page12 : カミ堕とし

 ガサ……パキッ……カサ…………


 森の静けさが踏みしめる足音を強調する。

 緊張も相まってどこか不快感を纏う。


 天気は晴れのはずなのに、その場所に、日差しの美しさは微塵も感じられない。


 春先で落ち葉が覆う地面も、蠢く木々の異様さも、全てが彼女の不安を掻き立てる。


 前方を進む男の歩は悠然として、足取りに一切の淀みがない。この場において淀みが無いことは、それ自体が異常であることを示す。


 不自然と共にある。

 不自然に自然と溶け込む。


 彼が一体何者で、どこへ連れていこうとしているのか。心の不安は大きくなるばかりだと言うのに、彼女の足はそれでも彼のあとを追う。


「もう少しです。離れると危険ですから、、目を離してはいけません」


 歪さが幾重にも重なり合い、絶妙なバランスで形を保っている。そんな場所でもし、


 エリスという一人のが崩れる。


「……まだ、ですか」

「もう着きました。こちらです」


 暗い森の中に、ひっそりと佇む石碑があった。

 適当な岩を削られてできた簡易的なそれと、真下の地面に埋め込まれている魔法陣の描かれた石床。


 石碑には短い文字が彫られている。


『汝は神を信じるか』


 たったこれだけ。

 何を目的に作られたものか、使用用途すら分からない。あるのは一様にして歪な不気味さだけ。


「ここはかつて、偉大なる神を信仰していた集落があったのです。さほど大きな集落ではなく、貧しいながらも自給自足で日々を乗り越えていた閉鎖的な集落です」


 よくよく辺りを見渡すと、確かに人工物の跡と思わしき瓦礫が木の根と落ち葉に隠れているのが見て取れる。


「ある年、集落は大変な飢饉に苛まれました。自給自足で成り立っていた集落は、たくさんの死者が出ました。このままでは滅びてしまう。人間とは愚かであり、ある意味でとても賢き種族。彼らは己の集落の危機に、賢くも愚かに神にすがりました」


 男はいつの間にか手に持っていた杖を、石畳の上に叩きつける。


「――神降ろしの術。彼らは神を降ろし、祈り、願いました。我らをお救い下さい……とね」


 仮面の下で、男は笑う。


「どうでしょう!!神の権能を扱えるこの力!貴方様の求める力を、手に入れられるのでは無いですか」

「それを私に教えたのは何故?あなたの目的は?」

「私の目的はただ一つ、神をその目で見ることです!」


 笑ったまま、そう口にした。


「我らは神の権能を利用する術を持ちながら、なぜ頑なに事実を隠すのでしょう!!なぜ、彼らは我々に試練を与えるのでしょうか!!」


 仰々しく手を広げ、男は狂気の叫びを森に響かせる。


「一度、直接尋ねてみたくなりました」


 そして静かに、ただ静かにそう続けた。


「……だったら、自分で降ろしたらいいじゃない」

「それは無理なのです。貴方様が初めに仰った通り、私はです。私の魔力では、この術を起動することは出来ませんでした」

「私ならできると?」

「えぇ、その素晴らしい完璧な魔力があれば、彼らもこちらの呼び掛けに応えることでしょう」


 男の黒く底の見えない瞳がエリスの深淵こころを覗く。己の中に入られたような強い不快感を覚えつつ、彼女は目的の術が手に入るこの状況を受け入れていた。


 彼女は既に――男の術中に堕ちている。


「いいわ。ただし、私の邪魔はしないでくれる?近くにいられるだけでも気が散る」

「えぇ、勿論です。私はあちらの影から様子を見守っております」


 右手を胸の前に出し、男は丁寧なお辞儀をする。

 洗礼された動きと、見透かしたような瞳。


 杖をくるりとまわし、男はエリスの視界から消える。


(……たとえ騙されていたとしても、試す価値はある。蘇り、命の復活。私は――


 魔法陣に手のひらを掲げ、彼女は皮肉にも笑った。


 命を創り、世界を創った神に、神の理想とする理に背き、あまつさえ死者復活という神そのものに禁忌を犯させようとしているのだ。


 その代償がどれほどのものか、エリスはとうに理解していた。それでも、など、エリスにとってないも同然。


 意識を己の魔力に集中し、足元に魔力を落とす。

 それに反応し、魔法陣が紫に染まる。そして、その光が文字となり、エリスの眼前に浮かび上がった。


「魔法文字?……詠唱しろってことね。良いわ」


 "我、神を冒涜せし咎人なり。その身に罰を、その魂に浄化を。先の道を捧げ、唯一の願いを聴きたまえ"


