第二話 エンカウント・アンダー・ザ・スカイ

「ごめんねー、付き合わしちゃって」

「いいのいいの。その代わり宿題写させてよー」

 軽口を叩きつつ、火野はポニーテールを揺らしながら階段を上ってくる。

「あんた、そんなんだから成績伸びないんだよ」

「別に伸びなくたって構わないよーだ。あたし将来カリスマ美容師になんだから」

「そんなこと言って、ここに入るんだってギリギリだったじゃん。私と一緒のとこ行けないかもーって泣いてたのはどこの誰だっけ?」

「それは、別に泣いてないし……」

 俯き、分かりやすく拗ねる火野。私は足を止め、火野の頭を気休め程度に撫でてやった。

「分かったよ。ムズイとこは教えてあげるから」

 途端にパァーっと顔を明るくさせ、顔を上げる火野。私、甘やかしすぎなのかな?

「それにしても、屋上から何見えるかな? ウチの美容院とか?」

「さすがに駅五つも離れてたら無理っしょ」

 新学期一日目は午前で終わり、みんなとっくに下校している頃、私らは校舎の屋上を目指していた。私らが通っていた中学は屋上禁止だったが、ここ御栗屋みくりや高校は珍しく屋上を開放していた。これは見に行くっきゃない。フィクションだけの世界だと思っていた聖地がすぐそこにあんだから。

「そういやさ、なんで漫画とかってあんな屋上開いてるんだろ?」

「たぶんだけど、クローズドな会話ができるからだと思う」

「クローズド?」

「主要人物だけの会話をさ、廊下とかで話してたらモブに聞かれちゃうでしょ。周りにモブがいないから、めちゃくちゃできたり、意味深な会話ができるってわけ。たぶんだけどね」

 特に根拠のない持論を述べてみたが、振り返ると妙に納得したような火野の顔があった。

「ほへー。楓頭いいなぁ!」

「ちな、病院の屋上はうっかり転落する人とかが出ないように基本閉鎖されてるよ」

 私も調子に乗って、聞かれてもない雑学を披露する。我ながらウゼー。

「そっか、足悪い人とかもいるしね」

 怒ってもいいんだぞ、という言葉を、私はグッと飲み込んだ。甘やかされてるのは私も同じかもしれない。



「やっぱ漫画家目指してる人は違うな!」



 火野の無邪気な発言。

 そこで、私は一拍、言葉に詰まった。

 ちょっとだけ唇に歯を突き立てた後、私は何食わぬ顔で答えた。

「まあね」

 ありがたいことに、ちょうど屋上へのドアに到着した。

 ドアを開けると、心地よい春風と日光がシャワーのように体に降りかかってきた。目を細め、セロトニンが分泌される感覚を味わう。ついに、憧れの青春舞台にやってきたのだ。

「うひゃー、高けー! さすがは五階建て!」

 はしゃぐ火野を横目に、写真を撮ろうとスマホを起動させた時だった。私は屋上に先客がいることに気が付いた。

「誰だろ?」

「屋上に来るなんて珍しいな」

 どの口がとツッコもうと思ったが、そうする暇もないくらいには先客が屋上にいることに私はちょっと面食らっていた。

 小柄な体にサイズの合わないブレザーを身にまとい、スカートをばたつかせながら屋上からの景色を楽しむ女子がいた。柵を掴み、靴裏にバネでも仕込まれてるみたいにぴょんぴょん跳ねている。

「一年?」

「にしても小さくね?」

 なんて話してる間に、その女子は走って反対の柵に向かった。今度はスマホを片手に、景色をパシャパシャ撮りまくり始める。

 しばらくどうすればいいか分からず固まっていたが、次の瞬間に、私たちは咄嗟に走り出した。

「危ない!」

 その女子が柵から身を乗り出した瞬間、私は悪い予感がしてすぐさま駆け寄った。その予感は的中し、女子はバランスを崩して前のめりになる。

 一瞬、本当に心臓が止まるかと思った。

 幸い、体が柵から出切る前に二人で袖を掴むことができた。力の限り引っ張り、三人後ろのぐるりと転げ背中を打つ。マ~ジで間一髪だった。スマホもリングに指が引っかかってて落ちることもなかった。

