page10 : 親友はいつもそばに

「……うっ、頭が痛い。ここ、は……?」


 目を覚ましたニコラは、鋭い痛みに頭を抑えて起き上がった。ここは学園医務室のベットの上。


 窓から差し込む夕日が、実に6時間以上眠っていたことを示唆している。


「無理に起きなくて大丈夫ですよ。おはようございます」


 医務室にはメリー先生1人。

 起き上がったニコラに気が付き、柔らかな表情で挨拶する。机の上には大量の資料が置いてあり、朝からずっと作業をしていたことが伺える。


「先程までグレイ先生と生徒さんたちもいたのですが、先に目を覚ました生徒さんを連れて出て行ってしまいました。グレイ先生がため息をついていましたけど、喧嘩でもしたのですか?」

「けん……か。あぁ、確か俺、あいつらに……うっ」

「まだ痛むようですね。明日までは安静にしていてください」


 度々の頭痛に頭を抑えて、ニコラは苦い顔をする。

 我に返った彼は、毎回抑えられなかった怒りを悔やんでいた。あの力を使いたくはないし、傷つけたくもない。


 だがそれは、彼のが本能的に彼のストレスを解消するために引き起こす。


 それを理解し、ニコラは他人と極力関わらないようにしているのだった。


――くしゃ


「てがみ……?」


 ふと、ニコラは手元に置かれていた一通の手紙に気がつく。小綺麗な封筒には、可愛らしい字でこう書かれていた。


『ニコラへ』


 どこか見覚えのあるその字に、ニコラは手紙を手に取る。顔に近づけると、覚えのある懐かしい香りがする。


「それは、グレイ先生が置いていった手紙です。あなた宛てみたいです。彼女が言うには、だそうです」

「――っ、まさか」


 メリー先生の言葉を聞いて、ニコラは慌てた様子で手紙に視線を落とす。丁寧に手紙の封を開けると、中には一枚の手紙が折りたたんで入っていた。


「……これ、コノリの実の」


 そこで、匂いの正体を知る。

 封を閉じていたものの正体。獣人族がよく張り紙の貼り付けなどに使う、粘着性のある液体。


 時間が経つと固まる性質があり、道具以外で料理に使われることもある。人には無臭に近いが、鼻のきく獣人には微かな優しい香りがすると言う。


に、良く実をつけていたな」


 ニコラは封の空いた手紙をしばらく眺め、その後手紙を開いて中を読み始めた。



『――ニコラへ

 リーナです。元気にしてる?私は元気だよ!今日ね、学園の先生が私に訪ねて来たんだ。凄くかっこいいお姉さんと、白い狐の先生!ニコラが大変そうだから応援してあげてって。学園の先生って、すごく優しいんだね!

 それでね、本当はニコラが学園に行く日に話しておくつもりだったけど、お母さん達に止められて言えなかったから、ここで話すね。私も、学園に入学したい!ニコラと一緒に勉強したいんだ!だから、私も頑張って、この間やっと人の姿に変わる魔法を覚えたんだ!まだ不完全で、足とか手が変わらないんだけど……、でも沢山勉強してるの!

 ニコラみたいに賢くなって、また一緒に遊ぼう?

 ほんとは、たくさん話したいことあるけど、もう書ききれないや。またねニコラ!私も頑張るから、ニコラも頑張って!――リーナより』


 文面にも彼女の元気とやる気がみなぎっている。

 所々に文字が乱れているのは、人間用の文房具と便箋を使用したからだろう。獣人の大きな手では握りづらい。


「リーナ、俺、勘違いして……。ごめん、ごめんな……、今の俺じゃ、お前に合わせる顔が……」


 悔しさで溢れた雫が、手紙の端に落ちて滲む。

 リーナは決して裏切ってなどいなかった。信じてはいたが、それでも不安だった。その結果が能力の暴走。


 獣人族の誇りとも言えるその力を、人を傷つけるために使ってしまった。その変えられない事実に、ニコラは一層悔しさを募らせる。


 ニコラの身を案じ、共に学ぶために努力している彼女とは、並ぶ資格がない。


「ニコラさん。あなたはまだ、この学園で学びたいと願っていますか?」

「俺は……でも」

「ここへ入学した経緯は分かりません。ですが、ここにいるということは、あの試験を乗り越えた証拠でしょう?どれだけ力を持っていても、そう簡単な道では無かったはずです。それは、あなたがあなた自身の未来を、諦めていなかったから……違いますか?」


