第23話 すべての終わりに



  ナーザル 帝都王宮 第一広間 「勇者召喚の儀」開始まであと一時間あまり。

 皇帝カイエルを始め、重臣たちが集まり出している。


 エリカが広間の中央の床に、大きな魔法陣を描き、最後の仕上げに掛かった。

 その中央の魔法陣に呼応するように、蒼白い光を放つ小さな魔法陣が、あちらこちらに現れては消える。


 皇帝カイエルがまだ作業中のエリカに近づいて来た。

「よいな、エリカ、これは帝都の存亡に関わる、国家的なプロジェクトだ。絶対に失敗は許されんぞ」

「皇帝陛下…。わかっております。一刻も早く、勇者さまをいやらしいサクバスの魔の手からお救い致します。それはもう、何としても!!」

「サクバス?」



  ****



「あのぉ~、会計をお願いしたいんですけどぉ~」


 声に驚いてタクヤが目を覚ました。カップルらしい男女が、床に転がっていた自分の顔を上から覗き込んでいる。

 気がつくと、ミィーリィーが自分の上で静かに眠っている。


「ああっ!! す、すみません、今すぐ行きますんで、レジの方へお願いします」


 ミィーリィーを抱き起して、声を掛けた。

「美里さん、ちょっと、起きてください!」

 そう言って揺り動かしても、力なく自分にもたれ掛かったまま反応がない。

「仕方ないなあ」


「すみせん、もう少々お待ちください」 

 そのままレジで待つカップルの横を、お姫様だっこでバックヤードに運んで行く。


 背後から、「店内でイチャついてるとか、マジ有りえねえ」イラつく男の声と「いいじゃん、やめなよ」となだめる女の声が聞こえてきた。


 時計の針は午前6時を少し回っている。あれほど激しく降っていた雨もすっかり上がって、風も収まったようだ。



  ****



 エリカの詠唱と共に、再び蒼白く光り輝く小さな魔法陣が、同時にいくつも出現した。

 やがて、床に描かれた大きな魔法陣が続いて光り出すと、エリカの一声によって天井に巨大な魔法陣が姿を現した。


「おおーー!!」

 それを見上げた一同から、驚きの声が上がった。


 それぞれの魔法陣が、エリカの魔杖まじょうの光に合わせて蒼白く明滅する。

 エリカの詠唱の声が一段と大きくなった。



  ****



「美里さん、美里さん、・・・ダメだ、起きない」

 あの後、毛布を掛けてこのバックヤードに寝かせて置いたのだが、その後も何人か続けて来客があり、気にはなっていたが、様子を見に来ることができなかった。


「しょうがないなあ」

 毛布を掛け直しながら、目に入ったミィーリィーの寝顔に、思わず見入ってしまった。


「あれ? でも、俺、ゆうべ熱出したんじゃ…。なんか今、すげえ気分爽快なんだけど。なんでだ?

 あの時、ちょっと居眠りしたせいかな?」



 今日は朝の7時に交代の予定だったが、昨日、急遽ミィーリィーがシフトを代わった鎌田君が、気を利かせて二十分ほど早く来てくれた。

 あとはいいからと、もう一人が来る前にそのまま交代してくれた。



 まだ眠り続けて、起きる気配のないミィーリィーを背負い、バイトを終えたタクヤが店から出た来た。

 昨日の雨とは打って変わって、空気は冷たいが、少し前に昇ってきた太陽から、柔らかな日が差している。

「でも、美里さん、疲れたのかな、ホントよく寝てる」



 進行方向、目の前にある、高度の低い、真冬の太陽の日差しがまぶしい。


 一瞬左手をかざし、顔をそむけるように、何気に振り向いた時、目に入った顔が、何だかかわいらしく思え、タクヤの顔に笑みが零れる。ミィーリィーが目を開けた。立ち止まり、しばし黙って二人で見つめ合った。


「おはよう、美里さん」

「おは、よう…。――ああタクヤ! よかった…」


 その時、すぐそばにいた、大通りを行く小学生の男の子たちが、四車線ある通りを挟んで何やら言い合っている。

 すぐ脇に歩道橋があるが、こちら側にいる一人の男の子は、どうやら早く皆と合流したいらしい。友だちの声に誘われて、左右をよく見ず、ガードレールを乗り越えようとしている。

 右手前方から疾走してくるトラック。


「美里さん、ちょっと下りて」

 気づいたタクヤが背負ったミィーリィーを下ろし、すぐに駆け出した。

「待て、ダメだ、タクヤ行くな!!」


 タクヤは止まらない。後を追おうとしたミィーリィーだが、力なく足がもつれてその場に倒れ込んだ。 


 そのままガードレールを勢いよく飛び越え、男の子を抱き上げた。トラックはすでに目の前に迫っている。ドライバーを見上げた。首が垂れている。


――居眠り運転!!


「タクヤ!!」

 悲鳴のような声と共に、ミィーリィーが変身した。黒く曲がった角、飛び出す尻尾しりお、同時に翼が開き、一瞬でタクヤの目の前まで跳んだ。


――だめだ、間に合わん


 瞬間、両手で男の子をしっかりと抱いたタクヤを、道路脇に突き飛ばした。男の子を抱え、そのままごろごろと道に転がる。

 と同時に、トラックに思い切り激突したミィーリィーが、歩道に跳ね飛ばされた。

 響く急ブレーキの音。


「美里さん!!」

 タクヤが駆け寄る。すでに、全身光の粒子に包まれ出している。


 タクヤが抱きあげた。

「しくじった…。この程度の怪我で死ぬとはな」

「そんな、だめだよ死んじゃ。そうだ。あの時みたいに、俺の精気を吸えば」


「それはできない。さっき、勇者どのにすべて返したばかりだからな。それに、この傷ではもう無理だ」

「そんな、そんな……」

「これが私の本当の姿だ。おぞましいであろう…。できれば、見られたくはなかった。お前を最後まで見守ってやれなくてすまない。お別れだ、タクヤ。――勇者どの…」


「ああっ!! 消える、消える!!」両手でくうを掴み、必死に光の粒を捕まえようとする。


 冷たい木枯らしが吹いた。その時、一瞬のうちにミィーリィーの姿が目の前から消滅し、見えなくなった。

 


     

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