3話 勧誘されて

 終業式が早々に終わり、翌日からは通常授業に戻る。その前に彼女は旭山高校の事をある程度知っておきたいはず。というより、知っておくべきなのだが……。


「ここが理科室」

「ふむふむ、ま、教えられても多分忘れちゃうんだけどね」

「教えがいが無い……」


 千奔ちはや翔華しょうかに、一宮先生から頼まれて学校の案内をしているところだった。


「てゆうか、はやはや部活はいいの?」

「部活してないから頼まれたんだろ」


 何気ないようにツッコミをした千奔だったが、隣の足音が止まる。


「えぇ!? 何で!?」


 わざわざ立ち止まるのだから、本当に驚いたのが分かる。

 だが、千奔には彼女がそこまで驚いた理由が分からない。


「うちの学校、別に入部強制無いけど。帰宅部まぁまぁいるし」

「そうじゃなくて、絶対運動してる人の体つきと体幹じゃん? 朝のジャンプも余裕だったし」


 悠々と話す翔華に、ピシッと千奔の耳が反応した。


「何で体つきまで分かるんだよ」

「あー、ほら、受け止めてもらった時? 気を抜いてたにしては、がっしりしてるなぁって」

「あのたかだか数秒でそんなとこ気にするのやめてもらえないかな……」


 素で引いている千奔をよそに、翔華は話し続ける。


「冗談抜きで勿体無いなー。中学も帰宅部?」


 問われた千奔はボリュームの落ちた声で答える。


「……陸上部」

「へー、陸上部! 跳ぶ方? 走る方?」

「走る方。あと、投げる方も忘れないでもらっていいかな」

「いやぁ、投げる方って体が大きい人がやるイメージだし。はやはや身長170くらい?」

「171はある」

「170くらいじゃん……何そのびみょーな訂正」

「あ、あの!」


 そんなやり取りをしていたら、二人の後ろから、声を張り上げる女子がいた。


「おぉっと、あれ、えーっと」

「うちのクラスの学級委員長」


 千奔が目の前のサイドテールの大人しそうな女の子が誰なのかを翔華に教えると、フッと何故か鼻で笑われて返された。


「名前思い出してるとこだから。さっき色んな人と仲良くなったのに、分かんないわけ無いでしょ。はやはやじゃないんだからさ」

「どういう意味だ」


 二人の闘争のゴングが鳴り出しそうなのを悟った女子は、少し吃りながらも、割って入り、話し始めた。


「え、えっと、清水しみずです。清水しみず明日香あすか鷲野わしのさんに相談があって……」

「あたしに? いきなりだね」


 ごもっともな疑問だが、聞けば彼女が転校生だからという理由で納得が行くものであった。

 意を決したように明日香は翔華の方へと気持ちも足も、一歩踏み出す。


「もう入る部活って決まってるかなって!」

「部活? バスケ部があればバスケ部に入ろうかなって……えー、凄い顔」


 バスケ部という単語を聞いた瞬間に明日香の表情がどよんと沈んだ。


「そ、そっかぁ。そうだよね。決まってるよね……ごめんなさい」

「ちょいちょいちょいちょーい! アスカン! 何でフェードアウトしようとしてんの!」

「ア、アスカン?」


 今までに付けられたことのないあだ名の種類で戸惑う明日香。

 そそくさと去ろうとしていた足も自然に止まる。


「頼みたい事聞いてないじゃん。今の感じだと部活関係じゃないの?」

「う、うん。でも、やっぱり急にこんな事頼まれてもって思われそうで……」


 煮え切らない様子の明日香に、千奔は察したままに尋ねる。


「頼みたいのって、陸上部の件?」

「あ……うん。そうなんだ」


 千奔に言われて、シュンと項垂れる明日香。方や全く状況を察する事の出来ない翔華が分かりやすく首を横に傾げる。


「陸上部の件って?」

「あの、鷲野さん。お願いです。陸上部に入ってくれませんか?」

「陸上部?」

「このままだと廃部になっちゃうんです!!」

「は、廃部?」


 またも急な明日香の大声に狼狽える翔華。その事を気にせず、当人は事情を語り始めた。


「旭山の陸上部はここ数年、今の主将を除いて誰も予選会で入賞出来て無いんです。人数も今は四人だけしかいなくて、県大会に出れるのも一人だけだと、全く学校のサポートも無く、理解も無い状態で」


 困窮した様子が明日香の顔が先ほどより重たげに、暗く沈んでいることから察せられる。


「よく分からんけどヤバそう。何か友達が陸上ほど県大会出やすい部活無いって言ってたのはあれ嘘?」


 翔華の軽んじた発言に、千奔が気持ち冷たく言葉で諌める。


「それは中学の予選レベルの話だろ。成長期とか練習量とかで優劣が付きやすい時期なら、最初のうちは県大会まで行けたりはする。でもその先だったり、高校陸上はレベルが違うんだ」

「お、おぉ。流石元陸上部……ん?」


 千奔の説明を聞いた後、逡巡した様子を見せる翔華。

 そして、眉根を寄せた険しい表情で千奔を睨んだ。


「ってそんなヤバい状況なのになーんで、はやはや陸上部入ってあげないわけ?」

「あ、それは」

「いいよ、委員長」


 説明しようとした明日香を制して、千奔は翔華に向き直る。


「うちは貧乏。陸上するにはユニフォーム、スパイク、ランシュー、ウェア、ソックス、やる種目によってその他諸々かかる。しかも、下手したら廃部になって、かけた費用がパーになる。そんなのはごめんだ」

「薄情なだけかと思ったら、思ったより重い話だった……高校の部活レベルでそんなにお金かかるもんなの?」


 尋ねられた明日香が、一瞬千奔へ視線を向けてから、翔華に説明する。


「うーん、強い選手になると遠征費とかも出てくるし、練習量で消耗品にかかる費用も変わってくるから」

「え、何? はやはや強い選手だったん?」


 問われて千奔は一瞬言葉に詰まり、そして自嘲気味に答えた。


「……弱いよ。弱かったから……」


 千奔はそこまで言って、翔華の顔を見てからハッと我に帰った。


「ごめん、委員長、あと鷲野に学校の案内頼めるかな? 俺バイト行かないとだから」

「あ、う、うん」

「それじゃ」

「え、はやはや?」


 その場から逃げ出すように彼は歩みを早めた。

 思い出してしまった過去の出来事を、悔やむように、けれども慈しむように。

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