絶縁した相手からの贈り物

三鹿ショート

絶縁した相手からの贈り物

 呼び鈴が鳴ったために応ずると、其処には一人の女性が立っていた。

 鞄を手にしているところから察すると、旅行に向かうのだろうか。

 そんなことを考えながら何の用事かと問うと、彼女は頭を下げながら、

「これから、厄介になります」

 彼女が何を言っているのか、まるで分からなかった。

 何の反応も見せることがない私を訝しんだのか、彼女は首を傾げると、

「私の母親から、事情を聞いていないのですか」

 其処で、彼女は自身と母親の名前を口にした。

 母親の名前は、かつて交際していた女性のものだった。

 だが、恋人と別れてから何十年も経過し、その間、連絡をしたことは一度も無い。

 私の居場所を知っていることも疑問だが、絶縁した恋人に己の娘の世話を依頼するなど、何を考えているのか全く不明だった。

 しかし、何時までも外に立たせているわけにもいかなかったために、私はひとまず彼女を家の中に入れることにした。


***


 彼女は私の淹れた珈琲を口にしながら、事情を語り始めた。

 私と別れてから、かつての恋人は多くの異性と交際していたのだが、ことごとく碌でもない人間ばかりだったらしい。

 優しいと思っていた人間が交際を開始した途端、豹変し、暴力を振るうこともあり、博打に熱中して方々に借金をしている人間と交際していたこともあった。

 だからこそ、私と別れたことを悔やんだらしい。

 だが、自分から絶縁状を叩きつけた相手に縒りを戻そうなどと告げることはできず、かつての恋人は、次こそは良い人間だと信じながら、多くの異性と交際を続けた。

 しかし、結果が変わることはなかった。

「私の肉体を狙って近付いてきた人間もまた、存在していました」

 彼女は苦笑しているが、笑うことができるような話ではない。

 彼女に対して同情はするが、彼女の母親に対しては、ざまをみろと告げたくなった。

 彼女の母親が私に絶縁状を叩きつけてきた理由は、私が浮気をしていたということらしいが、そのような事実は無い。

 確かに異性の友人と過ごすこともあったが、其処には肉体的な関係は無く、健全なものだったのだが、嫉妬深い彼女の母親にしてみれば、それは浮気と同義だったようだ。

 私だけを責めるのならば良かったのだが、彼女の母親は私の友人にまで文句を言うようになったために、それを咎めたところ、言い争いになり、その結果、破局し、絶縁するに至ったというわけだった。

 其処で、私はそもそもの疑問を発した。

「何故、私を頼ることにしたのか」

 その言葉に、彼女は私の顔を見つめながら、

「私の母親は、病気でこの世を去ることについては何とも思っていなかったのですが、娘である私が天涯孤独になることを案じていたのです。だからこそ、かつて心から愛し、暴力などとは無縁のあなたにならば、娘を任せることができると考えたようです」

 確かに、私は彼女の母親と言い争いになったことは何度もあるが、手を出したことは一度も無い。

 同時に、血が繋がっていないということが分かっている若い女性と二人きりになったところで、枯れてしまった私が出来ることなど、何も無い。

 彼女の母親に対する恨みは残っているが、それは彼女には関係の無いことである。

 私もまた、孤独なまま老いることに対して抵抗感を覚え始めていたために、渡りに船といったところだろう。

 私は、彼女を受け入れることにした。

 彼女が浮かべた笑みは、かつての恋人に似ているような気がした。


***


 厄介になるということに加え、自宅で作業が可能な仕事をしているためか、彼女は家事の一切を引き受けてくれた。

 自宅で誰かと会話をしながら過ごすということなど久方ぶりであったために、現実感というものがまるで無かった。

 だが、良い時間であるということは、確実だった。


***


 彼女が外出していたため、私は退屈だった。

 ぼんやりと報道番組を眺めていたところで、その事件を目にしたとき、意識が明瞭と化した。

 それは、とある女性の遺体が発見されたというものだったのだが、どうやら事件性があるということだった。

 頻繁に目にするような内容であるにも関わらず私が関心を示すことになったのは、その女性が彼女の母親だったからである。

 病気でこの世を去ったと彼女は説明していたはずだが、何故何者かの手によって殺められたということが報道されているのだろうか。

「知ってしまったのですか」

 そのような声が聞こえてきたため、私は振り返った。

 報道に夢中になっていたためか、彼女の帰宅に気が付いていなかったらしい。

 彼女は溜息を吐くと、押し入れの中の私物を漁り始めた。

 私はその背中に向かって、問うた。

「どういうことだ」

 自分でも驚くほどに、声が震えていた。

 しかし、彼女は冷静な声色で、

「報道の通りです。母親が邪魔になったために、排除したというだけの話です」

 其処で彼女は立ち上がると、私に振り返った。

 その手には、手錠が握られていた。

 彼女は一歩ずつ私に近付きながら、

「実を言えば、私はあなたの娘なのです。母親はあなたと破局してから、私を宿しているということを知ったらしいのですが、浮気をするような相手に父親の資格は無いと考え、伝えなかったらしいのです」

 私は後退りをしていくが、即座に壁に当たってしまった。

 彼女は確実に私に迫りながら、

「あなたの存在を知ったとき、私は何故、それまで異性を愛することができなかったのかということを知りました。母親がかつてあなたを愛していたように、私が愛するべき存在もまた、あなただったからなのです」

 其処で彼女は肩をすくめると、

「ですが、母親は私のことを異常だと責めたのです。奇妙な話だとは思いませんか。自分が愛していた相手なのですから、その血が流れている私もまたその相手を愛するということに、何の違和感も存在しないでしょう」

 彼女は口元を歪めながら、接吻をするかのように私に顔を近づけた。

「あなたは自分が枯れていると思っているのでしょうが、これから私が、あなたの中の雄を蘇らせましょう」

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