page02 : 隣森の旅路

 朝8時と言えば、学生は学園への登校を始める時刻。

 ならば教師は既に学園にいるのか。答えは否。


「………………」


 開け放たれたままの窓から朝日が差し込む。

 朝だぞ。そう覚醒を促す光を、グレイはウザそうに腕で遮る。


「あぁ、今日は……外か」


 イルミス・グレイは、起床した。


 しかし彼女は毎日スケジュール通りに起床する。そこに一分の遅れもない。つまり、彼女が普段始業ギリギリに学園へ出勤するのはわざとである。

 そして今日、この時間に起きたのもまた、予定通りであった。


「今日の相手は精霊の双子、フーロとレティ。彼女たちの住む場所は西の森、アールべスタ大森林。別名"迷いの森"とも称されるそこは、によって護られている……。あのバカ共の研究も、案外役に立つものだ」


 コーヒーに似た眠気覚ましの飲み物片手に、グレイはとある資料に視線を落とす。


『認識阻害の魔法とアールべスタ大森林の霧について』


 その資料には、迷いの森内部の地図と、過去の地理に基づく環境について詳細に記されている。グレイはその地図を見て不敵に笑う。


「地図を書けたということは内部に入れたのだろう。認識阻害という仮定の元対策を講じて。だが。内部に侵入できたことで結論を急いだな」


 グレイは手元の水分を飲み干し、過去の地図以外の資料を投げ捨てる。


「あの魔法は認識をするだけの優しいもんじゃない。認識を……いや、――現実を。迷いの森がな」


 来ていた服を脱ぎ捨て、部屋に小綺麗に置かれたに着替え、彼女は研究所を出発した。


 向かうはアールべスタ大森林。

 不登校の生徒を連れ出すために。


ーーーーーーーーーーーーーーー


 スペリディア学園は、ダリアス大陸の大国家スレトの東、隣国ラスタバールとの国境近くに位置している。


 無論、出身や身分を無視した学園ではどの国に属していようが全く問題は無い。が、内部的に見れば、スレト出身よりもラスタバール出身の制度が多い。


 その原因がここ、アールべスタ大森林である。


 スレトの中央都市アレスレトと学園の間に広がり、直線的な移動を妨げているために、アレスレトの住民は森林を大きく迂回させられる。距離にして直進の二倍以上。


 何度も森を切り開き、最短のルート開拓を実行するも全て失敗に終わった。


「焼くことも切る事も出来ない。霧は消えることなく、足跡すら残らない。そりゃ、迂回せざるを得ない話だ」


 霧の立ち込める森林を前に、グレイは余裕の笑みを創る。


現実改変魔法は術者が引き起こしたに過ぎない。そうだろう?――レイナ」


 空はどこまでも青く、澄み渡る。

 この森に引きこもる彼女たちは、この広い大空を知らないのだろうか。森の中の狭い世界で、それが己の限界だと諦めているのだろうか。


 この森を者は、限界を知らなかったというのに。


「さて、相手はこの森の奥に引きこもる生徒。最初の授業は……そうだな。世界の矛盾について、改めることから始めようか」



 サクサクと地を踏みしめる音がする。

 霧に覆われた森にそれ以外の音は無い。


 風の音も、木々のざわめきも、動物の鳴き声も。まるでこの森だけ切り取られた別の空間に存在しているように。


「辿り着くにはまず、この魔法を解かなければならない。……もうじき発生するはずだが」


 何かを待つように進み続けるグレイ。――彼女はこの森を知っている。遥か昔、そして忘れることの無い記憶として。


「――来た」


 彼女が振り返ると同時、後方から濃い霧の波が押し寄せる。今までの比ではない。自分の掌ですら見えないほど濃密な霧。


無に帰せディスペル

――パチンッ


 霧に巻き込まれたグレイが霧の中で指を鳴らした。


 その瞬間、霧の波は綺麗に消え失せ

 魔法という現象を打ち消す


 彼女の魔法によって消えたということは、霧の発生はによる現象だという証明。

 つまるところ、――意図的なものである。


(この霧は方向感覚を狂わせる。向きという感覚そのものを書き換える現象。迷いの森とは言い得て妙だ)


