第四話 エンカウント・アンダー・ザ・ブリッジ
「うるせえねぁ、私」
何の気なしに、自分の口から悪態がこぼれた。
マイクでの漫画見せ合い会も終わり、火野がいつも通り私と一緒に帰ろうとしたが、私はその誘いを断った。そして今、学校近くの河原のベンチで一人うなだれていた。
ちょっと前の自分を振り返り、自分の口をペンチでもぎ取りたくなった。コマ割りなんて私の何倍も上手かったじゃないか。幸い谷山は『そっかぁ。俺もちょっときになってたし、やっぱそうだよね』と受け入れてくれて、その後は何事もなく会話は弾んだけど。
にしても、その後も中々に佐藤楓とかいう女はやかましかった。
『私、ちょっと用事があるから先帰ってていいよ』
『用事って何? 別にあたしは帰るの遅れてもいいけど』
『いやちょっと、買い物してこうかなって』
『何買うの? 文具だったらあたしもノート買おうかな』
『いやその、スーパーとか寄ろうかなって』
『スーパー? 夕飯でも作んの?』
『……まあね。ちょっと親が体調崩しててさ。だから今日は私が作ることになってて』
『そっか、偉いなぁ。あたしなんて目玉焼きもろくに作れないのに。頑張れよー』
嘘に決まってる。両親共に元気もりもりで労働に勤しんでるんだよ。あと私だって遊びでクッキー焼くくらいしか出来ないぞ。
澄んだ空を仰ぎながら、己の幼稚な嘘を反省する。
本音を言うと、私は谷山のことを舐めていた。あんな何も考えてないような奴に、負けるはずがないって。絶対自分の方が漫画が上手いと、半年も描いてないくせに根拠のない自信を持っていた。
だがいざ蓋を開けてみればどうだ? ページ数も、画力も、オリジナリティも、純粋な面白さも。どこを取っても谷山の方が遥か上を行っていた。
なのに悔しくて、認めたくないって、クソみたいな理由で難癖をつけて。挙句友人を騙して、河原のベンチでボーっとしてさ。そんな暇があれば漫画描けってんだ。
やんなきゃいけないことは分かってる。なのに、足が動かない。体に力が入らない。
「あほくさ……」
あたしはそうぼやき、周りをぐるっと見渡した。
向かいの河川敷では、小学生の何人かが飛び石で遊んでいた。橋の上を見上げれば、御栗屋高校の女子グループがダベりながらノロノロ歩いていた。ベンチ近くには、不法投棄のゴミ山が築かれている。いや、マイクのゴミ多いな。確かに店近いけどさ。
呆れながら私は、視線を橋の方に戻した。
「……は?」
一瞬、私は脳の働きが止まった。
橋の下に、得体の知れない黒い塊がいた。
ずんぐりとした、ちょっとした山のようだ。しかしよく見ると足がある。四足歩行の動物がそこにいた。骨格的に偶蹄目に近く、黒い毛はうっかりすると飲み込まれそうなくらいの存在感を放っていた。
橋の下に居座る、大きな獣。私は飛び石で遊ぶガキ達を見た。まだ何事もないようにキャッキャと遊んでいる。あの位置からでもこの獣は確認できるはずだ。それなのに気付かないなんて、遊びに夢中過ぎないか?
獣に動く気配はない。私は恐る恐る、そいつに近づいた。
ここは
いやそもそも、こんな都会にでっかい獣一頭が解き放たれてて、大騒ぎにならないはずがない。まさか、私にしか見えないとでも言いたいのか? そんなファンタジーな。こいつネットに上げればバズるかな?
もうすぐその獣と触れられるというところまで距離を詰めて、そいつが牛であることが分かった。頭からは小さな角を生やし、頭の毛は伸びに伸びて、どんな顔をしているのかは分からない。体系はよく見る家畜の牛というより、バイソンのように丸々と太っている。顔を地面に突っ伏し、背中は呼吸をしているのか、小さく上下している。
ただでさえジメっとしている橋の下。それがこいつのせいで、余計蒸し暑く感じる。
「お、もしかして僕が見えるのかい?」
「あぎゃぁっ‼」
突然、山が動いた。
頭がゆっくりとこちら側にずりずり動いてくる。たまげる私とは反対に、牛のしっぽは元気にぶんぶん振り回されている。
それになんだ? 今脳内に直接声が届いたような……。
「あぁ、ごめんごめん。びっくりさせちゃったよね。お願い、逃げないでくれるかな?」
耳を抑えても変わらず響く、50代のおっさんの声。柔和で、どこか間の抜けた喋り方だ。
「何? あんた牛なの? これテレパシー? 妖怪の類?」
滝のように襲ってくる疑問符。何一つ現実味が湧かない体験に、頭が真っ白になる。そんな私の反応を楽しむかのような笑い声も、テレパシーで届き続ける。
「大丈夫だよ。僕は君とお喋りしたいだけなんだぁ。もう寂しくてさぁ」
「はぁ、お喋り⁉ 私はスナックママじゃないんだよ! てかなんだよ、まずはいろいろ説明してよ!」
「あはは、分かった。困らせちゃったよね。ちゃんと謝るからさ」
「いきなり喋ってごっめ~ん。まことにすいまめ~ん」
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