page05 : 精霊契約と儀式
アールベスタ大森林、通称――迷いの森は、精霊の集落を中心に巨大な円を描く。霧の結界によって侵入は愚か、上空からの視認すら不可能な森だが、遥か昔、300年ほど前までは
それはある意味都市伝説レベルの噂で、始まりの伝承や逸話は数しれず。しかし、真実を知る者は少ない。
そう。真実を知っていたならば、――結界を消し去ろうなどと考えるはずがないのだから。
「えっと、グレイ先生……は、この霧について、何か知っているのですか?」
「そうだな。ここには、私の友人
「友人?」
霧の奥深くを向いたまま、どこか寂しそうな表情をするグレイに、ジェイルは疑問を持った。
この迷いの森は、力に自信のあるモノが腕試しに入ることはあれど、基本的に近づく者は少ない。
入ったら出られない、凶悪な魔物が住んでいる、邪悪な魔女が子供を連れ去るなど、その噂や迷信も、良い内容はあまり多くない。
その噂はジェイルも当然知っていた。
怖い場所、恐ろしい場所として、できる限り近づかないよう心がけてきた。
そんな森に向けて寂しそうな表情をするグレイの反応は、噂を知っている者ほど異質に感じることだろう。
彼が疑問を持つのは至極当たり前の反応である。
そして、ここまでの解説にグレイ本人が辿り着かない訳もなく、首を傾げたジェイルを見て笑みを浮かべた。
「何百年も前の話だ。知らなくていい。それより――着いたぞ」
彼女が指し示す先、そこに現れたのは――6本の柱が囲む、六角形の巨大な祭壇であった。
「こ、ここは……」
「少年、こっちだ」
グレイは濃い霧の中、ジェイルと共に木々の影に隠れて中の様子を探る。見えるところに人の影は無いが、この場所を知るグレイには心当たりがあった。
「せ、先生。あの」
「静かに。――来る」
――ガコッ
森の中には不釣り合いの鈍い音が響く。
「わっ、じ、地震?」
同時に、祭壇周辺が微かに揺れる。
大地の精霊と契約をするジェイルは、その些細な揺れも感じ取れる。
「あそこだ。決して声は出すな」
グレイが示した場所。
そこは先程まで謎の瓦礫が転がっていたただの石畳。それが今は、その地面が横にスライドして大きく口を開けていた。
そんな下へ続く階段の奥から、怪しげな人影が姿を現した。
「あいつら、どこで何をしてんだ。さてはしくじったのか?……まぁいい、どうせ残り数匹で発動する。そもそもこんな場所を訪れる変態もいない。ここは俺様が直々に外へ出て探しに――」
「――
鋭く尖った岩が、その人影目掛けて放たれる。
「…………なんだ?誰だテメェ」
しかし、その人影――ボロボロの衣服に身を包んだ盗賊男は、焦る様子1つ見せずに片手で受け止めると、岩の塊をそのまま地面に投げ捨てた。
「オマエのような悪党に名乗る名は、あいにく持ち合わせていない」
ジェイルが傍らを一瞥した時には、グレイの姿は男の前に移動していた。いつの間にと驚くジェイルを他所に、グレイは霧に似た白衣をなびかせ、威風堂々と姿を見せている。
――その瞳には鋭利な光が宿っている。
ポッケに入れた手は、余裕の証か。
男には挑発されているように捉えられる。
「そうかよ。なら――死ね!」
大声で叫んだ男は、その大きな拳を地面へと叩きつける。振動が大地を伝い、せりあがった地面がグレイに襲いかかる。
土魔法――
普通、地に足をつけている者は超振動により足元を奪われ、遅延して来る巨大な衝撃波で吹き飛ぶ。
回避しなければ相当なダメージを負うはず。
ただし、それは一般的な対人の場合に限る。
「くだらない。精霊を操って
衝撃の先で、乱れた邪魔な前髪を片手で押し上げ、グレイは涼し気な表情で立っていた。
それだけでは無い。
瞳に映し出される光に、鋭さが幾分追加されている。
――
「生徒たちをどこへやった?」
「せ、生徒だとぉ?……あぁ、攫ったガキ共なら、今頃相棒の精霊と一緒におネンネしてるぜ」
「そうか」
殺されてはいない。
その事実を確認したグレイは、男が出てきた階段の入口に視線を落とす。既に眼前の男に興味が無い。
「どこ見てやがるっ!」
土魔法――
鋭く尖らせた岩を回転させ、より強固な岩石を生成する。充分な回転が乗ったそれを、魔力圧で打ち出す。一説では城の城壁に穴を開けたと描かれる、対人ではオーバーキルの威力。
この男、盗賊にしては随分な実力を持っている。
「これで死ねや」
風を切って放たれた弾岩。
グレイは鬱陶しそうに一瞥し、ポツリとつぶやいた。
「――
「……ゴフッ」
直撃すれば身体に大穴が空くであろうその弾岩が、人体に当たる鈍い音が響く。同時に、地面に赤黒い血が散乱する。
「…………は?」
男は一瞬、何が起きたか分からずに間の抜けた空気を漏らした。そうして、やけにゆっくりと流れる時間の中で、自分の脇腹が
口から流れる吐血も、地面の血も、――弾岩に直撃したのも、全て男の身体である。
「ど、う…………して」
意識が現実の時間に追いつき、ようやくやってきた痛覚に襲われながら、何とか疑問を口にしたまま倒れた男。
死んだか、意識を失っただけか。
どちらにしても、グレイの視線はもはや一瞥たりとも男に向いてはいなかった。
「座標交換、自分と対象の位置を入れ替える魔法」
