第十二話 銀幕に映るもの、瞳に映るもの

「ヘイヨー、あんたのイカサマ、中々じゃないか。ユダにでも教えてもらったのかい?」

 くすんだジャケットにふけまみれの髪の男が、手中のスリーカードを手に眼前のスーツの男に問う。

 騒がしいカジノは静まり返り、視線はその場違いに身なりの悪い男に集中する。

「言いがかりはよせ。この俺に女神様が微笑んでくれたってだけさ。俺はあんたと違って女にゃ困んないタチなのよ」

 Qのフォーカードをひらつかせながら、スーツの男は机上のチップを自分の元へ動かす。

 チップを失い文無しとなったジャケットの男。それでも彼は不敵な笑みを崩さず、すました顔のディーラーの男を仰ぐ。

「女神? へえ、あんたホルモンでも打ってるのかい? それとも打ってるは薬物ドラッグの方?」

 ディーラーは無言を貫くが、ジャケットの男はその様子を鼻で笑う。

「おいおい、その辺にしとけ。大人しく帰って、慈善団体に晩飯でも恵んでもらいな」

「分かった。帰るさ。だけど一つサービスで、あんたに良いことを教えてやる。聖書にも載ってないとっておきの教えだ」

 スーツの男はディーラーに目をやり、高らかに笑い声をあげる。カジノ全域に響き渡ったところで、男は腕を組んでにんまりとジャケットの男を見た。

「聞かせてもらおうじゃないか。言っとくが俺は熱心なクリスチャンだ。剽窃でもしたらすぐに分かるぞ」

 ジャケットの男は一つ咳払いし、余裕の笑みで机の上で手を組む。そしてしばらくスーツの男を見つめ、ようやく口を開いた。

「……あんた、一番のイカサマを知ってるか?」

「一番の? 銀貨三十枚でイエスを売ることか?」

「違うね、それは――――


「”罰せられない”ことだ」


 途端、ジャケットの男の顔から笑みが消え、声にドスが入る。まるで人間の屑でも見るかのような軽蔑の眼差しで、彼は早口でまくし立てる。

「表向きはみんないい子ちゃんぶる。イカサマなんて外道のすることだと、親から子へ、子から孫へ血筋のように受け継がれていく我々の共通認識だ! しかし誰しも必ず訪れる。イカサマをしなければいけない時が。そのイカサマを”罰せられない”ことこそがお前らの特権だ! かつてカトリックが免罪符を販売した。そうさ、罪は金で浄化される! 俺のような貧乏人はパンを盗んだだけで鉄格子の中さ! だけどお前らはどうだ? ポリスに大人しく両手を差し出すのか? 違うね! お前らが差し出すのは百ドル札だ! そしてこう言うんだ!」


「『今回は見逃してくれ』ってな!」


 その瞬間不潔な男は拳銃を取り出し、ディーラーの頭を撃ち抜いた。

 悲鳴がカジノにこだまする中、男はすかさず胸元からスイッチを取り出し押し込む。するとあらゆる場所で爆発が起きた。煌びやかなカジノは一瞬で炎と粉塵が舞い散る地獄と化し、まるでこの世の終わりのようだ。




「おー、始まった始まった」

 私は小声で呟き、その見せ場に前のめりになる。ようやく動きのある場面がやってきたことに私はささやかながら胸を躍らせた。

 谷山の家にお邪魔してから二日後の日曜日に、私は谷山に映画に誘われた。観るのは今世界で話題沸騰中のサイコスリラー映画『POKER』だ。しかし内容がご覧の通り過激であったため、火野はパスだ。

 サイコスリラーは今まで観たことなかったが、エンタメ性が少なくて私はちょっと苦手かもしれない。内容は貧しくも働き者のトッドが上司の失態をなすりつけられ職を失い、社会の歪みに揉まれ殺人鬼へと変貌していくというものだ。そして今、ようやくトッドが暴れだしたところだ

 燃え盛る炎をバックにトッドは無言でスーツの男を追う。自分を捕まえようとする者を撃ち殺しながら、ひどく落ち着いた様子で黙々とスーツの男に距離を詰めていく。

 スーツの男は壁に追いやられ、もはや逃げ場もない。トッドは黙って鉄の仮面でも被ったかのような冷たい表情のまま、引き金を引いた。

「……ん?」

 拳銃はカチッ、カチッ、と鳴るだけで弾は発射されない。どうやら弾切れのようだ。

 スーツの男は安堵し、笑みを零す。

 しかし、トッドは止まらなかった。

 拳銃を振りかざし、スーツの男の目にぶっ刺したのだ。

「うっへえ……グッロ……」

 吹きあがる血しぶきに、私は舌を噛んだ。目は駄目だって目は。本当に火野は来なくて正解だった。

 まだストーリーは半分だが、このグロ描写前からトッドが社会から落ちていく描写がリアルかつ生々しくて、せっかく買った二人用のポップコーンも全く手が付かない。つーか、こんな映画観ながら平気でポップコーン食える奴なんているのかよ……。

 顔をしかめ三つ編みをカリカリしていると、ふと視界の隅に動く影があった。

 隣を見ると、谷山がポップコーンを貪りながら純真無垢にスクリーンに釘付けになっていた。まるで子供向け映画でも観ているようだが、今主人公が殺戮してる場面だぞ? そりゃ見せ場ではあるんだろうけどさ。

