第十一話 親友、火野ひかり

 ネームなんて、本当に久しぶりだ。前作『JKの変な青春』のネームを書いた記憶が蘇ってくる。勉強の合間を縫って、授業中に思いついたアイデアをねじ込みながら頑張って作ったっけなあ。ネームなのに調子乗ってキャラを丁寧に書き込みすぎちゃったりもしたっけ。


「あー……だるい」


 私はシャーペンを投げ捨て、天井を仰いだ。

 原稿用紙にも、ネタ帳にも、未だに何も書かれていない。椅子に腰かけてから既に三十分は経とうとしているのに、何もアイデアが出てこない。

 このままじゃいけないなんて分かってる。既に天と地ほどの差が谷山にあるのに、どんどん差が開いていってしまう。だから机に向かったんだ。なのに、この体たらく。

 どうせ谷山は、今もせっせと『化け猫ウシル』の続きを液タブで描いてるんだろう。それに比べて私は、ただ無為に時間をゴミ箱にポイするだけ。ほんっと、何やってんだか私は。

「……ん?」

 上の空で涎が垂れかけたところで、私の携帯が振動する。涎を拭い携帯を手に取ると、火野からの電話だった。

「どうしたの? 電話なんて珍しいじゃん」

 すると電話の奥から、か細い声がした。

「その……怖くてさ……寝れなくって……」

「あー、谷山の漫画でね」

 私は全てを察し、やれやれと首を振った。きっと火野は今、ベッドで布団にくるまりながら私に電話を繋いでいるんだろう。火野は活発で明るい性格だけど、昔からこういう一面もあるのだ。

「大丈夫だって。お化けなんていないよ。もしいたら私が天ぷらにして食べてやるからさ」

「……もしお化けじゃなくて殺人鬼が出たら?」

「ケツがリンゴより赤くなるまでペンペンしてやる」

 電話の向こうから、渇いた笑いが聞こえてきた。でも声はまだ震えている。

「どーせ寝て起きたら忘れてるって。怖くない怖くない」

「うん……ありがとう」

 小さな感謝の後に、しばらく静寂が部屋を包む。

 火野が鼻をすする音と、布団が擦れる音が聞こえる。もう高校生になったってのに、むしろ逆に愛おしくなってくるな。痘痕も靨ってやつかな。

 火野の次の言葉を待っていると、ゆっくりと重い声が聞こえてきた。

「……楓はさ」

「ん? なあに?」


「たーちゃんのこと、どう思ってる?」


 一瞬、何を言ってるのか理解できなかった。

「何って……ええ?」

「たーちゃんさ、すごいじゃん。楓と一緒で漫画描いてて。だからその……どう思ってるのかなって」

 気付いた時、私の口は勝手に動いていた。


「すごいと思うよ。絵も上手いし、面白いし。だから私も負けてられねーなって感じ? 今も新しいの考えてたとこ。割かしネタ出揃ったからそろそろネーム描こうかなって。前よりも面白いの出来たと思うから、完成楽しみにしててよ」


 つらつらと止まることのない嘘に、自分で驚いた。舌が乗っ取られたみたいに、勝手に心にもないことを述べていく。

「分かった。すっごい楽しみにしてる。急にかけてごめんね。それじゃ、おやすみ」

「あ、おやすみ」

 火野の言葉に私は慌てて返した。電話を切ってから、私はしばらく虚空を眺めてた。無音が耳を空しく支配する。心臓の脈だけでなく、血流の音まで聞こえてきそうだった。

 何がネタ出揃っただ。面白いの出来そうだ。

 全部……全部嘘だ。私なんかが谷山に勝てるわけない。負けてられないなんて言えるレベルじゃないんだ。なのに、私の舌は天邪鬼に言葉を並べ、まくし立てた。

「ああ……くそっ」

 私は立ち上がり、乱暴に椅子を元の場所に戻す。

 そして電気を消し、布団にくるまった。

 寝れば全部忘れる。

 寝て起きれば、何もかも忘れて、元通りになるんだ。

 そう自分に言い聞かせて、私は目を瞑った。




 火野と初めて会った時も、火野は泣いていた。


 親と離れたくなくて泣きじゃくる子を誰でも一人は見たことがあるでしょ? 私にとって火野がそれだった。

 部屋の隅でうずくまって、メソメソとしている女の子。積み木にもままごとにも参加しないで、ただ泣いているだけ。

 そんな姿を当時の私がどう受け取ったのかはもう覚えていない。だけど私は確かに、火野を遊びに誘った。間違い探しの本を、一緒にやった気がする。

 別に困っている子を率先して助けるような性格じゃなかったし、私が他に友達がいなかったとかそういう訳でもない。遊ぼうと思えば他の子と遊べたんだ。だけど私は、火野と遊んだ。

 ただの興味本位だったかもしれないけれど、たぶん私自身が、隅でいるのが好きだったからだろう。中心でわいわい騒ぐより、隅で数人と遊ぶのが性に合っていたから。

 それから私の隣には、ずっと火野がいた。火野の隣には、ずっと私がいた。

 火野の家で髪を切ったついでに、一緒に遊んだ。一緒に映画も観に行った。

 同じ小学校に上がって、二人で登校した。運動会では二人三脚でペアになって、私がリードした。修学旅行でも同じ班になった。班長の私を、火野が副班長としてサポートしてくれた。

 火野の隣は、とても居心地が良かった。会話も弾むし、気兼ねなく過ごすことができる。

 だけど……居心地がいい理由は果たしてそれだけなのか?

 谷山と会ってから、ふとそんなことが頭をよぎる。

 谷山と火野は、私にとって明確な違いがある。ホラーが好きか嫌いかよりも、もっと明確な違いが。


 火野は私と比べて、一度も何も上回らなった。


 勉学においても、運動においても、もちろん絵においても。

 火野が私の上を行くことはなかった。ちょっと身長が私より高いくらいで、逆に言えばそれだけだ。

 何かに怯え、何かに困って、私を頼る。私の背中を追ってくる。そんな存在だった。

「…………」

 余計なことは考えなくていい。

 火野は誰が何と言おうと、私の親友なんだ。

 今までも、これからも。

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