形に触れる_2


 王になりたいのか。その問いに対し、アウローリィアの答えは否だ。

 だが彼女を選んだ女王は、それを聴いて怒るだろうか、悲しむだろうか。それとも。


「あの、姫様」


 不意に、固唾を呑んで二人の王族のやり取りを伺っていたエルザが声をかけて来る。


「……なに?」

「そろそろお時間が近付いて参りましたが、本日は登園されるのでしょうか?」


 老婦人が指差すのは、食堂の壁にある年代物の柱時計だ。見れば、時刻は明けの八時になろうとしていた。


「忘れてた!」


 急に立ち上がったアウローリィアに、女王は小首を傾げた。手を軽く払う仕草で契約の証を搔き消すと、慌ただしく自室に戻る少女の後を追う。


 部屋に入ると、若葉色のドレスが床の上に投げ捨てられるところだった。女王はそれらを拾って皺にならないように丁寧に長椅子へと掛けながら、衣装棚を開け放っている少女に尋ねる。


「何処かへいらっしゃるのですか?」

「今日は学園。講義があります」

「学園?」


 きょとんと眼を瞬かせる女王に応える余裕もなく、アウローリィアは衣装棚から着替えを取り出す。


 膝を覆う程度の丈しかない乳白色のドレスに上着を重ね、襟に黒いリボンを巻く。靴も部屋履き用の布靴ではなく、よく磨かれた革靴に変え、ドレスと同色の帽子を灰金髪の上に乗せる。

 すっかり規定の制服に着替えてしまったアウローリィアを、古き女王は興味深そうに眺める。


「わたくしもご一緒しても?」


 好奇心で輝く夜水面の双眸は、伺いはしても置いて行かれることを微塵も疑っていない。通学用の指定鞄の中身を確認していたアウローリィアは、手を止めて空中へ視線を彷徨わせた。


「建国の女王って、学園に連れてって大丈夫なのかな……」


 伝説の女王の登場に、王が召喚されるとわかっていた儀式の間でさえ、阿鼻叫喚の嵐だったのだ。まだ成人していない貴族の子女たちの集まる学園内では、間違いなく混乱が起こるだろう。


「見つからなければよいのですか?」

「え? こっそり後ろついて来る?」

「それでもかまいませんが」


 笑みを深め、女王は片目を閉じた。まるで悪戯を思い付いたほんの少女のように、他愛もない仕草には茶目っ気が乗せられている。


「わたくしたちの身体は魂を召喚する際に、魔法で過去の情報から仮の肉体を具現化させています。なので物質であるという状態を解除してしまえば、ほら」


 女の輪郭が揺らぎ、華奢な四肢が紅く光りながら収束する。やがて光は手のひらに収まってしまいそうな大きさになると、アウローリィアの身体に吸い込まれていった。


『魂だけの状態になると、召喚者の体内に入ることができるのです』


 耳の奥に直接響く得意げな声に、アウローリィアは目を丸くする。


「聞こえ方が不思議な感じ」

『ちなみに五感は貴女が感じたものがそのまま共有されます』

「そうなんだ……?」


 他人に自分の感覚が共有されるというのが、いまいち想像がつかない。つかないが、今はそんな時間がない。


『お急ぎでしたら、学園とやらの近くまで転移でお送りいたしましょうか?』

「えっ。転移魔法、使えるの?」

『あら。昨夜もそうして帰って参りましたよ?』


 言われてみれば、昨夜は暗転するかのように一瞬で目の前の光景が変わったことを思い出す。その前に起こったことに気を取られ過ぎて、すっかり忘れていた。


『何処へ行きたいのかお望み下さいませ、アウローリィア。そうすれば、わたくしが貴女を何処へでも連れて行って差し上げます』


 歌うように、女王は言葉を連ねる。姿が見えずとも、とても美しい笑みを浮かべていることは想像に難くない。


「どこへでも……?」

『ええ、何処へでも――貴女の行きたい場所へ』


 その言葉は、今まで聞いたどの言葉よりも甘く、アウローリィアの心に響き渡った。




*****




 アウローリィアの屋敷は、貴族街といっても平民街に程近い端にある。なんでも、王女であった曾祖母が降嫁して王都に別邸を構える際に、街の外にも出かけやすい場所を希望したため、この立地になったらしい。

