召喚の儀_2



 彼女を表す言葉はいくつもある。


 今はなき神の国の聖女。

 そらの女神の愛娘。

 戦場に咲く紅薔薇の乙女。


 そしてこのイルデトゥスで最も有名な、建国の女王。




*****




「アウローリィアですか。よい名ですね」


 静まり返った広間内に、女王の澄んだ声だけが響き渡る。


「驚かせてしまったようで申し訳ございません。お手をどうぞ」

「ありがとう、ございます……?」


 これは夢なのだろうか。物凄い美人が自分だけを見て微笑んでいる。だがアウローリィアが掴んだ手は確かに柔らかく、立ち上がる際に強まった花の香りは幻とは思えない。


「あの……」

「なんでございましょう、アウローリィア」


 どれほど見ても神々しいほどの微笑み。アウローリィアは無礼も承知で、恐る恐る口を開いた。


「エディルーシア、初代女王陛下……で、いらっしゃいますか……?」

「左様ございますが」


 不思議なことを聞くものだと、美しき女王は小首を傾げる。しゃらりと、涼やかな音を立てて蝶翅を模した金の髪飾りが揺れた。


 次の瞬間、堰が壊れたかのように広間中から声が上がる。


「本物の女王陛下!?」

「伝説の建国の女王……!」


 耳をつんざく大声に、アウローリィアは反射的に身を竦めた。思わず目を瞑り、支えてくれる腕に縋り付く。


「あの娘は誰だ!? 女王を呼び起こしたあの娘は!」

「アウローリィア? 一体どの家の姫だっ?」

「第二十一代の孫娘の孫娘!? なんでそんな傍系が、初代を召喚できるんだ!?」


 王候補者として全くの無名だった少女が、よりにもよって初代女王を召喚した。

 筋書には一切なかったことに、居合わせた者すべてが悲鳴を上げている。神官も列席した貴族も巫女も集められた王族たちも、みんなみんな。

 あの神官長でさえあんぐりと目と口を開けてしまっていた。実に間抜けだ。


 蜂の巣を突いたようだいう言葉がぴったりになってしまった召喚の間を、アウローリィアは呆然と見渡す。

 だがそれもすぐに収まった。


「――騒々しい」


 凛然と響く声。先程までアウローリィアにかけられていたものとは打って変わって、僅かに威を孕んで発せられた女王の声に、場内は再び水を打ったような静けさへと移ろう。


「候補者はまだいらっしゃるのでしょう? なれば早く儀式を続けなさい」

「お、仰せのままに……」


 つい先程まで偉そうにふんぞり返っていた神官長の声が震えている。態度が変わり過ぎて、気味が悪いくらいだ。


 女王に縋り付いたままアウローリィアがこっそりそんなことを思っていると、舞台の下で控えていた女官が声をかけて来た。


「どうぞこちらへ。女王陛下、アウローリィア様」


 儀式の前とは打って変わってしおらしくしている巫女役が示す先は、王候補者のために用意された椅子だ。

 よく磨かれた黒檀に光沢のある紅い布が張られ、眩いばかりの金で細工のされた華美な椅子。玉座に似せて作られたそれは、全部で五つある。

 広間を見渡せる高さに並べられた中で、アウローリィアに指示されたのは中央の椅子だ。


 成人王族が想定されているからだろう。先月十六になったばかりの、しかも同年代と比べて小柄なアウローリィアには少し大き過ぎる椅子だ。深く座らなくても、爪先が届くかどうか。

 流石にこの場で飛び乗る訳にはいくまい。だが未だ混乱している場内で、少女の困惑に気付く者は誰もいない。案内の女官も、アウローリィアがなかなか座らないことに気付かないまま下がろうとしている。


「あ、あの……」

「失礼致します、アウローリィア」


 不意に傍らから伸びて来た細い腕に、軽々と抱き上げられる。近くなった花の香りと己に触れる柔らかさに硬直するアウローリィアを、初代女王は澄ました表情で椅子の上に座らせた。


「そう緊張せずともようございますわ。何かあればわたくしがご対処いたします」


 耳元で囁かれた声に顔を上げると、夜水面色の瞳が茶目っ気を含んで細められていた。身体が離れていく際、さりげなく頭を撫でられたかと思えば、捲れていたドレスの裾を整えられる。


 女王とは思えない気さくな言動。現に近くに控えていた神官たちも目を丸くして女王を見ている。


「…………」


 ほんの少しの間に色々なことが起こり過ぎて、頭の奥がふわふわする。どうしてこれが夢ではないのだろう。考えても考えても、答えは出ない。出なくていいのかもしれない。

 だがすぐに馴染みのない居心地の悪さを覚えて、アウローリィアは唇を引き結んだ。ドレスの裾を押さえるように、膝の上で手を握り締める。


 座ってみた椅子は、やはり爪先しか届かなかった。




*****




 初代女王の一喝の後、儀式は恙なく進行していく。なあなあで気怠げだった空気は、当たり前だが既になかった。


 最初だったアウローリィアが初代を召喚したからか、魔法陣に入る顔にもしや自分もという感情が透けて見える。だが誰も召喚の陣を光らせることはできず、段々と奇妙な沈黙が降り積もっていく。


