第6話 「ねぇ、アルフィー?」

長野自動車道を南へ、

僕は映画を聴きながら車を走らせていた。


親友の婚約者と一夜の過ちを犯し、

その代償に友や恋人を失い、

孤独に滑落かつらくする男、アルフィーの物語。

みじめで薄汚れた裏切りの成れの最果てが

聴こえてくるような少し古い映画。

同名の名画を現代に蘇らせ、

最上級に女ったらしな男を見事に演じた

ジュード・ロウの容姿端麗ようしたんれいな様に

花を添えるかのごとく、

この映画の音楽もまたはか秀逸しゅういつで、

何度見ても

物語が聴こえてくるように胸に響く。


捨てるほど女と寝てきたアルフィーは、

口説いた女達が彼の自由を侵食しようとすると途端に情熱を失ってしまう。

女達の侵食というのは取りも直さずアルフィーに永遠の愛を求めてしまうという事。


女と寝た後のベッドで

アルフィーは女達に

心の中でこう呟く。


I've got all too familiar feelings.

(僕にまた、この馴染みの感覚が訪れたようだ・・・)


Sooner or later , she''ll be wanting a little bit-

more than I'm able to give.

(遅かれ早かれ彼女は、僕が彼女にできないこと事をついに、求めてくるだろう)


Disappearing act.

(去るべし)






僕は映画を聴きながら、

この車の助手席によく座っていた人のことを

思い出していた。


僕がまだ、

騒々しい人波の中に暮らしていた頃、

馴染みのスナックで呑んでいると隣に座っていたチヒロが「大好きな先輩を紹介したい」と、僕だけに聞こえるように耳元で囁いてきた。

僕は彼女の源氏名の書かれていないもうひとつ名刺を持っていて、

それは立派な保険会社のものだった。チヒロの会社では上司と部下の2人組でバディを組み、

膨大な保険商材を2人で分担して把握しながら、

顧客のアポイントやニーズをなるべく逃さないよう体制を整えているらしく、

その「大好きな先輩」は僕と同い年でチヒロの尊敬するバディらしい。


囁き終えて、

僕の耳元から離れ声の音量を元に戻したチヒロは「ぜったい2人はあうと思うんだよねー」

と独り言のように言ってワイングラスの中身を一口で飲み干した。


一体チヒロは何を根拠に、

「大好きな先輩」と僕が「あうと思う」なんて言えるのだろう?


歳が2まわりも離れているチヒロの口角に

僕の人差し指を引っ掛けながら慰めあった夜が

一度だけあったからだろうか。

評価の基準を教えてほしいと思った。


薄い水割りで酔いが回り始めていた。

チヒロの話には曖昧あいまいに返事をして

翌日の仕事に備え、

その日は大人しく家路についた。


それから1ヶ月後、

納車して間もないプリウスの車両保険をチヒロに依頼した。立派な会社の社員というだけあってすぐに契約の段取りをしてくれた。

しかし数日後、契約書類を持って僕の会社の事務所へやってきたのはチヒロの「大好きな先輩」の雪だった。


誰が見ても美人と答える整った容姿と、

白いシャツの首元から覗く

少し日焼けした肌と

細いネックレスがアナウンサーの様によく似合う人だった。

保険の制約のややこしいところを丁寧に噛み砕いて次々に明瞭にしてゆく雪の見事な所作は

今日に限らず、いつも仕事を愚直にこなしている人だと感じた。日常的に僕は事務所にいるわけでは無いので連絡先を交換し、

契約書類は後日ラインで送り合うことにした。


その日から始まった雪とのラインのやり取りは、保険が成約したプリウスの助手席が雪の席になるまで間なく続いた。

僕は週に一度、

仕事を昼までに終わらせて、

彼女を助手席に乗せていろんなところへ出かけた。


僕らが会うことのできる時間は限られていた。

彼女は数年前に夫と離婚して、

今は小学生になる娘と雪の両親とで暮らしているという。

日が落ちる前に雪は、

娘の待つ家へ帰らなければならない。


「私の保険の調子はどう?」

風でほどけた艶めかしい黒髪をなびかせながらそう言って、

隣の席でよく笑った。


「雪の日に生まれたから名前、

雪なんて・・・ひどいよね」

そう言って、翌る日も笑っていた。


雪と出会って1つ季節をまたいだ頃、

僕の仕事がちょうど山場に差し掛かっていた。

コツコツとプレゼンを続けていた投資家がようやく首を縦に振り、

長野の田舎にホテルをオープンさせる事になったのだ。

目の前にある仕事量に朦朧もうろうとしながら、

僕は長野への出張に生活のほとんどを奪われ

雪と会う時間を見つけられなくなっていった。

気がつけば、雪に会えないまま

もうひとつ季節が移り変わろうとしていた。


ようやく雪と休日が重なったある秋の日、

鶯谷うぐいすだにの小さな蕎麦屋で昼間から2人で瓶ビールを3本開けた後、

その店の側の古いラブホテルに入った。

体重が3キロ落ちた僕の頬を指でなぞりながら

「気持ち悪い線がある」と雪が言う。

僕はスタイリング剤でパキパキに固まっている

雪の艶のある黒髪を折り曲げて「綺麗・・・」と言って、

僕の頬をい始めていた雪の舌を、

少し乱暴に指でつまんで僕の唇の中へ雪の唾液ごと押し込んだ。





「・・・・私、長野行ってもいいよ」

雪は言う。

「ほんとに?寒いよ?」

僕は訪ねた。

「私、雪だし・・・」

彼女は笑った。


いつの間にか寝てしまい

2人が目が覚めた時には雪の門限が迫っていた。




あの後、彼女を送った後で

雪と会うことは一度もなかった。

長野へ事務所を移すことになり遠く離れてしまった今でも

世界的疫病に僕の仕事は混沌としている。

あの頃みたく、疲れた僕の頬にはまだ

気持ち悪い線が残っている。


あれからなぜ、

僕は雪に連絡しなかったのだろう。

彼女もなぜ連絡してこなかったのだろう。

プリウスは今日もすこぶる快調で

事故など起きそうもない。

君の保険も調子が良さそうだよ。


今日も助手席の窓から

北アルプスのカーテン覗いて、揺れている。


What's it all about , Alfie?

(ねぇ、アルフィー?)

Is it just for moment we live?

(生きるってどういう事?)


映画の主題歌が車内に流れ始める。


遠くに見えてきた標識に

松本と書いてある。















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