「気を付けなよ。私らいなかったらあんたお陀仏だったかもなんだよ」

 三人、どっと押し寄せた脱力感にその場にへたれこみ、顔を見合わせる。まだ指先が凍えたみたいに震える。私と火野はあまりの出来事に呼吸が整わない中、件の女子はヘラヘラと頭を掻いていた。

「えへへーごめんごめん。でもありがと! 助けてくれて!」

 たった今死にかけた人とは思えないスマイルだった。

 にしても私は、彼女に見覚えがあった。若干ぼさっとしたセミロング。前髪はヘアピンでまとめ、太い眉が露わになっている。おまけに頬のニキビが、彼女の幼気さを際立たせる。

「もしかしてだけどさ、あんたも一年三組?」

 まだクラスの全員を把握してないので、恐る恐る尋ねてみる。すると元気な返事が返ってきた。

「そう! 俺も三組! これからよろしくね」

「ん? 『俺』って……君女の子だよね?」

「女だよ。こっちの方がしっくり来るんだ。そうだ! パンツの中確認する?」

「「しないわ!」」

 突然の爆弾発言に、私らの声が重なる。

「大丈夫だよー、ここなら他に人いないしー」

「そういう問題じゃないから! 見せようとしなくていいって!」

 彼女は白い歯を見せながらスカートの裾を上げようとする谷山を、私は急いで止めた。フィクションで屋上が重宝されるのは、やっぱこういうことなんだな。いや、こいつならなんか教室でもやりかねないかも。

「そうだ、自己紹介しないと。俺、谷山葵! そっちは?」

「え? 谷山?」

 私と火野は、一瞬顔を見合わせた。まさかこの名前を、今日もう一度聞くことになるなんて思ってもみなかった。

「えっと、あたし火野ひかり。よろしくね」

「で、私が佐藤楓。てかあんた、クラスロイン入ってないでしょ」

「クラスロイン? 俺帰りの会終わったらすぐここに来ちゃってよく分かんないけど、それって絶対入んなきゃ駄目なやつ?」

 マジかよこいつ。あのロイン戦争に不参加って、何考えてんだ? 青春をドブに捨てる行為だぞ。

「先生からの連絡とかあるし、入っとかなきゃだよ。たーちゃん以外もう全員入ってんだから」

 早速あだ名呼びの火野はスマホを取り出し、谷山とロインを交換。クラスグループに参加させた。その後流れで、私までも交換することになった。何と言うか谷山は危なっかしいし、見張る役がいなかったら何しでかすか分かんないし、半ば仕方なくだ。

「つーかたーちゃんはさ、なんでここに来たん? いや、あたしらもなんだけどさ。あんな写真撮りまくって、何に使うの?」

 当然の火野の質問。

 だけど、世の中には知らない方がいいことがたくさんある。私は谷山について、これ以上深入りしてはいけなかったんだ。もしこの時、火野が何も尋ねずにそのまま解散していたらと思うと、私は火野を恨まずにはいられない。

