4話 どうやら彼女は無茶苦茶らしい。
立ち去る後ろ姿を見ながら、翔華は呟く。
「んー、はやはや、いい奴だと思ったんだけど、陸上も弱いヘタレかー」
「は、
急な大きな声の反論に、ビクッと狼狽える翔華。しかし、自分の爪を見ながら落ちた表情で言葉を返す。
「良い人で凄いんだったらもっと力になってあげてもって思うんだけど、あんな僕関係ありましぇーん。みたいな態度じゃ無くても良くない? あ、あと敬語こそばゆいから普通に話そ?」
「あ、う、うん。じゃなくてですね! あ、じゃなくてね!? 速水くん。4月に私が陸上部に勧誘した時、最初は断ってたけど、誰も入らなかったの見て、体験入部してくれたんだ」
勢いそのままににじり寄りながら、嬉しそうに語る明日香。
「え、入ってたの? はやはや」
「うん、それに、さっきも
さっきと打って変わって手をもじもじと弄り、視線もそちらへ下げてゆっくりと明日香は歩き出す。
「最初の総体の支部予選の時。練習中に倒れちゃったんだ」
「な、何で!?」
「身体には異常無かったんだけど、急に過呼吸みたいになっちゃって」
「……PTSDじゃん」
PTSD。または心的外傷後ストレス障害。過去にひどく衝撃的な出来事に遭った後、時間を置いても、その時の体験や記憶を無意識に思い出したり、夢に見たりすることなどが続き、酷い場合は過呼吸や、錯乱状態に陥るなど、日常的に支障をきたす場合がある。
翔華が言い当てた事に、明日香は驚き、目をぱちぱちと瞬く。
「そ、それ。よく知ってるね」
「アスカン、あたしが聞いといてなんだけどさ。このはやはやの話、あんまり人に話しちゃいけない内容かも。PTSDって本人の周りの環境と理解が大事なんだ。周りから知られてて、そういう目で見られてるっていう事がストレスになったりするから」
先程までと違い、急に真剣な表情で諭す翔華に、明日香は自分の目を疑うように、更に瞬きが止まらない。
「く、詳しいんだね」
「うん。あたしそっち系の医者目指してるからね」
「そっち系?」
「俗に云う心のお医者様? 恥ずかしいから内緒ね」
しーっと人差し指を唇の前に持ってくる翔華に、無言で何度も頷く明日香。
頷いた後、自省するように肩をがっくりと落とす。
「ごめん、プライバシーとか考えたら言わない方が良かったのに、速水くんの事、勘違いしてほしく無くて」
「アスカンは、はやはやが好きなんだね」
サラッと言われて、明日香は暫く静止し、そして5秒後、凄い勢いで手をわたわたと動かし始めた。
「ち、違うよ!? り、陸上が凄くて、そ、尊敬とかはしてるけど、別に好きとかじゃないよ!? 聞いてる!? 本当だよ!?」
「……そっか。そういうことね。だからずっと一人で」
狼狽が止まらない明日香に対し、片や一人でに何かを理解して、翔華は頷く。
千奔への淡い恋心を隠せたと認識し、安心しきった明日香は、ほっと胸を撫で下ろして言葉を続ける。
「倒れちゃった後からは、力になれないからってそのまま部活辞めちゃって、確かに速水くんち、母子家庭でバイト代もお家に入れてるって言ってた。そこからは私もあまり声をかけれなくなっちゃってさ」
どんどんと悲壮感漂う様子に、翔華は肩を優しくポンポンと叩いた。
「そりゃ声かけれないわ……。うーん、本人的には陸上やりたくても、お金と出来ないのか、やりたくない事に、お金で理由つけたのかどっちなんだろうね」
「た、多分前者だよ!」
「おぉ、また元気になった」
目をキラキラとさせてスマホで何かぽちぽちと操作して、出てきた画像を見せつける明日香。その画像には速水千奔が照れくさそうに笑っている姿が写っていた。
「何これ。はやはやじゃん……しかも、えー! なに!? あんな不愛想なのに笑ってる。なになに……中学記録目前の天才二人のインタビュー……100m走の貴公子? 速水千奔ぁ!?」
思わず大声で驚いてしまう翔華。明日香はその様子にニマーっとドヤ顔を見せて早口で喋りだす。
「
「不名誉な異名?」
あ、と思わず声に出す明日香、また余計なことを言ってしまった自覚があるのだろう。しかし、興味の視線が逸れない為、観念して口を開く。
「うん、その、シルバーコレクターって」
「シルバーコレクター……あ、2位ばっかだったってこと?」
コクリと頷いた明日香。スマホに映る千奔を見て、再度語りだす。
「速水くん、どの大会でも同じ地区のある選手に勝てなくて、中学最後の全国大会以外は2位だったんだ」
「ほーん、最後の全国大会は?」
「1位」
「え、い、1位!?」
「凄いよね! 私、感動しちゃって、その時のレース動画に残してるんだよ!」
明日香はまたスマホを見せつけているが、翔華は心ここに非ずという風な視線を動画に向けていた。
どうやらまさかの順位であったらしい。何か大きなミスなどがあって、2位以下になってしまい、心的障害が起きるほどのトラウマになってしまったと踏んだが、1位になれたのだとしたら、そうではないはず。千奔がPTSDになった理由がイマイチ読めてこない為、彼女の面持ちが曇る。しかし、動画が終わり、明日香はポツリと溢す。
「……だけど」
「だけど?」
「陸上で推薦が来てたはずなのに、何でうちの学校に来たのか、分からないんだ。本当、教室一緒だった時、死ぬほどびっくりしたし」
「あーそっか。全国1位なら強豪校から推薦来てもおかしくないもんね。うちのお兄ちゃんもスポーツ推薦だったし」
「しかも速水くんなら絶対全特だったはずだよ」
「ぜんとく?」
「入学料、授業料、全額免除の特待生ってこと」
「……意味わからん。お家にお金無いなら蹴る理由ないよね?」
「そうなの! でも、そこまで踏み込んだ話も出来ないし」
「なるほどね」
おろおろと悩む姿と対照的に、翔華は何かを決めたようにニッと笑い、明日香の手を掴んで早歩きしだす。
「鷲野さん?」
「じゃあ早速取りに行こう。入部届」
「ど、どうして」
問われた彼女は、あっけらかんと、そこに何のためらいも無く、こう言った。
「あたしとはやはやで陸上部入るからよろしく」
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