「彼女たちが住むのはあそこか」


 霧が晴れ、森の細部がはっきりと捉えられる。グレイの先に現れたのは、木造の建物が立ち並ぶ自然と共存する美しい集落の入口。


「あれ?にんげんだー」「ほんとだー。にんげん?」

「でもみみながさんのにおいもする!」

「ほんとだ!」「する!する!」


 集落から出てきたのは、人間の子どもと同じくらいの精霊たち。会話からして子どもなのは間違いない。

 淡い色の羽が生えている以外の外見は、目立った特徴もないのが精霊というもの。ただし見た目以外は全く異なる。


「君たち、少しいいかな」

「わぁ?!はなしかけてきたよ?」

「どうする?」「どうしよう」

「ベイルは元気にしているだろうか。私は彼に会いに来たんだ」

「ベイルー?」「しってる!そんちょうだ!」

「そんちょうのともだちー?」

「……まぁ、そんなところか」

「わかった!ついてきて!」


 グレイの口から村長の名が出てきたことにより、精霊の子どもたちはにこやかに案内へ駆け出す。外からのお客さんは珍しいのだ。先頭を行く彼らは時々グレイの様子を伺うように振り向く。


 彼女は全く気にせずに着いていくが、その瞳にはどこか懐かしさを含んでいるよう。


「ついた!」「べいるここにいる!」

「そうか。助かったよ」

「ばいばーい!」


 彼らに連れられて到着したのは、集落の最も高い場所に建てられた木造一軒家。他の建物より一回り程度大きいが、日頃学園という巨大な建物を目にしているグレイには小さいと感じる。


(……あいつも、初めは小さいとか言ってたな)


 無表情のままその家屋を見つめたあと、口元に笑みを浮かべ玄関を通り抜ける。


「ベイルのじいさん。いるか?」

「なんじゃ、聞き覚えのある声がする」

「まだ生きていたか。長生きなじいさんだ。姿もほとんど変わっていない」

「グレイ。わしのような老いぼれを覚えているとは、主こそ変わらんの」

「私は。少なくとも、たかだか数百年如きではな」


 グレイの意味深な発言に、ベイルは何も言わずに髪で隠れた細い目を彼女に向ける。歩きにくそうな黒いローブはこの集落の村長である証。


「それで。数百年越しにいきなり訪れて、主はなんの用じゃ?」

「フーロとレティ。この二人を探している」

「……ワケありじゃの?」

「察しが良くて助かる。その二人をどうにかして学園に連れていかねばならん」

「それならば、ここを出て左に進んだ先のお屋敷に行くとよい。快く招き入れてくれるじゃろう」


 まるでそこからが大変だと示唆するような物言いに、グレイは理解していながら愚痴をこぼす。


「ったくあのじいさんも、厄介事を押し付けてくれたものだ。それで?

「……数年前の話じゃ。彼女たちは学園に行くため森を出た。しかしそこでのじゃよ」

に?彼女たちはだろう?何故だ」


 森とは、アールベスタ大森林のこと。この森にかけられた霧の魔法は、で異なる効果を示す。外から内へは拒み、内から外へは


 その魔法は精霊種を除く全ての生物に、例外なく適応される。


「恐らく、森で拾った獣が原因じゃろう」

「獣だと?」

「彼女たちがまだ幼い頃、森で見つけたフェンリルの子じゃ。親とはぐれたのか、捨てられたのかは不明じゃが……優しい彼女たちはこの集落に連れてきて、共に育った。家族同然の子を森から拒絶され、森そのものに怯えてしまっている」


 フェンリルはいわば魔物である。しかし個体数は少なく、絶滅種、または伝説の生き物として書物に記されている程度で、実際に姿を見たものは少ない。


 そんな魔物を家族として迎え入れ、そして今も共に歩もうとしている。


「…………家族、か。……状況は把握した。しかし、屋敷からは出てこれるのだろう?」

「森からの攻撃を恐れた彼女たちは、お屋敷のとある一室に閉じこもってしまった。それも、部屋全体に強力な結界を施しての」

「それは、ですらダメだったと?」

「ふぉっふぉ。わしは所詮じゃ。には勝てぬ」


 ベイルは歴代の村長でも最強と謳われただ。そんな彼が勝てぬという本物は、一体どんな存在なのか。


 そして、最強であった彼ですら突破出来なかった結界がどんな魔法なのか。


「その屋敷まで行けば、彼女たちに会えるわけだな」

「そうじゃ。彼女らの親御さんに話をすれば、部屋の前までは通してもらえるじゃろう」

「ならいい。邪魔したなじいさん」

「案内は要らぬのか?」

「要らんさ。集落の地形は

「そうかい」


 グレイがこの森を訪れたのは遥か数百年前。それを覚えているという事は、彼女にとって数百年の時もにはならないらしい。


 ベイルに感謝を述べてその場から立ち去る。


「また来る」

「…………そうかい」


 去り際、彼女は寂しそうな声色でそう告げた。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


 グレイは賑やかな集落をただ平然と進み、中心地から少し離れた屋敷に辿り着いた。

 他の建物とは打って変わり、その大きさに場違いな存在感を感じられる。異質であり――彼女はそれがであると理解している。


「屋敷とは聞いていたが、中々立派なモノだ。ここは私の記憶にも無い」


 その土地は集落の中心地が一望出来る、小高い丘の上。広大な森を上から見下ろせる景色は、中々見られない絶景。


 気軽に来られる場所ならば、観光地になっていたことだろう。そう考えるグレイの視線の先は、森のさらに向こう側。何故かと認識させられる空間。


(ここからでは無理か)


