第五話 橋の下のカトブレパス

「……どういうこと?」

「実は僕、限られた人にしか見えないんだ。おまけに頭が重たくて重たくて、中々動けないんだよ。そのせいでずっとここに一人でさ。だから誰かと喋れるってだけで、とても嬉しいんだ」

「そうじゃなくて、さっきの謝り方何?」

「いやぁ、前に話した人から教えてもらったんだ。これを言うと見た人が逃げなくて済むって。もう結構前だけどね」

「あぁ……なるほどね」

 悔しいけど、あのどっかで耳にしたことのある謝罪のおかげで、私の肩の力は抜けた。それで今はこうやって、近い距離で会話できている。テレパシーを介した会話も、慣れればどうってことはなかった。

「で、お話って、具体的に何を話せばいいの?」

 私は牛の隣に座り、ちょっとぶっきらぼうに尋ねた。コンクリは春なのに冷たく、橋の下を吹き抜ける風も肌寒い。だけど牛の横っ腹を撫でると、ほんのりと温かった。

「そうだね。まずは自己紹介をしてほしいな。君は一体どんな子なんだい? 声を聞く限り女の子かい?」

「そうだけど。自己紹介か……」

 つい先日もクラスメイトにしたばっかだな。まさか二日連続でやることになるとは思わなかった。

 しかしこいつに、いろいろ教えちゃっていいもんなのか? こうやって普通に話せてはいるが、こいつがほぼ妖怪みたいな存在だということには変わりない。SNSでも個人情報バレたら即効人生オワタなのに、大丈夫だろうか。

「えっと、名前は佐藤楓。誕生日は4月13日で、もうすぐ16歳」

「楓ちゃんかぁ。いい名前だね。楓って秋に赤くなる葉っぱだろう?」

「私の両親の新婚旅行が京都でさ。そこで紅葉見て、思い出だからってつけたんだってさ。だったら『佐藤紅葉』でいいんじゃないって親に言ったんだけど、『紅葉』はもう親戚にいたから却下したんだって。……ん、何だこれ」

 視界の端に、素早く動く影が入ってきた。思わず払いのけて何か確認すると、それは牛の尻尾だった。

 興奮した犬みたいにしっぽをぶんぶんと振り回している。名前の由来言っただけなのに、こんなに喜ぶのかよ。どんだけ人と話してなかったんだか。

「そうなのか。面白い由来だね! もっと楓ちゃんのこと知りたいな。ねえ、もっとお話聞かせてよ。好きな食べ物とか、好きな動物とかさ」

「ちょっと待ってよ! こっちだって訊きたいことあんだから!」

 ちょっとどすを利かせて制止させたが、途端にあんな元気だった尻尾がしょげたように垂れる。

「いやごめん……ちょっと強く言い過ぎたかも。でもさ、だいたいあんたって何者なの? テレパシーなんか使うしさ、妖怪? 件ってやつ?」

 普通に世間話してて忘れるところだったが、今のこの状況、夢か幻とでも思いたくなるくらい非現実的だ。だってさ、こんな街中の橋の下で牛と会話してんだよ? 少なくとも私は同じ経験した人なんて見たことも聞いたこともない。

「その、『テレパシー』って、こうやって言葉を念じて送ることかい?」

 とぼけたような声が、頭の中で再生される。イヤホンで音楽聴くのと似たような感覚だ。

「そうだけどさ、やっぱあんた妖怪なん?」

「うーん……自分が妖の類なのか、自分では判断できないけど、まあ化け物だよね。動けないからずぅ~っとここでボーっとしてるんだ。お腹は空かないし年も取らないから、もう何年もここにいる」

「長年って……私ここら辺ちょくちょく来るけどさ、あんた初めて見たよ。それにさ、限られた人にしか見えないとか言ってたけど、例えばあの河原で遊んでる子たちはあんたのこと見えないわけ?」