 呆れていると、谷山と目が合った。谷山はキョトンと首を傾げ、小声で私に耳打ちをした。

「楓ちゃんも食べて良いんだよ?」

「いや、大丈夫。何なら谷山が全部食って良いよ」

 小声で断り、お互い映画に戻った。そして最後まで、私がポップコーンを口にしたくなるタイミングは来なかった。




 映画を観終わり、私と谷山はフードコートにやってきた。そういや、火野以外と二人でおでかけなんていつぶりだろう。もしかしたら初めてかもしれないぐらいに、火野以外と二人で遊んだ記憶がない。

 谷山の服はデニムのオーバーオールで、ただでさえ背が低くて幼く見えるのに、その幼さに拍車をかける。私はシンプルにパーカーとジーンズ。傍から見たら姉妹にしか映らないかもしれない。

 昼食はお互いラーメンにした。私が味噌で、谷山が豚骨。さっきポップコーン二人分を食べたとは思えないほど、谷山はずるずると麵をすすっていく。あの映画を観た後にそんだけ入るって、二つの方向でとんでもない胃袋だな。

「面白かったねー! 2あるかな? あったら俺絶対観るよ!」

 嬉々として映画の感想を述べる谷山。私としては思ったよりアクションや殺戮シーンが少なくて、少々退屈だったというのが正直な感想だった。だけど私は笑ってごまかし、メンマを口に入れた。別に感想でぶつかるメリットなんてない。だったら話を合わせりゃいい。

「特に序盤とか、トッドが闇に落ちていく描写がすごい丁寧だったよね。殺人鬼がただの怪物じゃなくて、社会が生み出してしまう過程が超リアル。トッドもただ人を殺すだけじゃなくて、社会への怒りとかが根底にあってそれを制御できない自分にも後ろめたさがあって、良かったなぁ。ずっとトッドを一人の人間として感情移入できるように工夫されてて、やっぱプロって上手いね。俺もあんなの作りたいなぁ」

 私の箸は、止まった。

 思った以上に、谷山は真剣に映画を観ていた。ただ動きのあるシーンだけを求めていた自分と違って。こんな驚きをしてしまう時点で、まだ私は谷山を下に見ていたのかもしれない。

 そりゃそうか。谷山の漫画の腕を鑑みれば、私より作品を読む力が上なのは当然だ。

「ホラー好きなんだね。何かきっかけとかあったの?」

「きっかけかぁ。やっぱりヒラマサかな」

「ヒラマサ? なんでそこで出てくるの?」

「俺が小一の頃かな。ヒラマサが俺のとこに持ってきたんだよね」

 谷山は箸を止め、ニマニマと楽しそうに身を乗り出す。

「持ってきた? 何を?」

「殺した燕」

 私は飲んでた水を噴き出した。そしてゲホゲホと何度か咳き込む。

 食事中に物騒なこと言うなよ。ただでさえ人殺す映画観た後なのに。

「燕って……それ関係あんの?」

「まあ、俺も最初は怖かったけどね。でも猫って狩りする生き物じゃん? ヒラマサは俺に褒めてもらいたかったんだよ。そう考えるとなんでか愛おしくなっちゃってさ……」

「もしかして、『化け猫ウシル』のモデルって……」

「そう、ヒラマサだよ」

 平然と答える谷山に、私は苦笑した。まさか殺した奴を恩人に見せたがるイカれたキャラにモデルがいたとは。

「怖さの奥にある葛藤? 愛憎というか、複雑な感情がそれから好きになって。だからホラーが好きなの。『POKER』も殺人の裏にある感情描写が繊細だったでしょ? 俺はその感情を追究したくて漫画を描きたい……のかな? そこは曖昧かも。えへへ」

 無垢に笑う谷山に私も合わせたが、顔を直視することはどうしてもできなかった。さっきまでと同じ目で谷山を見ることを体が拒否する。

 考えたことも無かった。自分の作品のポリシーとか、漫画を通して描きたいこととか。私はとにかく面白いものが描きたかった。それも一つの漫画家の在り方と言えばそれまでだ。だけど、私の心は砂上の楼閣の如くグラグラになっていた。

 面白いものを描く。それは考えたうえで割り切った訳じゃない。ただ何も考えずぼんやりと生きていただけだ。谷山のように自分のルーツも語ることはできない。

 ぼんやりヘラヘラと生きているのは、どう考えても私の方なんだ。

「……楓ちゃん?」

「え、あ、ごめん。考え事してた」

 慌てて笑みを作り、私は逃げるように麵を啜った。谷山はえへへと微笑んで、この会話は終わった。

 それからお互いラーメンに舌鼓を打ちつつ、今期のアニメとか今注目の漫画とか他愛ない話をした。ギャグや日常系が好きな私とバトルやホラーが好きな谷山とでは趣味は全く合わなかったけど、逆にそれぞれ知らない分野を知れてそれなりに盛り上がった。

「んじゃ、この後どうする? どっか寄ってきたいとことかあんの?」

 塩辛いスープを飲み干し、私は谷山に尋ねた。

 すると谷山は、珍しく黙りこくった。

 まだ具の残っている器にレンゲを置き、谷山は深く深呼吸をした。

「あの、俺……楓ちゃんに隠してることがあるんだ」

 唐突の告白に、私は思考が止まる。

 いきなり深刻な顔されても、こっちはまだ心の準備なんて間に合わないぞ。

「何? そんな大切なことなの?」

 くりくりとした目で私の顔をまっすぐ見据える谷山。その視線に気圧される私を置いて、谷山は喋り始めた。




「実は俺、ずっと前から楓ちゃんのこと知ってたんだ」

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