 メリー先生の指摘は正しい。

 そもそも、スペリディア魔法学園に入るには実技と筆記、そのどちらも合格基準を満たす必要がある。

 それは推薦と言えど変わらない。多少実技での点数に加算が入るが、それでも合格には並々ならぬ努力が必要。


 初めからその基準に達していたとすれば、それは彼がそれまで積み上げてきた努力の成果に他ならない。


 半端者の獣人でありながら、獣人としての生き方を学び続け、嫌われながらも成長し続けてきた、彼の努力の証。


――それが今、ここに立っているということだ。


「その手紙ともう一つ、グレイ先生から伝言があります」


 メリー先生は資料への記入の手を止め、ニコラの目を見てグレイ先生からの伝言を告げた。


「"教室で待っている"、だそうです。来週から始まる授業、頑張ってください」

「……メリー先生、ありがとうございました。俺、元気になったんで寮に戻ります」

「まだ休んでいて良いのですよ」

「いえ、来週までにやらないといけないことがあるんで、失礼します!」


 先程まで頭痛に頭を抱えていた少年とは思えない。ニコラは軽やかにベットから起き上がると、メリー先生の静止も聞かず医務室を飛び出して行った。


 廊下を走り去っていく彼の背中を、メリー先生は扉越しにだまって見送る。


「若い学生さんは、元気で良いですね」


 既に怪我が完治していることは診断済み。

 手元の診断書に素早くペンを走らせる。


――"異常なし"


「さすがですね。たった1日で、が完治するとは思いませんでした」


 メリー先生は、誰もいなくなったはずの扉へと話しかける。夕暮れに赤く染った廊下は、どこか神秘的な世界を映し出す。


「私は仕事をしただけだ。彼の問題は、が己の力で解決したに過ぎない」

「謙虚ですね」

「謙虚などでは無いさ。ただの、教師の仕事だよ」


 ニコラが出て行った扉の横には、グレイが壁に寄りかかって立っていた。彼が気が付かなかったのは、そういう風に仕向けただけのこと。



――数時間前。

 獣人集落ケットシュンラの入口にて。


 リーナの手紙を待つこと半時間、ティア先生とグレイの元へ、一通の手紙を持って彼女が走ってきた。


「すみません!ちょっと、色々手間取ってしまって」

「いいさ。こちらも唐突なお願いだった。その手紙は預かっておこう」


 息を切らしたリーナから手紙を受け取る。

 可愛らしい封筒には、丁寧な字で"ニコラへ"と記されている。


「あのっ、お2人は学園の先生なんですよね」

「そうだな」

「わ、私っ!私……も、学園に入りたくて、その、たくさん勉強しているんです!えと……私でも、入れるでしょうか」


 彼女は直接言わなかったが、ニコラと一緒にいたいがための決意であることは充分に伝わっていた。


「学園は……」


 その想いに、グレイは気休めの言葉はかけない。


「大変な場所だ。毎日大量の知識と新たな技術を求められ、上からは仕事を押し付けられ、同僚からは呆れた目で見られる」

「グレイ先生っ!後半はグレイ先生だけですよ?!」

「だが、学びたいと言う意思さえあれば、学園は他には無い最高の施設だ。少なくとも、教える側としてはその名声だけを求めてやって来る軟弱者より、やる気のある生徒の方が何倍も良い」


 受け取った手紙をポケットにしまい、瞳を見つめ続けるリーナに事実を告げる。


「次年度……」

「……?」

「毎年行われる学園の入学試験を受けてみるといい。なに、頭の硬い大人たちなど、学園の教師2人からのがあれば黙らせることなど容易い」

「ホントですか?!」

「無論、試験が免除される訳じゃない。入学するには、相応の努力が必要であることを忘れてはいけない」


 魔法学園には、教師による推薦制度が存在する。

 毎年、各教師にひとつずつ与えられる推薦権は、学外の才能ある者を支援するために設けられた言わば例外措置。


 推薦されたという事実は国からの栄誉賞に並ぶ名誉なことであり、それを断る者はほとんど居ない。


 要は学園に通いたくても通えない子どもや、立場上通いにくい生徒を引き入れるための、魔法の発展を追い求める学園にだから許された、頭の硬い大人への例外措置言い訳である。


「いいんですか、グレイ先生?そんな職権乱用……」

「良いも何も、この時のためにあるような制度だ。文句があるなら学園長に言って欲しいな」


 利用出来る学園長ものはいつでも利用する。

 グレイの嫌がらせ手段の一つだ。


「さて、君はどうする。後は本人の意思確認だけ――」

「お願いします!!私、頑張ります!」


 もはや確認するまでも無い。

 グレイの問いに即決するリーナ。

 やる気は充分、伝わった。


「では1年後、この推薦書を持って学園を訪れるといい」


 次はポケットから一枚の紙を取り出すグレイ。

 グレイの名が入った推薦書だ。


「……えっと、いつも持っているんですか?」

「そんな訳ないだろ。んだよ」


 ティアの驚いた反応に、グレイは笑って答える。そのまま推薦書をリーナへ手渡した。


「大変な道になるが、頑張れよ。私は学園で待っている」

「はいっ!!ありがとうございます!私、頑張ります!」


 やる気いっぱいの返事に頷き、グレイ達は少女の未来に期待を込める。


 精一杯お辞儀をした彼女と約束を交したグレイは、その日のうちに学園へと戻ってきたのだ。



――そして現在、


「迷惑をかけたな」

「迷惑ですか?私こそ、お仕事をしていただけです」

「それもそうだ。では、私はここで失礼する」

「はい。お疲れ様です」


 トレードマークの白衣を染めて、グレイは医務室から去っていく。視線の先は、彼らが進む未来への一歩である。

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