page11 : 学園長の策略

――春眠暁を覚えず。


 春の夜は眠り心地がよく、朝が来たことに気づけずつい寝過ごしてしまうという意味の言葉である。


 現在、学園も心地の良い春真っ只中。

 外は晴天で、春らしく色とりどりの花々が世界を鮮やかに染めている。風に舞って花びらが飛ぶ景色は、今の時期限定の貴重なものと言える。


 こんな日は、景色を楽しみながらお花見でもどうかと提案したいところだ。


 眠たいからと言って、ずっと屋内に引きこもっていては勿体ない。


 ……そう、


「おね……ん……」

「…………」

「お姉ちゃん!!」

「……もう少し寝かせてくれ」

「もうお昼ですよ!!」


 太陽から隔離された暗い部屋で、昼過ぎまで眠っていていいわけが無い。いや、大の大人が昼まで寝ているのは、春以前にどうかと思う。


「今日は貴重な休日だ……、昨日は大変だったんだ」

「ダメです!!そう言って、いつも夕方まで寝ているでしょう!お姉ちゃんの生活リズムは、私が守ります!」


 意思の硬い妹――イルミス・フランは、掛け布団を奪い取りカーテンを開けて――実に手際良く怠惰の元を取り去っていく。


 容赦なく降り注ぐ昼の日差しに、グレイの脳みそは堪らず覚醒を促してしまう。


「……はぁ、分かった。おはようフラン」

「おはようございます!お姉ちゃん」


 抵抗を諦めて体を起こす。

 なお、今日この時間にフランが起こしに来ることまで、グレイのである。


 目が合ったフランへと挨拶をすれば、憂鬱な気分を浄化する、爽やかな笑顔を乗せた挨拶が返ってくるのだった。



「お姉ちゃん、今日は予定がないのですか?」

「ない――と言いたいが、残念ながらある。少し図書室にな」

「図書……?お姉ちゃんが知らない書物が存在するのですか?」


 白いティーカップに透き通った紅色の液体を注ぐ。

 こぽこぽと小気味良い音を立て、爽やかな香りの紅茶が白いカップを紅く染める。


 いつもの眠気覚ましの飲み物を切らしていたため、仕方なく手元にあった高そうな茶葉を入れた。


――フランの疑問は、姉への過大評価などでは無い。


「日々更新される魔法の技術や、趣味に近い架空の物語など、私一人では追いつけない速度で世の中は回っている。でも、全ての書物を網羅している訳ではないさ。とはいえ、目的は書物じゃない」


 グレイはテーブル上の名簿に視線を落とす。


「所在不明、不登校、――。問題児の手がかりを探しに行く」

「……?手がかり、ですか?」

「優秀故に、授業を受けない。そんな生徒でも、その知識を更新するにはある程度の書物が必要になる。所在が不明でも、学園に所属しているならばあの場所を利用しない手はない」


 外部の研究者や魔法使いにとって、学園の図書室はまさに宝庫である。

 国中のありとあらゆる書物が集まり、自由に閲覧できる場所など、世界中を探しても数える程しか存在しない。


 成績優秀と謳われる天才がその存在を知らない訳もなく、学園に人が少ない休日の図書室にの手がかりを求めて訪れる予定であるらしい。


「優秀なのに、授業に出ていないのですか?」

「優秀出ていないんだ。教える側の知識よりも持っている知識量が遥かに上回っていれば、授業など聞くだけ無駄だ」

「で、でも、学生……ですよね?学園の優秀な先生方より知識があっても、魔法技術は――」

「残念ながら、彼女は言葉通り。秀才と噂されるだけの実力を持っている」


 グレイはため息を吐き、その名簿に記載された名前を眺め、再度深いため息を吐いた。


――ティース・・エリス。


 スペリディアの名前から察せる通り、彼女はこの学園の学園長――ティース・スペリディア・シュテルゲンの孫娘である。


学園長ジジイ、初めからこれが目的か」


 悪態をついても遅い。隙を見せた方が負ける。

 どこまでも侮れない学園長である。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


 スペリディア魔法学園には様々な施設がある。

 学部棟や医務室だけでなく、植物管理棟や魔獣飼育棟、実験室や訓練場など、魔法を研究する上で欠かせない施設は全て揃っている。さらには食堂や図書室など、学生を支援する施設はどれも一級品。


 中でも図書室は群を抜いて規模が大きく、国中全ての書物が集まっているとさえ噂される。


 それもそのはずで、実に五千人以上もの関係者が行き来する学部棟と同じ大きさの建物ほぼ全てが図書室なのだ。


 図書と呼ぶにはあまりに大きい。

 大図書館である。


 調べ物をする人、本を借りる人、読書を楽しむ人。

 規模に似合う人の出入りが激しい場所だ。


「さすがに、この時間となれば人はほとんど居ない」


 時刻はちょうど昼時。

 食堂の入りが激しくなるこの時間、対する大図書館は人の出入りが減る。


「さて、いるかどうかも分からない相手を、それもこの中から一人を探すなど、正直無謀……」


 大図書館をおとずれたグレイは、見上げるほど高い天井とその空間を埋め尽くさんとする大量の書物に気が滅入りそうになる。


 だが、その感情は杞憂で終わる。


「あれだな」


 何人か生徒がその部屋を利用しているが、明らかに一人、とてつもない魔力を振りまいている少女がいた。


 魔力に敏感なグレイには、少し意識を向けるだけで存分に感じ取ることが出来る。


(外部に漏れ出すほどの魔力量。それを暴走させずに利用する技量。なるほど、学園の教師が投げ出すわけだ)