 そうしてアウローリィア以外に王を呼び出せた者はひとりも出ないまま、上位王族の番になった。

 アウローリィアたち下位王族たちが使った脇の通用扉ではなく、両開きになった正面の大扉が開く。

 先頭に立つのは、イルデトゥスの現国王だ。白いものが混ざり始めた黒髪に金の王冠を頂き、傍らに王妃を従えた王は、金刺繍がなされた漆黒のローブを引き摺りながら入場してくる。そしてその後ろに、若い五人の青年たちが続く。


 全員が成人年齢である十八よりも少し上に見える彼らは、本来の有力候補者たちだ。気品の感じられる顔立ちをしていて、揃いも揃って毛並みがよい。


 だが用意された玉座のひとつを埋めるアウローリィアとその傍らに立つ女を目にした途端、王一行に動揺が走った。


「既に、いずれかの女王がいらしているようだが」


 王の硬い言葉に、神官長が慌てて首を垂れる。


「は……初代国王、エディルーシア陛下でいらっしゃいます」


 イルデトゥスに住む者ならほんの幼子でさえ知っている名に、現王たちは息を呑む。


「はっ? 建国の女王? ……あの子が呼び出した!?」


 五人の中で一番若い茶の猫っ毛を撫でつけた青年が、声を上げて騒ぎ出す。すぐ前に立っていた黒髪の青年が嗜めるが、その黒目にも信じられないという思いがありありと浮かんでいる。


 混乱のあまり、どうやら連絡が抜かっていたらしい。あからさまだったのは先程の青年だけだったが、上位王族の反応は程度の差こそあれど、似たり寄ったりだ。

 流石の現王はすぐに平静を保って見せているが、それでも若干頬を引き攣らせ、座っているアウローリィアを注視する。


「ひっ……!」


 探るような、責めるような。とても好意的とは思えない視線に、アウローリィアは小さな身体を強張らせた。召喚の陣に入る時でさえなんとも思わなかったというのに、急に不安が湧き上がってくる。


「ご心配には及びません、アウローリィア」


 固まる少女の肩に、女王の手が添えられる。見上げた女王の美貌は、相変わらず微笑んでいた。


「もうすぐ終わりますもの」


 国の行く末にも関わる神聖な儀式に対しては辛辣な言葉に、現イルデトゥス国王が渋面になる。

 だが時間の都合もあるのだろう、すぐに本来の王候補者選出の儀が始まった。


 最初の公爵家の姫が、召喚の陣の傍らに膝を突く。艶やかな黒髪を清楚に結い上げた彼女は、青白い顔で口上を述べる。


「我がイルデトゥスの血に連なる王よ……どうかわたくしに、貴方様のお力をお貸しくださいませ……」


 震える声に、召喚の陣は応えない。光るどころか、魔力が微塵も揺らがない。

 選ばれなかったことを覚った女の顔から、完全に血の気が引く。


 その代に選出される王候補は最大で五人。これは一度に呼び出せる歴代の王の上限と同じだ。必然的に、本来予定されていた候補者のひとりは爪弾きにされることになる。


 多くの女官に囲まれ、今にも倒れそうな足取りで舞台から降りていく女から、アウローリィアは視線を逸らした。

 そんな召喚者を、初代女王は底の伺えない瞳で一瞥する。




 そうして、召喚の儀は終わった。


 公爵家の令息に、第二十二代国王が。

 大公家の姫に、第十九代国王が。

 第二王子に、第十四代国王が。

 そして最有力候補である第一王子に、第三代国王が応えた。


「以上をもって、第二十五代イルデトゥス国王候補者の選出の儀を終了する」


 現王の宣言に、歴代の王も含めて全員が立ち上がって一礼する。

 アウローリィアも女王の手を借りながら、何とか立ち上がった。


 ほんの二、三時間の儀式だったというのに、色々なことがあり過ぎた。

 溜め息を吐きたくて仕方がないアウローリィアに、女王は支えるように寄り添う。


「お疲れのようですね、アウローリィア」

「……ごめん、なさい」

「謝ることではございませんよ」


 疲弊した精神に、柔らかな女王の声が沁み渡る。


「今日はこのまま下がりましょうか。それとも何かご予定があったりします?」


 アウローリィアは首を横に振った。予定があったとしても、今はただただ家に帰りたい。


「そこのお前。わたくしの王は先に下がります。他の者にもそうお伝えなさい」

「ぎょ、御意にございます、女王陛下」


 巫女役に命じる女王の向こうで、隣の第一王子が腰を浮かせる。だがそれよりも先に、アウローリィアは女王の手を取った。


 召喚者を連れて悠然と階下へ降りる女王に、おのずと人の壁が割れる。誰かが話しかけようとしていたようだが、紅いドレスに阻まれる。


「どうのようにしてお帰りになるご予定でした?」

「……街馬車で来たから、帰りは歩き」


 初代女王に選ばれた者とは思えない交通手段。急に気恥ずかしさを覚えて、ぼそぼそと小さい声で告げる。

 だがアウローリィア意に反して、女王の笑みが深まる。


「それは都合がようございます」


 視界が白く染まる。

 そう思った次の瞬間、アウローリィアの視界は喧騒の満ちる大聖堂の広間ではなく、夕日に照らされる自宅の中庭になっていた。



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