を曲げる強さ。
エリスは言葉につまり、大人しくグレイに抱えられる。
そうして森の出口をめざし、暗闇から解放された深い緑の合間を走り抜ける。
「あなたは、どうしてここに?」
「私は君を、私の教室に招きに来た。初めに伝えた通りだ」
「…………何も、聞かないの?」
「聞いて欲しいのか?」
聞き返したグレイの視線は、二人の行先から動かない。
起こしてしまった事態の重さと彼女の禁忌に触れる目的を理解している彼女は、またも言葉に詰まる。
「先に、私の事情を話そうか。私は、面倒なことに君らを卒業試験に合格させ無事全員が学園を卒業出来なければ、学園に居られないときた。最近の大人は頭が固くて困る。……だが、追い出されるのも困る。だから仕方なく、新クラスの担任を受け入れた」
先に口を開いたのはグレイ。
中身は大層教師とはかけ離れた、怠惰にも程がある内容で。お世辞にも立派だとは到底言えない。
「
春にしては冷たい風が二人を包む。けれど、グレイの足取りは軽い。
「誰かに話すことが正しいとは限らない。少なくとも、信用できない大人相手に、秘密を打ち明けろとは言わん。話してもらうための努力は私の仕事だ」
向かう先を見据えた彼女が、ようやくエリスの瞳を捉える。
「君は学生らしく、目標を持って日々を過ごせばいい。ただ少し、私の仕事のために協力してはくれないだろうか」
その申し出に、エリスは思わず吹き出した。
面白かったのでは無い。
「分かった……分かったわよ。そこまで言うなら仕方ないわね!わ、私が……あなたの仕事に協力してあげるわ!」
「助かるよ」
生意気な天才が、初めて他人を受け入れた瞬間。
グレイとエリスは、暗い森を抜けて広い青空の広がる緑の大地へと辿り着いた。
「まだ日は高い。急いで帰る必要も無さそうだ。とはいえ、私はまだ仕事が残っている。来週からは授業も始まるからな」
抱えていたエリスを地面に降ろし、グレイは青空を見上げ嫌そうに日差しを隠す。
暗い研究室がお気に入りの彼女に、眩しい日差しは天敵である。
「その……ぐ、グレイ先生っ!」
「どうした?」
「えと、あの…………えっと、あ、ありが……とう。助けに来てくれて」
両手でグレイの手を握ったエリスは、普段言わない言葉を頑張って口にした。
少し赤く染った頬は、世界を明るく染める太陽のせいだ。
「生徒を助けるのは、教師の仕事だ」
天才で、意地っ張りで、……2人はどこか似ていた。
――二人とも、素直じゃないですね。
その光景を見守る小さな神様は、笑い合う2人をずっと追い続けていた。
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