形に触れる_3


 イルデトゥス国王の住むカリュクス城は、王都の中央に位置している。

 高貴とされている白を基調として建てられ、城壁の中にいくつもの宮と庭を内包し、敷地をすべて含めるとちょっとした街よりも大きいのが特徴だ。昨日王召喚の儀を行った大聖堂も、城の敷地内にある。


『なかなかに立派な城でございますね。しっかり栄えているようで何より』

「一時期はもっと広くて、本当に街みたいだったらしいよ。確か、公爵家まで城壁内にあったって。修繕の都合で、直系以外の屋敷は外に出るように造り直されたらしいけど」


 元は学園も離宮のひとつだったことと思い出しつつ、アウローリィアは高い城壁を見上げた。


「私、何気に城に入るのは初めてです」

『あら? 貴族の子女は十六になる年の初めに王に挨拶をするのでは?』

「それがしてないんですよね……」


 してないというか、できなかったというべきか。

 身の内にいる女王が伺ってくる気配があるが、アウローリィアはそれ以上言うのは憚れて口を閉ざした。日の光を受けて白く輝く城壁を、窓越しに冷めた目で一瞥する。


 特に制止されることもなく王宮の通用門を潜った馬車は、何故か手前の馬車停めや謁見の間がある本宮ではなく、かなり奥まった宮の前で止まった。

 扉が開くと、乗せられた時とは打って変わって、出迎えてくれた女官が手を貸してくれる。敬意の伺える上品な仕草に、アウローリィアは大人しく馬車から降りた。


 足を踏み入れた宮は、馬車で通り過ぎた表側の建物と違って、通り過ぎる人間たちに妙な慌ただしさはない。恐らく公務用ではなく、王族の誰かが住まう宮なのだろう。

 白い石の壁は通い慣れた学園と同じでも、漂う空気は早朝の空気のように静謐で、アウローリィアは一歩進む度に自然と背筋が伸びるのを感じた。出迎えた者たちが一様に一糸乱れず最敬礼しているのもあるだろうが、この宮の主人の気質もありそうだ。


 案内された応接間はそれほど歩かずに辿り着いた。宮の規模からして入り口に程近いそこは、あまり親しくない客向けなのだろうとアウローリィアは勝手にあたりをつける。


「主人が参るまで、こちらで暫くお待ち下さいませ」

「わかりました」


 接待の為に動き回る女官たちの中、アウローリィアは静かに部屋の中を見渡した。


 まだ早い時間だからが、大きな掃き出し窓にかけられた幕は開け放たれ、白い朝の光が穏やかに差し込んでいる。

 踏む度に柔らかな感触を返してくる深緋の絨毯は、この国の西の方の特産品であり、王に献上される高級品。よく磨かれた調度は、すべて質の良い黒檀で揃えられている。

 どれも重厚感はあるが、程よく配置されているため、圧迫感は感じられない。


 馬車を降りた時から思っていたが、宮全体が華美過ぎることなく、それでいて上等なもので不足なく整えられている。下手をすれば無骨とも取れないが、品のよさがそうはさせない。


 案内されたテーブルには、長椅子側にカップが二組用意されていた。片方はアウローリィアの分で、もう一方は女王の分なのだろう。アウローリィアが椅子の半分を埋めるように座ると、女官が茶の用意を初める。


「アウローリィア姫」


 二つ目のカップにも茶を注がれるのを眺めていたアウローリィアは、不意に名前を呼ばれて顔を上げた。視線をやると、侍従の恰好をした青年が応接間の入り口に立っている。


「なんですか?」

「主人は少々執務が立て込んでしまってしまい、こちらに参るのにお時間を頂くことになりそうです。わざわざ朝早くからお越しいただいたところ申し訳ございませんが、今暫くお待ち頂けますでしょうか?」


 言葉通り若干申し訳なさそうな青年に、執務なら仕方がないとアウローリィアは澄まし顔で頷いた。


「わかりました。お待ち申し上げておりますとお伝えください」

「ありがとうございます」


 何故か苦笑しつつ、侍従の青年は去っていく。代わりに、入室してきた新しい女官が焼き菓子をいくつも乗せた皿を持って来た。


「どうぞお召し上がりくださいませ」

「…………ありがとうございます」


 一体どれだけ待たされることになるのか。あからさまな時間潰しに、アウローリィアは苦虫を嚙み潰したような顔で焼きたての菓子を凝視した。


「これ、食べても大丈夫なやつかな」

「毒見いたしましょうか」


 何の前触れもなく少女の隣に現れた女に、控えていた女官たちの間で動揺が走る。


 今朝と打って変わって、女王は召喚した時と同じ紅い大輪のドレスを纏っていた。その人形めいた容姿と相まって、この逸品揃いの部屋によく似合う。


 女王は無作為にひとつを己の皿に取り上げると、優美な仕草で小さく切り分けて口に含んだ。部屋中が注目する中、咀嚼でさえ上品な女王は、ゆったりと考える素振りを見せる。


「毒などは入っていないようですね。普通に美味しゅうございます」

「入ってたらわかるんですか?」

「種類まではわかりませんが、入っているかどうかはわかりますよ。生きていた頃に、何度か盛られたことがございますもの」


 建国の女王に毒を盛る不敬者がいたのか。アウローリィアはカップを傾けている女王を戦々恐々とした目で見たが、まだ国が不安定な時期だったのだろうと己を納得させることにする。


「本来なら用意した本人に食べさせればよいのですが、まだいらしてませんもの。それに肝心の毒見で上手く毒だけ避けられても意味がありませんし?」


 飄々と宣う女王に対し、女官たちの表情が段々と微妙になっていくのがわかる。アウローリィアが用意した本人だったら、十中八九同じ顔をしている自信がある。


「ええ、問題はなさそうです。どうぞお召し上がりくださいませ、わたくしの王」


 女王の許しが出たアウローリィアは、皿の上のひとつを手に取る。


 黄金色こがねいろに焼かれた焼き菓子は、さっくりとした表面に歯を立ててだけで卵とバターの香りが鼻を突き抜けて行った。ふんわりとした生地を咀嚼すれば、くど過ぎることのない程よい甘さが舌の上に広がる。

 素朴で単純な作りな故に、焼き加減の絶妙さが際立つ。きっと職人の腕がよいのだろう。その昔、宮廷料理人だったという屋敷の料理長といい勝負かもしれない。


 だが朝食を食べてからそう時間が経っていないアウローリィアは、次へと手を伸ばすのをやめた。代わりに鞄の中から今日受ける予定だった講義の教本を取り出し、目的のページを開く。

 そんな契約者を、女王は二つ目を嚥下しながら目を細めて眺めていた。


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