page14 : 一人二役

 運命とは待ってくれないもので。

 エリスの一件が終わったその日の夜、は起こった。


 正確にはやって来ただが、今回の議論はそこでは無く。


「…………何の用だ学園長ジジイ

「夜中にすみませんね。私としても唐突であったものですから、学園内に直接連れて行く訳にも行かず」

「妙な魔力の残滓が動いていると思えば……あれはこの子のものだな」

「さすがです。でしたら、私が頼みたいこともおおよそ理解していることでしょう」

「不本意だが……が関わっているんだ。放ってはおけない」


 グレイは学園長の腕の中で眠っている1人の少女に目線を落とし、僅かに声のボリュームを落としてそう付け加えた。


 音を立てず中へ入るよう目配せし、赤く染められたコートを羽織った学園長を研究室に招き入れる。すれ違いざまに触れたコートの端は、まだほんのり湿っていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 時は数刻前。

 グレイが学園を離れていた時のこと。


 日々忙しい学園長へ、一通の報せが届いていた。魔法による使い魔鳥が学園長室の扉を叩き、脚に付けられた手紙を渡す。


「国の騎士団から……ですか」


 学園長は不穏の香りを感じ取った。

 スペリディア学園は国と深い関わりがあり、そこの学園長ともなればその権力は王宮のおえらい方を遥かに凌ぐ。


 が、学園を運営する上でそんな権力より大事なものがあった。――お金だ。


 どれだけ権力を持っていようと、国が所有する金額には勝てない。まして、毎年大量の学生が入学してくる学園に対し、ほぼゼロに等しい学費で運営などできるはずもなく。


 "未来の魔法技術のため"。そういった説得文と実際に活躍する卒業生たちの実績で成り立っているのがスペリディア学園という場所である。


 学園の存続と未来ある学生の居場所を作るために、学園長はしばし国からの依頼を受けている。

 大抵の場合、それらは国が手を焼くで、要は国のための裏稼業である。


 彼が手紙を受け取り不穏だと感じたのもそのため。

 この手紙に良い報せが入っていた試しがない。


 学園長は手紙の封を解き、ただ黙って文面に視線を走らせる。


『――学園長、シュテルゲン殿

 急を要する案件のため、前置きはなしだ。

 そこより北のテライド平原の街にて、奴隷売買の密告を受けた。我が国は奴隷を禁じているのはご存知であろう。今夜、とある貴族との取引が行われるとの情報が入った。しかし、王城からでは間に合わないため、そちらでの対応を頼みたい。犯人及び組織の人員を捕縛、最悪殺害も許可する。奴隷となっている者の命が最優先だ。

 後処理については、現場に潜伏中の裏部隊が対応してくれるだろう。君の指示に従うよう命令は出している。取引の時刻は今夜20時、エテナーレの街、ネラモ家の地下

 よろしく頼む。――親愛なる友』


 手紙の内容は、やはり厄介事だ。


 奴隷の売買……、こうも直接書かれてしまっては、尚のこと断れない。


「今夜20時、直ぐの出立になりそうです」


 王家の印が押された手紙を懐にしまって、お気に入りのコートを羽織る。山積みの書類は後回しだと、重しを置いて大きく息を吐いた。


 窓からだって移動できる学園長だが、律儀に廊下を通って移動するのには理由があった。


「お出かけですか?」

「えぇ、少し席を外します。何かあった際の対応は任せました。副学長先生」

「はい。任されました」


 出入口手前で立っていたのは学園の副学長。静かで細目の彼は、眉一つ動かさず学園長の言葉に頷いた。

 まるで学園長がここへ訪れることを分かっていたよう。


「……ふむ、今はも不在ですね。遅くなりそうなので、もお願いします」

「承知しました」


 とは、学園の防衛を頼むという隠語。この学園は、学生が視えている以上に防衛設備が整っている。


 発動してしまえば、ネズミ一匹逃がさない。


 この設備を知っているのは、学園長と副学長、そして最初から視えていたグレイの三人だけである。


「では、行ってきます」


 学生が誰もいない静かな廊下で、大人の責任が手を繋ぎ合っていた。



 スペリディア学園の北には、この大陸の実に4割を占める大平原が存在する。テライド平原だ。


 果てしなく続く平らで豊かな土地は、人類の居住地として優れ、至る所に街や村がある。その平らぶりは、平原の末端から反対側に連なる山脈が高々と聳える様子を見れば実感できるだろう。


