5話 無茶苦茶な彼女だから出来たこと

 翌日。朝のホームルームが終わり、1限との間の休み時間。目の前に一枚の紙を差し出された千奔ちはやは、大きなため息を吐いた。


「なんか見た事ある紙だな」

「そっか、一回入ってたんだっけ?」


 差し出した翔華しょうかはニコッと笑って、ちょこんとしゃがみ、千奔の机の上に手を重ね、そこに顎を乗せて上目遣いを向けている。


「ねぇ、一緒に陸上部入ろ」

「昨日の話全く聞いてなかったみたいだね」


 翔華が自分を陸上に関わらせようとする事は、若干かわい子ぶるような仕草も含めて、千奔には煩わしく感じた。


「聞いてたよ? でも、お金の問題だったら、特待生制度で解決出来たはずってアスカン言ってた。何か他に出来ない理由あるんじゃない?」

「何でその事……委員長か」


 一瞬湧いた怒りも、翔華に問いただされる情景が浮かび、千奔は大きなため息をついた。


「あっても鷲野わしのには関係ない話だと思うけど」


 彼の声音から苛ついた答えなのは明白だったが、翔華は気づきつつも、こちらは声のトーンを変えず、あっけらかんとした表情を見せる。


「いやー、あたし陸上部入るから、部活仲間は多い方が良いじゃん?」

「確かバスケ部だったんでしょ? 急に陸上部って意味分かんないだろ」

「そっかな。あたし小学校の時は水泳部だったし。バスケ始めたの中学だよ? 高校でも何か無ければバスケ部入ろうかなぁってぐらいだったし、ここはいっちょ陸上部の救世主になるの目指す方が青春じゃん?」


 空いている隣の席に座り、翔華はニコッと千奔に笑いかけた。

 だが本人は理解出来ないという表情のまま肩をすくめる。


「めちゃくちゃだな。部活って普通得意な一つの事で頑張るもんじゃない?」

「色んな事を楽しめる方があたしにとっては大事かなぁ? それに、新しく始めた事の方が才能あるかもしれないでしょ!? ワクワクしない?」

「……才能ね」


 フッと自重気味、見方によっては馬鹿にしたようにも見える笑い方だったが、翔華は続ける。


「そりゃ実際全中で1位獲った才能ある人からすると、鼻で笑っちゃうかもだけどさぁ。それで笑うの正直性格悪いよ?」

「あぁ、ごめん、そういうんじゃなくて……」


 本当に悪気は無かったのだろう。千奔は真面目に、どこか物憂げに言葉を紡ぐ。


「才能の有る無しに気づける事は、奇跡に近しい幸せな事なのに……」

「なのに?」


 尋ねられて、曇っていた表情から、暗く笑む。


「幸せな分、失った時虚しくなる」

「…………」


 翔華は千奔から目を逸らし、目を閉じて、グッと拳に力を入れた。だが、次の瞬間にパッと華やいだ顔で語り出す。


「あたし、跳ぶ系ならそこそこやれる気がするんだよね。走り高跳び! あれ130㎝背面跳び出来るよ」

「地味に凄い、けど、女子は160跳べなきゃ話にならないと思う」


 千奔に言われて、翔華は自分の頭上に手を伸ばして、測るように上下させる。


「30㎝ってことは、あとプラス日本酒の酒瓶くらいの高さかぁ。難しいかな?」

「何だその例え……どうだろ。跳び方見てみない事には……。それに、才能あるかどうかはコーチとか先生で判断してもらうのが普通だし」

「ふーん、うちの陸上部ってコーチとかいるの?」

「コーチはいない。顧問がいるけど、陸上の事はあんまり知らない人だったよ。良い人だけどね」

「えー、じゃああたしの超絶潜在能力を見つけてくれる人いないじゃん」

「いや自分に自信があり過ぎるだろ。高校生にもなって、女子なのに厨二病なのか?」

「これ厨二病なん?」

「本気で自分に能力があると信じきっている顔だ……」


 翔華のあまりの自信のある言動、しかも暗示のように言い聞かせるでも無く、自分を全く疑ってない振る舞いと言動が、千奔は眩しく感じ、可笑しくなり笑ってしまったが、本人はうーんと唸りながら代替案を模索している。


「はやはやの友だ……知り合いに走り高跳び凄い人いないの?」

「なぜ言い換えた……いるよ」

「じゃあその人に時間作ってもらえないかな! 愛知の人? てか先生?」

「同じ中学の同級生……だけど無理だね。きっと忙しいだろうし、もうやり取りもしばらくしてないから」


 一考の余地はあれど、直ぐに断る形で切り返されて翔華は不満そうに肩を落とす。


「さっきから諦めはやはやじゃん。じゃあしょうがない。はやはやに見てもらうか」

「うざっ……って、何で俺なの。俺跳躍じゃ無いし、見ても分かんないと思うし」

「でも凄い人たちのジャンプは間近で見てきたんでしょ?」


 翔華に簡単に言われた事で、千奔は目を見張った。彼の脳内で1人の少年と、1人の少女が真剣に競技と向かい合う姿がよぎる。


「見てきたよ。死ぬほど」

「なら、今この学校の何も知らない誰かに見てもらうより、全国レベルの跳躍いっぱい見てきたはやはやの方が適任じゃん。え、あたし変なこと言ってる?」


 千奔の眼は翔華を見ているはずなのに、彼女では無いものを見据えているようだった。視界が開けた感覚。走れなくなってしまったと自負する彼が、陸上部や、翔華の力になれない理由を見つけても、走り以外で自分が培ってきたものは0にはなってないのだという考えに行き着いた。いや、彼女が行き着かせた。

 そのことに少し高揚している事が、千奔にとって何よりも自身の驚きであった。


「てなわけで、入部とまでいかなくていいから、今日からあたしのコーチとして部活に来る事。練習しないからウェアとかじゃなくて良いし、お金の心配いらないでしょ? あ、もしかして今日もバイト?」

「バイトは休みだけど……」

「はいっ! じゃあ決まりー! じゃあ放課後よろしくね!」

「……はいはい」


 元気いっぱいな彼女の前向きな願いを、彼は渋々と受け入れる。

 でもそれは、動く事の出来なくなった彼の背中を押す、確かな願いだった。



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