 魔法による現実改変の影響は、内なる者にも効果がある。グレイのディスペルも対象が離れていては機能しない。


「……行くか」


 屋敷に向き直り、グレイはその大きな扉をノックした。

 しばらく待つと、内側から慌ただしい足音が響く。


「す、すみません!!おまたせしました!!何か御用ですか?」

「私は学園の教師だ。フーロとレティに会いたいのだが」

「お、お嬢様たち……ですか。えっと、その」

「直接会えないことは知っている。部屋の前まででいい」

「しょ、少々お待ちくださいっ!!旦那様にお話を――」


「メノウ君、話は聞いていたよ。彼女は私が連れていこう」

「旦那様!!」


 初めに出てきたのは息を切らしたメイドらしき少女。

 グレイの用件に驚き焦っていたが、二階から降りてきた初老の男性――旦那様が爽やかな口調で対応する。


 その態度から察するに、彼はグレイをようだった。


「初めましてグレイ先生。私はハウネス・グロウと申します。フーロとレティの父親です」

「名前を知っているとは――私が来ることを知っていたのか」

「えぇ。その話は移動しながらでも」

「大方、学園長じいさんの仕業なのだろう。ここまで手配済みってわけか」

「さすがです。お話に聞いていた通りの鋭い推察力ですね」


 屋敷に招かれ、グレイは室内に足を踏み入れる。


「…………」


 扉を潜ったグレイは、ふと天井を見上げる。微かに感じた魔力の発生源は、やはり屋敷から。


 眉をひそめた彼女だったが、そのまま足を止めることなくグロウの後を続く。


「学園長とはもう長い付き合いになります。森の外で何気なく交わした杯が今も続いていたのは、運命の神の導きでしょう。おかげであなたと出会う事が出来ましたから」

「あの学園長と長い付き合いとは、随分な物好きだ」

「ははは。あの人にそのような事を申すことが出来るのは、きっとグレイ先生くらいなものですね」


 スペリディア魔法学園の学園長ともなれば、当然それだけの地位に相応しい能力を持っている。そして、その名を知らぬ者もまた、少ないであろう。


 知名度だけで言えば、かの勇者にも劣らない。


 それだけの存在を相手に、ジジイだのじいさんだのと文句を言えるのは、――確かに彼女の実力を測る指標の一つとなり得る。


「それで?はあの部屋か?」

「えぇ。見ての通り、強固な結界が扉に施されていて……、お恥ずかしい話、家族である私たちにも手に負えない状況です」


 案内されたのは2階の奥。赤い絨毯の先に青い魔方陣の描かれた扉が見える。


 明らかに模様では無いそれは、グレイたちの接近に反応して白い輝きを放つ。


「あらゆる生物に反応する結界か。彼女たちの得意属性は?」

「得意属性ですか?精霊魔法以外ですと、フーロは草、レティは水です」

「草に水……。それと……屋敷」


 離れた場所からまじまじと魔法陣を眺めるグレイ。思考の海に潜り始めた彼女は、ブツブツと呪文のように呟く。


「屋敷から異様な魔力が放出しているのは彼女たちの力では無い。……森が拒む力か?あれはには影響が無いはずだ。試練であっても集落内部なら……、違うな。この力はだ。ならば……、。――フェンリルか」


 やがて、彼女は一つの結論に辿り着く。


「じいさんが本物だと言ったのは、魔力だけではなかったのか。――すら。なるほど。であればこの結界にも納得がいく」


 精霊の魔力量は年齢とともに増加する。

 まだ成長途中の子どもが長期間結界を維持しつづけるのは不可能に近い。しかし、双子は現にその不可能を可能にしている。


 グレイが疑問に感じたのは、その不可能条件だった。


(自身の魔力では不可能。だからこそのだ)


 ほとんどゼロに近い条件。

 しかし、ゼロでは無い偶然を利用した、まさにの天才。


 奇跡の双子天才たちを前に、グレイはどこか嬉しそうな表情を浮かべた。


「何か……分かりましたか?」

「――だ。まずはから対処しよう」

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