「せ、…………先生……」
「少年……。すまない、嫌なものを見せてしまった」
戦闘が終わったのを確認して、物陰から恐る恐る近づいて来たジェイル。
グレイの背後に倒れる血塗れの死体を隠すように、グレイは謝罪の言葉を口にした。
どれだけ強力な魔法が使えたとしても、ジェイルはまだ数十年生きてきただけの学生である。まだ魔王が存命で魔族との戦争が闊歩していた数百年前ならいざ知らず、現代の子どもに血塗れの死体は刺激が強すぎる。
「いえ、……あの人は、それだけの事をした……という事ですよね」
そんなジェイルは、しかし彼女の心配よりもずっと大人である。グレイの想いを知らないなりに察し、見たくないものから目を逸らさず、現実をきちんと受け止めていた。
男の所業を目の当たりにし、簡単に魔法をぶつけてしまったグレイには、ジェイルの方が随分と大人びて見えた。
(私は……あの頃から何も変わっていないようだ)
遥か過去の記憶から、己の弱点を映す瞳。
幾分本来の冷静さを取り戻し、変わらない自分へ苦い笑みを向けた。
――『あなたはそれを弱点と言うけれど』
――『私はそうは思わないわ』
その笑みに答えるが如く、在りし日の
この程度なのだと己を卑下する私に、何故か怒りを見せたあの時の親友。
「先生?」
「少年のおかげで冷静になれた。祭壇の様子を見るに、まだ儀式は始まっていない。今ならまだ間に合う」
「い、急ぎましょう!みんなが捕まっているのはこの先ですか?」
「あぁ。この祭壇の下には、儀式を行うために必要な魔力を貯める空間がある。きっと、精霊と一緒に捕えられた者たちもそこにいるだろう」
殺されていなければ――考えたくないその一言を、グレイはこっそりと飲み込んだ。
地下へ続く階段は、祭壇したの円柱の空間を中心に螺旋状に伸びていた。真っ暗な階段を、壁に埋め込まれた松明が照らす光を頼りに二人は慎重に進む。
コツコツと乾いた足音が通路に響く。
「先生……その」
「どうした?怖ければ外で待っていてもいい」
「いえ!怖い……ですけど、大丈夫です。スカラーも一緒ですから」
「そうだったな。……着いたぞ、この先だ」
螺旋階段の終わり、ぽつんと佇むように存在する扉。
不穏な魔力の気配もここから発生していた。
「敵がいるかもしれない。前には出るな」
「分かりました」
ジェイルを背後に隠し、グレイが扉を押した。
扉を開けると、冷たい風が二人の横を一気に吹き抜ける。コツ――、ただの足音が先程よりもよく響く。
「全員無事のようだ。しかし、だいぶ魔力を吸われているな。かなりギリギリだった」
円柱状に上へ伸びる巨大な空間の中央に、精霊契約者達が集められて座らされていた。
彼らは一様にぐったりしていて、衰弱が激しい。
グレイの解析通り、魔力を吸われて魔力枯渇になりかけている。意識はあるが反応が鈍い。
「……あ、あなたは?」
「助けに来た。自力で動ける者は速やかにここを脱出してくれ。動けない者は……仕方ない。荒療治になるが、止むを得まい」
目を瞑った彼女は両手を前に広げ、大きな魔法陣で魔法の展開を行う。
「――
魔法を受けた者たちの顔色が良くなる。
グレイの魔力を一時的に彼らに与える広域魔法。その場しのぎとはいえ、皆が動けるまで回復した。
「ううっ……身体が」
「荒療治だと言っただろう。私の魔力と相性の悪い者は全身に痛みが伴う。しかし歩けないほどではあるまい。文句は自力で脱出した後にでも聞いてやる。早く行け!」
身体を震わせて唸る彼らを無理にでも動かす。
最も危険なことは、この場に居続けること。
(かなりの魔力を吸収している。下手をすると)
「グレイ先生っ!!この子っ、動きません……」
「――っ?!まさか」
残る力をふりしぼり地下室を脱出する人の中、倒れたまま動かない少年と精霊をジェイルが発見した。
「息を、していない。初めに連れてこられたようだ」
この空間は、祭壇で儀式をするために生贄を捧げる部屋。対象の魔力を吸収し、儀式のための糧とする。
「――てことは、まずいっ!!少年っ、一度離脱する!」
そして、もう一つの
「この子達は――」
「彼らは儀式の起動条件だ!!死んだ者を媒介に、この儀式は完成する!!」
「そんなっ」
「悪いが、詳しい説明はあとだ!外へ急ぐぞ」
ジェイルを抱え、グレイはその部屋を飛び出した。
祭壇が起動した証明ともなる光が、飛び出した2人の後を追って輝きを放つ。
――祭壇の起動が確認された。
その周知は、先に地上へ脱出していた者たちの動揺によっても伺うことができた。
六つの柱が、青白く淡い光を帯びて揺れている。その光が中央円形の魔法陣に流れ込み、ゆっくりと確実に全体の光が点る。
「全員祭壇から離れろ!!巻き込まれる」
爆発的な魔力の高まりが、嵐となって人々の隙間を駆け抜ける。そうして、集めた魔力が一つの
「少年、よく覚えておくといい」
「何故、時を戻す魔法が禁忌とされているのか。それは……」
光が形を創り、色が灯る。
黒い霧に包まれて、歪な色を映し出す。何色でもない、それは禁忌の姿。
「――悪魔との取引だからだ。文字通り、命をかけた」
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