 その魔力を頼りに、特大の魔力を持つ少女に近づいていく。場所は二階の端。


「儀式魔法……か。神降ろしに大規模魔法、――


 儀式魔法についての本が並ぶそこに、彼女はいた。


 赤く長い、美しい髪。澄んだ青い瞳。

 片手でページを捲り、乱れた髪を耳にかける仕草ひとつをとっても随分と様になる。


――紅の魔女


 彼女を表現する学園の噂も、それなりに的を得ている。

 きっと、彼女を相手にした者は全員、その美貌と圧倒的実力差にそう口にせざるを得なかったのだろう。


「誰?」


 グレイの存在に気がついた彼女が、威圧的な口調で問いかける。


「私はグレイ、ただの教師だ」

「……ふーん。で、なに?」


 会話をする気はないらしい。

 彼女の素っ気ない態度にグレイは苦笑する。


「随分と難しい魔法書を読んでいる。神降ろしの術、神聖術、神術。教会のシスターでも目指しているのか」

「あなたには関係ないでしょ。邪魔するなら消えて」

「私は君を、教室へ招きに来た」

「断るわ」


 即答。

 彼女の返答からは、諦めの感情が伺える。


「私は、私より優秀な人からしか学ばない。今まで声をかけてきた大人たちは、みんな私より弱かった」


――パタリ


 本を閉じた音が余裕の無い心の内を大きく魅せる。

 顔を上げ、グレイの瞳と交差する瞳は、で。


「私は私だけの力で、エリ……私を救ってみせる」


 閉じた本を元に戻し、グレイの横を通り過ぎてエリスはその場を去った。


 呼び止めることも、説得することもせず、グレイはただ、彼女のいたその場所を、黙って


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「あーあ、あそこなら見つかると思ったのに」


 少女は学園の敷地を進む。

 視線は前に、足を止める気配もない。目的地は既に決まっていた。


「初めから学園ここに期待なんてしていなかったけど。せめて、歴史に少しくらい記述があってもいいじゃない」


 先程まで読み漁っていた図書室では、彼女の求める知識は得られなかった。その一端でもと考えての詮索だったが、指先ひとつかすりもしなかった。


 まるで、誰かが意図的にその歴史を隠蔽しているかのように。


「完全に無駄足だったわ。早く研究室に戻ろう」


 彼女の居場所はここには無い。


 逸脱した才能が恐怖を生み出すことくらい理解していた。他人から怖がられるのにももう慣れた。


 彼女、ティース・スペリディア・エリスは天才である。


 無駄に大きな壁と、大きな扉で構成された校門を通り抜け、エリスは学園の外に出る。


 彼女の居場所は外にある。


「貴方様は特別ですね」

「……誰?また勧誘?」


 門を抜けたところに待ち伏せされていた。

 エリスが問いかけると、全身真っ黒のコートに白い仮面を付けた怪しげな男がエリスに近づいてきた。


「勧誘なら断るわ。第一、勧誘するならその格好はなに?そんな怪しい装いの相手の誘いに乗るわけないでしょ」


 唯一分かるのは黒髪であること。

 種族も、何者なのかも不明。


 怪しさを具現化したような男である。


「それに、あなた……とても弱そう。私、私より弱い人と関わる気は無いわ」

「そのようですね。私は貴方様よりとても弱い。ですが、貴方様のを教えて差し上げることができます」

「………………。おかしな冗談を言うのね」


 エリスの求めている知識。

 学園の大図書館にさえ記述の無かった内容。


 それを、このような妖しげな男が知っている?

 有り得ない。嘘に違いない。


「騙す相手を間違えたわね。詐欺なら別でやってくれる?」

「いいえ、この取引は貴方様相手で間違いありません」

「鬱陶しい!!私が大人しく我慢しているうちに、さっさと消えて――」

「――っ」

「えぇえぇ、分かっております。死者蘇生は、死者の魂に干渉することは古来より禁じられた禁断の術。神を冒涜せんとするその術に、私は心当たりがあるのです!!」


 その言葉には、頑なに拒んでいたエリスも反応せざるを得ない。――なぜ、こいつが知っているのか。


「ここで立ち話もなんですから、ぜひ、私と共に来ていただけませんか。大丈夫です。知識について、知っていることは全てお話します。取引はその後にでも」

「…………話を聞くだけよ」

「そうですか!さすが、禁忌の魔法を求めている者は違いますねぇ!さぁ、ご案内します。――最高の未来をお届けできますよ、きっと」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る