「まあ気付いてたらこっちにくるだろうね」

「じゃあさ、なんであの子たちにはあんたが見えてなくて、私には見えるの? というか、見えるようになったの?」

「うーん……それはねえ」

 意味深に牛は沈黙し、尻尾をゆっくり左右に揺らす。それっぽく押し黙ってるけど、まさか『分かんない』じゃないだろうな。

「実は僕も分かんないんだ」

「やっぱりかよ」

「え? なんで分かったの? ねえどうして?」

 しつこく尋ねてくる牛を無視し、私は真上の橋を見上げた。無機質なコンクリと鉄が私を見下ろしている。

「まあ分かんないならいいや。で、あんたの名前は?」

「名前か……」

「私が名乗ったんだからさ、あんたも名乗んなきゃ不公平でしょ?」

「名前ねぇ。あると言えばあるんだけど……」

「何さ? まーたもったいぶって」

 尻尾を垂らし、微動だにしなくなる牛。一瞬時間が止まったかもと錯覚するほど、牛は動かない。このテンポの悪さに、私はちょっとイライラを禁じ得ない。

「今まで何人もここで会っては来たんだ。長くいるからね。それで、名前はそれぞれその人たちに名付けてもらったんだよね」

「はあ?」

「だからさ、楓ちゃんに新しく僕の名前を決めてほしいんだ!」

 なんだそれ? 私が名付け親になる? ペットじゃないんだから。

「毎回わくわくするんだよね。自分がどんな名前になるのか。あ、出来ればカッコいい名前がいいな」

 牛の尻尾は分かりやすく左右にぶんぶん振られている。さっきから尻尾しかまともに動いてないのに、どうしてこうも感情表現が豊かなのだろうか。

 それにしても、このキャラの濃い牛に名前か……。牛は英語で『cow』『bull』『ox』とあるけど、確か明確な使い分けがあったな。去勢牛が『ox』で、雄が『cow』と『bull』どっちだったっけ? 有名な牛だと松阪とか神戸とかで……でもこいつ食用の牛より野生の牛っぽいからそっち方面がいいよなぁ……。

「あー駄目だ、悪い癖出てる」

「悪い癖? 別に僕は歯ぎしり気にしないよ」

「そっちじゃねーよ。こっちの話だから気にしないで」

 名前を凝りすぎる。私の悪い癖だ。漫画のキャラはもちろんだし、ゲームで味方に名前つける時も、やったらめったら悩みまくって、長い時は一時間もかかる。そのせいで余計な知識も雪だるま式に増えていったりする。

 今もネットで『偶蹄目』と検索して、バイソンやガウルのようなこいつに似ているやつの他にもアノアだのマーコールだの余計なやつらまで出てきてしまう。うわ、なんだこのエランドっての、喉すごいな……。

「ねーえー。まだかいまだかい?」

「あー、待っててよ! 今考えてんだからさ!」

 だいたい何の義理があってこの無駄に人懐っこいウドの大木に名前つけなきゃならないんだ。もう命名『ウド』でいいか? いや、それだとどっかのお笑い芸人っぽいし……。

「そういや、頭が重い牛ってどっかで聞いたことあるような……」

 頭が重いと聞いてから、薄っすら引っかかっていることがあった。記憶の断片を頼りに、私は再びネットで検索をかける。嗚呼なんて便利な世の中なんだ。ものの数秒でお目当ての情報が見つかった。

「あんたさ、『カトブレパス』って知ってる?」

「『かとぶれぱす』? 聞いたことないなあ」

「伝説上の生き物だよ。ギリシア語で『俯く者』。西エチオピアに住むと噂される牛のようなもの。頭が重いせいで常に俯いてて、もし目を合わせたら死ぬんだとか」

「うわぁ、怖いなぁ……会いたくないよぉ」

「いやその会いたくないものに、あんたが似てるって話なんだけどさ」

 嘆息し、 再び思考を命名に集中させる。カトブレパス……カト? ブレ? パス? カトブ? レパス? どれもピンと来ない。 じゃあいっそ略すか。

 あれこれこねくり回し、時間も忘れるほど命名に熱中した。軽く五分は無言が続いたと思う。

「決まったよ。あんたの名前」

「本当かい? いやあ待ちくたびれたよ」

 あからさまに、牛の尻尾は左右に揺れて当たりそうになる。少し座る位置を前に動かし、小さく咳払いする。

「『カブ』ってのはどう? カトブレパスを略してカブ」

「『カブ』かあ。良いね! 気に入ったよ! 今日から僕は楓ちゃんにとって『カブ』になるわけだ!」

「そりゃどうも」

 よく分かんない喜ばれ方に適当に返し、荒ぶる尻尾から更に距離を取る。私はこいつの脇腹辺りにいるのに、尻尾が無駄に長いせいで邪魔くささに拍車がかかる。当たりそうなの分かってるだろうに。わざとか?

「それにしてもすごいね。その『かとぶれぱす』について、あんなに詳しく覚えてるなんてさ!」

「覚え……?」

「だって本も開かずにあれだけのことをスラスラ言えただろ? いやーすごいな。僕なんて教えてもらったことの半分くらいは忘れちゃうからさ」

 こいつ、私が検索したことに気付いてないのか? いやそもそもネット検索という概念さえ知らない可能性がある。

 確かに雑学にちょっとした自信はあるけどさ、西エチオピアとかそんな細かいところまで覚えてるはずがないだろ。何をそんなに買い被ってんだか。

「……まあね。私、知識量にはちょっと自信があるからさ」

 だけど、なんとなく面白いからこのままでいいか。

「じゃあ私そろそろ帰るから。帰って勉強しないとね」

「分かったよ。良ければまた来てくれないかい?」

 私はしばらく押し黙った。

 こいつに何の縁と義理がある? たまたま何故かこいつが見えるようになって、気になったから近づいたら話しかけられただけだ。正直、無視することだってできる。

 しばらくどう返事するか考え、私はこいつのぬくい脇腹を撫でた。

「分かったよ。気が向いたらね。バイバイ、カブ」

「うん、バイバイ」

 尻尾を左右に振り、カブは私を見送った。

 

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