「それかぁ……えっとねぇ……」

 ゴーマイウェイの谷山が、珍しく返答をためらった。もしかしたらこれは、これから起こる厄災の前兆だったのかもしれない。



「俺、漫画描いてるんだ!」



「え?」

 思わず声が漏れた。だって、そんなことを同級生が宣言しているのを聞くのは、生まれて初めてだったから。

「今描いてる漫画で、屋上のシーンがあってさ。参考にしたいなーって」

「すげぇじゃん! すげぇ偶然じゃん!」

 そう騒ぐ火野は、いきなり私の肩を掴んで揺らした。整理し切れてない心が、更にかき乱される。

「実は楓も漫画描いてんの! おんなじだよたーちゃん!」

「そーなの⁉ 何? 何漫画描いてるの? 俺バトル漫画! 化け猫が戦うの! 楓ちゃんは?」

「え、わ、私? えっと、日常ギャグ」

「すごーい! ギャグって一番難しいジャンルなのに!」

 ものすごい勢いで私に食いつく谷山。あどけない目をキラキラさせながら私を見つめてくる。

「まあ、あんま大したもんじゃないけどね」

 谷山の目から放たれるピカピカ光線に気圧されるが、悪い気はしなかった。漫画についてあまり深く語り合える友達なんてあんましいなかったから、同じ漫画家志望目線で話せる相手ができるのは純粋に嬉しかった。だってそうでしょ? 共通の話題があるってのは、何だろうが良いものだ。

「それで、屋上から写真撮ったって、どんな感じ?」

「にへへ、ちょっと待ってね」

 谷山はニキビの頬を緩ませ、スマホを操作する。そして数秒後、私達の前にグッと画面を見せつけた。連写したようで、写真の量がえげつない。それはそれとして、この屋上から見える風景は、建物だけじゃなく街路樹や公園、川、橋と多様性があり、見ている分には飽きない。だけどこれを描けって言われたら、めんどいことこの上ないな。

「いい眺めだよねぇ。早く描きたいなぁ」

「パッションあるなー……すっげえ時間かかりそうだけど」

 私が苦笑する横で、火野は写真をスクロールし遡っていく。本当何枚撮ったんだ? なんて呆れていたら、いきなり街並みの写真ではなく、猫の写真が現れた。グレーの毛並みに縞の入ったアメリカン・ショートヘアが、ソファの上で丸くなっていた。

「え可愛い! これたーちゃん家の猫?」

「そう! ヒラマサって言うんだ! めためたに可愛いでしょ⁉」

 谷山は興奮しながらスマホを引っ込め、何やら高速でスワイプし始める。

「これとか! スマホ買ってもらった日に初めて撮ったやつ! カメラのバージンをヒラマサに捧げたんだ!」

「『カメラのバージン』って、初めて聞いた表現だな……」

「にしてもさ、なんでヒラマサ後ろ向いちゃってんの? まさか嫌われてるぅ?」

 火野が谷山に、ちょっと意地悪に尋ねる。確かに写真のヒラマサは、カメラなんて知ったこっちゃないとでも言わんばかりに背を向け、床をじっと見つめていた。いくらカメラに慣れてないとはいえ、もっといいアングルがあっただろうに。

「いやぁ、ヒラマサってあまりもう構ってくれないんだよ。もうおじいちゃんだからさ。あんまり無理は言えないし」

 谷山は渇いた笑みを浮かべ、後頭部を掻く。それはどこか切なそうでもあった。

「そんなこと言って、本当はもっと遊びたいんでしょ?」

 なんて、試しに聞いてみたりした。

「まあね。また昔みたいにいっぱい抱きしめてキスしたいな。お腹撫で回したり、一緒に動画観たりさぁ。一日中猫じゃらしで戯れたりとかもまたしたいー!」

「ヒラマサが構ってくれないのって、それが原因じゃね?」

「え? どういうこと?」

 火野の指摘にキョトンとする谷山。私と火野は顔を見合わせ、肩をすくめた。こんな過干渉な飼い主、ヒラマサもさぞ大変だろう。

「にしてもすごいね。同じクラスに漫画描いてる人が二人もいるなんてさ!」

「確かに。私も驚いたな」

「俺も! そうだ、俺楓ちゃんの漫画見たいな。俺のも見せるからさ」

 クリっとした目を私に向けながら、谷山は私ににじり寄ってくる。この人の懐に入ってくる才能、末恐ろしいものがある。

「えっと……じゃあ明日見せあう? マイクかどっかで」

「わー! ありがとー!」

 谷山は立ち上がり、落ち着きなく飛び跳ねる。とても同級生とは思えないそのリアクションに、私は苦笑しつむじを掻いた。

 正直、この時はまだ何とも思っていなかった。

 


 だけど私には、まだ谷山にも、火野にも言っていない秘密があった。

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