 どこにいても山脈が見えることから、アールベスタ大森林の"迷いの森"とは逆に"しるべの平地"として来る人皆に感謝されている。


 その平原を二つに分けるようにして縦断しているネール河は、そこに住む人々に更なる資源を提供している。

 何も無い平原でこれだけの資源が得られるのは、全てこの大河がもたらした恵みだ。


 そんな人々にとって必要不可欠な河に最も近い場所に存在する街が、今回学園長が呼び出された街、――貿易街エテナーレ。


 平原の最も中央に位置し、河による資源と流通も多く、国中のあらゆる資源がここへ集まると言われている。


 あながち間違いではなく、商人達の間ではこの街で店を出すことが人生最大の幸せであると称されるほどだ。


「相変わらず人の行き来が活発ですね。もう日が沈み始めていますが、この熱気は消えそうにありません」


 学園長が街に到着したのは目的の時刻より2時間ほど前。スペリディア学園と隣接する平原とはいっても、決して近いなどと表現できる距離では無い。


 一般人ならば最低でも3日はかかる。


 その距離をたった数時間で移動したと聞けば、学園長の実力も充分に伝わるというものだ。


「さて、私も目的を済ませなければ。ネモラ家は街の東の外れでしたね」


 学園長はできるだけ目立たぬよう、人の流れに合わせて姿を隠して歩く。


 人を隠すには人の中。

 これからの任務にあたり、できるだけ存在感を薄くする。


 そのまま流れに身を任せて東に抜ける。

 すると、人通りが一気に消え、大きな敷地を持つ豪邸が見えてくる。街に続く一本道の端。そこに面した銀色の柵と二人の門番。


 奥の邸宅には明かりが灯る。


 至って普通の貴族様の家だ。

――あくまで表向きはの話。


(取引の時刻まで、まだ少し時間があります。今のうちに周囲の調査をして……)


 取引が行われなければ現行犯での捕縛は不可。それまであまり事を荒立てたくはない。


 侵入するにしても、正面から堂々と突破するのは避けるべきだ。幸い建物の入口はここからでも確認できる。あまり不用意に近づかず、動きがあるまでどこかに隠れておきたい。


 そう考えた直後のこと。


 不穏な魔力の揺らぎが、邸宅の背後から不自然な拡がりを見せる。感じ取れたのは学園長だけ。


 門番は少しの動きも見せていない。


 学園長は黙ったまま、そっとその場を離れ邸宅の裏側へと走ることに。


 大体の魔力の場所を把握したが、学園長は自嘲気味に夜空に視線を向ける。


、全てでしょうね)


 それは英雄になることを諦めた、己の生き方に対する戒めの言葉でもあった。



 学園長が向かった邸宅の先では、悲惨な光景が今なお更新され続けていた。


「ひっ、ひひひっ、まだまだ足りない……」

「や……め…………」

「やめて?お前らがオレにした仕打ちを忘れたのかよ!見ろ、この痛々しい傷痕!歳差も体格差もある少女に向けて、お前らはその拳を振るったんだぞ!!」


 爆発でもあったのかと思われるほど荒れた大地。

 粉々になった馬車。


 手錠を付けられボロボロの服で泣き喚く子どもや女性たち。


 腕が切り落とされ、泣いて謝る傭兵。


 そこに迫る、。その様子を見て大仰に笑う1人の少女。


 瞳は紅く染まり、乱れた髪は魔力の影響を受けて逆だっている。


「同じ痛みじゃ復讐にはならないよなぁ。エスの心に傷をつけた分は、お前の命で償って貰うぜ」


 少女が命じると、剣を持った死体が片手を失った傭兵に剣を振り下ろし――


「――茨の大盾エカーシルト


 学園長の魔法が剣の軌道を押さえる。

 盾から伸びる茨に遮られて動きを止めた死体の無防備な腹に右手を押さえつけ、そこから眩い光を放つ。


「――浄化の光セインティエーション


 闇の魔力を払う光の魔法が、死体にかけられた魔力を解く。動力源を失った死体は力なくその場に崩れ落ちた。


「……ラクエスさん、でしたね」


 傭兵を助けた学園長は、死体を操る張本人に目を向ける。


「誰だ?お前」


 お楽しみを妨害された少女は学園長に鋭い視線を返す。そこには小さな苛立ちと驚きが見える。


「私はスペリディア学園の学園長をしています。あなたの事も存じていますよ。ラクエスさん」

「……学園長、ね。エスの記憶にも僅かだが覚えがある。学園のお偉いさんがこんな場所に何の用だ?」

を捕まえるためです。そして、禁じられている奴隷たちを解放することも目的のひとつです。ラクエスさん、当然あなたも」


 その、奴隷服を着た少女――ラクエスの瞳を真っ直ぐに見つめる。


 学園入学時の個人情報では、彼女は奴隷の身分だと書かれていた。彼らの動きと壊れた馬車を見る限り、彼女は今回ものよう。


「しかし……私の知る情報では、あなたは大人しく寡黙な性格だと聞いていました。どうやら見当違いの情報だったようです」

「あぁ?そりゃ違わねぇ。エスこいつは寡黙で、泣き虫で、他人と関わることが苦手な臆病者だ。オレ様がいなけりゃ、やり返すことも出来ない弱者だ」

「では、は誰でしょう」


 違和感のある会話。

 だが、とある情報を付け加えるだけで、それは納得のいく会話へと変化する。


「オレに名前なんざねぇが……そうだな、オレは。エスが己の身を守るために生み出した、だ」


 スペリディア学園1年生ラクエス。

 彼女は一人で二人。――二重人格者であった。

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