 そのためアウローリィアは、貴族街のほぼ中央にある学園へ、毎日一時間近くかけて歩いて通っていた。


『行き先は学園の正門でよろしいでしょうか?』

「……ちょっと待って」


 朝の正面門は登園の馬車で混雑する。その中に転移すれば、目立つこと間違いない。それは嫌だ。

 考えた末にアウローリィアが転移先に指定したのは、人の目に付き辛い学園の裏庭の隅だ。


『では、参りますよ』


 女王が言った次の瞬間、アウローリィアの視界は住み慣れた屋敷から、見覚えのある鬱蒼とした裏庭になっていた。


「すごい……すごいすごい……!」


 確か、転移魔法は宮廷魔法使いでも一部の者しか使えない高等魔法だった筈だ。

 それを大した準備も呪文の詠唱もなく、ただ呼吸するかのような気軽さで行使された事実に、アウローリィアは目を輝かせて見慣れた学園の白い石壁を見上げる。


『ただの転移なのですが……これほどまでに喜ばれると、使い魔冥利に尽きますね』

「ただのって……多分この学園にも使える人ほとんどいないと思いますよ?」

『え』


 思わずと言った声に、移動しようとしていたアウローリィアは足を止めた。


「エディルーシア?」

『それほど、現代には転移魔法の使い手がいないのでしょうか……?』

「え、確かそうですよ? 魔法学科の学長は使えるって聞いたことありますけど、学生は全くと言っていいくらい使えない筈です」

『そう、なのですね……ちょっと、驚いてしまいました』


 何故だろう。物凄く衝撃を受けられているような気がする。歴代の王は大地に記憶された智をもって顕現すると聞いているが、もしかして女王は現代魔法の常識は持っていないのだろうか。


 何はともあれ、今朝は遅刻することも全力疾走することもなく学園に辿り着くことができた。アウローリィアは誰にも見られていないことを確認すると、裏庭を出る。

 校舎の合間を縫って表に出れば、揃いの制服に身を包んだ学生たちが行き交っていた。


 登園してまず行うのは、構内掲示板の確認だ。休講情報に新規講座の受講生の募集、学内活動の案内、はたまた時事の速報など、世情に疎いアウローリィアには気にしておくことは多い。

 そのため掲示板のある正面玄関に回ろうとしていたアウローリィアは、しかし背後から突如として大きな声に呼び止められた。


「アウローリィア嬢!」

「は、はいっ!」


 貴族の子女の通う学園とあって、大声を出す者は早々いない。思わず飛び上がりかけた心臓を抑えつつ振り返れば、教務課の担当者がそこに立っていた。


 子爵夫人でもある担当者は普段から何やら慌ただしくしているが、今朝はいつにも増して顔を紅くして興奮している。

 その勢いに気圧されつつ、アウローリィアは担当者に向き直る。


「な、なんでしょうか……?」

「王宮よりお迎えがいらしています! 至急登城なさいませ!」

「え」


 王宮、迎え、登城……日頃から無縁な言葉の羅列に、アウローリィアは困惑した。

 だが担当者はそんなアウローリィアを意に介さず、少女の手首を掴む。半ば引き摺られつつ、向かうは来客用の馬車止めだ。


「でも、講義が……」

「講義よりも王宮のご命令が優先です!」

「そんな」


 普段来客用に開けられている馬車止めには、剣と鷹を組み合わせた紋様を掲げる豪奢な馬車が停まっていた。どこかで見たことのあるとアウローリィアは記憶を手繰りかけたが、その前に有無を言わさず車内に押し込められる。そして扉が閉まると、馬車はすぐに走り出した。

 反論の余地すらなかった一連に、訳が分からず窓の外を見ると、呆気に取られた生徒たちの顔が見える。


「なにが起こってるの……?」

『アウローリィア、馬車の中で立たないで。舌を噛んでしまいますよ』


 耳に直接届く声に、アウローリィアは呆け顔のまま、ひとまず大人しく従う。


 腰を下ろした座席には、上等な布が張られていた。少し起毛していて、触れると指先が滑らかに滑る。しかもバネがよく聞いているのか、それとも相当クッションが重ねられているのか、乗合馬車とは比べ物にならないほど座り心地がよい。とても金がかかっていることは、アウローリィアにでもよくわかった。


「なるほど……お金の差は此処に出るんだ……」

『何の話です?』


 アウローリィアは目を瞬かせた。てっきり思考まで共有されているかと思ったが、そうではないらしい。


 再び窓の外を見ると、登園中の馬車の列を遡っていくところだった。アウローリィアの乗る馬車を見て慌てて避けていく御者たちの器用さに、思わず感心してしまう。


「あの、今日って何かあるんですか? 多分昨日関連ですよね?」

『さあ? 特に何かがあるとは、伺っていませんが……』


 女王がわからないのなら、アウローリィアにも知りようがない。だがどれほど考えても、呼び出される心当たりがアウローリィアにはなかった。


 答えの出ぬまま、馬車は王宮へ向かっていく。

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