第十話 天才の家には猫がいる

「ねえねえ! 俺ん家に来てよ! ヒラマサ可愛いから是非会ってほしいんだ!」

 昼休み、三人で弁当を食ってると藪から棒に谷山が提案した。頬張ってるハンバーグが飛び出てきそうな勢いだ。

「ヒラマサって、たーちゃんが飼ってる猫ちゃんだっけ? アメショの」

 火野は焼きそばパンの最後の一口を飲み込みながら尋ねる。

「そう! 今日の帰りに俺ん家に寄ってよ!」

「私ら木尻きじり駅で降りるけどさ、谷山の家はどこ?」

「隣りの横座よこざ駅!」


 という訳で放課後、いつもより一つ前の駅で降り、ステップを踏む谷山の背中を追う。何気に火野以外の家にお邪魔するのはかなり久しぶりだ。

「あー、ヒラマサくんあたしに懐いてくれっかな? 顎とか撫でさせてくれんのかなぁ?」

 私の横で呑気なことを口にする火野に、私は愛想笑いした。

 正直、私は火野みたいに気楽になれなかった。

 谷山は知ってしまったはずだ。私より谷山の方が百倍漫画が上手いことを。なのになんで朝から平気で話しかけてきて、あまつさえ平然と自分の家に誘えるんだ? 私のことおちょくってんじゃないのかと邪推してしまうし、そんな発想になってしまう自分にも嫌気がさす。

 結んだ三つ編みをカリカリ弄っていいると、ようやく谷山の家に着いた。

「入って入って」と急かす谷山に、私達も続く。二階へと上がり、谷山の部屋へとお邪魔する。

「くつろいでくつろいでー」

 谷山に促されマットに腰を下ろし、スクールバッグを床に投げ捨てた。ようやく肩が軽くなった。

「にしても猫多いなー」

「えへへ、そうでしょー?」

 火野の素直な感想に、谷山は照れながら応える。

 確かに谷山の部屋はカレンダーも猫。時計も猫。ぬいぐるみも猫。猫、猫、猫の猫パラダイスだ。だけど私はそんなのより、机の上のでかい液晶タブレットの方が目に付いた。

「あの液タブ良いね。いつ買ったの?」

「中1!」

「早……」

 思わず漏れてしまった言葉を、急いで飲み込む。幸い二人には聞こえていなかった。

 私なんて高校の合格祝いにやっとそれなりのペンタブを買ってもらったくらいだ。それもしばらく使わず箱の中に大事にしまわれている。

「じゃあ俺ヒラマサ連れてくるね! たぶんリビングでゴロニャーしてると思うから!」

 返事をする暇も与えず、谷山はそそくさと部屋を出ていった。

 ドアが閉められ、谷山の部屋にちょっとした静寂が流れる。

「暇だし漫画読んじゃおっかなー。お、これ面白そう」

 火野は棚から漫画を一冊取り出し、胡坐をかいて読み始めた。私も這い這いしながら本棚に近づき、棚にどんな漫画が並んでいるか観察する。上の段には有名、マニアック、聞いたこともないやつ様々な漫画が並んでいる。そして下の段には、画集や資料、絵の描き方の指南書が詰め込まれていた。谷山が前に言ってたルネ・マグリットやジョルジョ・デ・キリコの画集もある。マジで勉強熱心だなぁ。

 何の気なしに手を伸ばし、ダリの画集を引き出す。そして火野の横で同じく胡坐をかき、読み始めた。ダリと言えばぐにゃぐにゃした時計とかガイゼル髭とか、あとどっかの有名キャンディーのロゴデザインしたぐらいしか知らない。

 画集を開けば、そこには奇妙奇天烈な絵画が溢れていた。どっかで見たことのある絵、ない絵が混合しているが、どれもリアルなタッチにどこかあり得なさを持っている。谷山の漫画でアレンジされていた絵も幾つか見つけた。こうやって谷山はいろんなところから吸収していってるんだな。