「――偽りの信仰イミテーション


 エリスがそう唱えると、その魔法陣が吸った魔力を解放する。強烈な風と膨大な魔力が、当たり一体に吹き荒れる。


「……くっ!!」


 目の前で形を変える魔力に耐える。

 全身に魔力を纏わせるも、吹き荒れる風が彼女の魔力を奪い取る。辛うじて立っていられるのは、彼女の単純な身体能力の高さ故である。


「…………な、に……あれ」


 そうして創られたそれに、エリスは呆然と立ち尽くし言葉を無くす。


 詠唱と、魔法名で気がつくべきだった。


――、それは、では無い。


「これは……コレは!!素晴らしい!!!まさか、本当に完成させてしまうとは!!」


 男は叫ぶ。

 両手を広げて、狂喜乱舞する。


『wtSノnmrヲサmtGeRmノハ――ダレダ」


 その音は、声は、魔力は、彼女の足を止め、存在力に圧倒されるに申し分ない何者かであった。

 聞き取れない言葉が形を帯びて、耳を塞げど響く声が、心臓の奥深くまで入り込む。


「ワタシをオコシタバツ……、卑シキ神ガ創リシコマ。ソノツミ、命ヒトツデハタリヌ」


 魔力の光が手を伸ばす。

 カタチ無き姿が彼女を喰らおうと手を伸ばす。


「あぁ、美しき存在よ!!その力、存分に奮っていただきましょう!!」


 いつの間にか、男は木の上に立ち、彼女と光の渦を見下ろしていた。エリスは動かぬ足を引きずるように、何とか光から逃げようともがく。


「おや、貴方様は……結局、死にたく無いともがくのですね。あれだけ、心底世界との未練を断ち切った様子でしたのに……ですが、その後悔も飲まれてしまうのですよ」


 彼女は空を見上げ、手を伸ばす。

 男は笑って、そうしてふと思い出した。


「あぁ、言い忘れていましたね。その存在こそ、貴方様の求める神。いえ、正確には神を冒涜した神――堕神。神でありながら神を穢し、悪魔へと堕ちた存在ですよ」


 訴えかける瞳を前に、男は仰々しくも正しい説明をする。


「神を降ろすには、お前のような卑しい人間ではダメなのですよ。しかし、堕ちた神ならば違う。汚れた魂も、魔力も、その全てを捧げ、姿を現すことができるのです!ですから……」


 口元の歪みが、彼女の願いを打ち砕く。


「その腐った人生を、私の欲望のために使いなさい」


「……な、……んで」


 エリスは呟く。

 目からは涙が溢れ、悔しさに頬を伝う。


「なぜ?それはお前が一番よく理解しているでしょう。死んだ友を蘇らせる、神を穢す行い!!禁忌だと知りながら、魂をもて遊ぼうとした罪!!私には理解しかねます。しかし、私は目的のためにならば悪人だろうと利用しますよ」


 彼女の罪は、彼女自身が最もよく理解していた。

 だからこそ、悔しかった。


 その罪を、友の命を、自身の願いを、見知らぬ男の願いに利用されたその事実が。全ては彼女が背負うべきモノで、全て彼女のモノなのだ。


「わ……たし、は…………」

「ん?」

「まだ、……お前なんかに…………負け……な」

「抵抗するといいです!その方が、長く苦しむその絵こそ!私の求める至高の――」


 堕神の魔力の影響で昼間だと言うのに暗い。

 まるで夜空のような、闇に包まれている。


 男は灯る闇の魔力に手を広げ、大いに喜ぶ。


――そして


「そうだ。君はまだ、


 彼女の目の前で、白と紫の魔力が弾けた。


 同時に、エリスの身体が持ち上げられ、光の手から遠ざけられる。


「……せ、んせ……い?」

「一応、私のことを教師と認識してくれているようで安心した。しばらく身体が動かないだろうが、それは自業自得だと理解しているな」


 暗闇に白衣が目立つ。

 彼女を助けたのは、彼女の担任――グレイだった。

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