「ふぎゃあ!」

 突然の悲鳴と同時に、何かが私に覆いかぶさる。私より背の高い火野が、私に飛びついてきたのだ。そしてちょっと息が詰まりそうなくらいに、私を抱きしめてくる。

「もー、どうしたの? 落ち着いて。私中身出ちゃいそうなんだけど」

「だってぇ……! あの漫画急に超グロいんだもん!」

 火野は涙目で、放った漫画を指さし私に訴える。

「ちょっと大人なサスペンスかと思ったらさぁ! 急に脳剝き出しの男が出てくるんだもん! うわぁぁん怖かったよぉ!」

「はいはい、大丈夫だから。よーしよしよし」

 胸にしがみつく火野の頭を撫で、袖で涙を拭ってやる。

 火野は昔からグロやホラーが大の苦手で、たまにこうやって私に泣きつくのだ。中学の林間学校でナイトウォークをやった時ペアになったけど、ずっと火野が抱き着いてきたせいで後ろのペアに追いつかれたっけ。

 そうやって思い出にふけっていると、ふと視界の外で何かが動く気配がした。火野も気づいたようで、私達二人は同じ方に視線をやる。するとベッドに下に、何かもぞもぞと動く影があった。そしてその影が、ゆっくりと出てくる。

 グレーのアメリカンショートヘア。谷山の写真で見た、ヒラマサだった。

「……どうも」

 こっちをジッと見つめてくるヒラマサに気圧され、私は思わず挨拶をしてしまった。歴戦の老兵のような風格でこっちを観察しながら、ヒラマサはのそのそと私達ににじり寄ってくる。そして私の膝の隣で、ピタリと止まった。

 何こいつ……怖っ。人懐っこさもないし、かと言ってシャーと威嚇してひっかいてくる気配もない。

 頭を撫でようかどうか躊躇ってると、階段を上る足音が耳に入ってきた。

「ごめーんヒラマサ中々見つからなくてさぁ。あ! ヒラマサ見っけた!」

「ええ!? 楓めちゃめちゃ懐かれてんじゃん!」

 谷山と火野だ。私の膝横にいるヒラマサを両者うらめしそうに見つめてくる。

「懐かれてるってより、取り調べされてる気分なんだけど……」

 ヒラマサは私の匂いを舐めるようにじっくりと嗅いでくる。顔を擦りつけてくるとか、そうやって可愛くじゃれついてくるような気配がない。

 そう考えていると、不意にヒラマサはプイっと私から顔を逸らし、谷山の方へのそのそと歩き始めた。

「ヒラマサー! ようやく俺とまた遊んでくれるのー?」

 四つん這いにな猫目線でヒラマサにデレる谷山。しかし非情にも、ヒラマサは全く意に介さず素通りし、部屋を出て階下へと降りて行った。

「またフラれちゃった。えへへぇ」

「なんつーか、けっこう不気味だねヒラマサ」

「そうでしょ! そこがカッコいいの! イケニャンコなんだよ!」

 謎の単語に半笑いの私達を置いて、谷山ははいはいでテレビに走る。

「せっかくだしゲームしようよ! あんまりパーティー系持ってないけどさ」

「せめてホラゲーはやめてくれよ……お願いだから」

 火野は声を落とし、谷山に訴える。

 谷山の手には、血で描かれたようなフォントや青白い女がアップになってるパッケージ。それをスマイルで提示してくるんだから余計に怖い。

「えー……面白いのになぁ。ホラーじゃないの何あったっけ?」

 結果、一時期ネットでバズった果物落ち物パズルをやることになった。私もやったことがあったし、わりかし得意だったのでけっこう楽しめた。

 三人で回しながらやっていくと、あっという間に時間が解けていく。六時を知らせるチャイムがもう町に流れる。

「じゃあそろそろ帰ろっかな。今日中に宿題終わらせたいし」

「うん分かった。また遊ぼうね!」

 玄関で見送ってもらい、しばらく歩いて私達は振り返った。もう谷山は家の中に戻っていた。

「戻るのはえーな……」

「漫画でも描いてんじゃない?」

「ははっ、だよなー。」

 呆れ顔の火野に適当に返すと、火野は二ヒヒっと白い歯を見せた。

 それから私達は電車に乗り、隣の木尻駅で降り別れた。

 いつも通り家に帰って、いつも通り夕飯を食べ、風呂に入って。


 私は一年ぶりに、ネームを作り始めた。

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