第14話 ストラディア辺境伯領②(時に他方)

「先ほどの煙は、攻撃魔法だろうか」

「そうですねー。かなりの魔力と気配の消失がありましたから、相当な規模だったと思います。ただ、ちょっと普通に魔法を撃った感じではないんですけどね」

 イル様の問いに私達の背後に立つロボスが答えた。

「どういうことだ?」

「何かを、ぶつけた感じですかね。……これ、多分辺境伯ご当主じゃないかと――」

 ロボスが言葉を止め、部屋の扉を見た。

 つられて全員がそちらを見つめること暫し。

 ――こんこん。

 可愛らしいノックの音がする。

 やっぱり来たか……。

 ラミアに頷いてみせると、扉を開けてエルメリウムとワゴンを押している執事のヒブが入ってきた。

「お茶をしてるって聞いたから~。おっいしーいケーキ持ってきました」

 嬉しそうに殿下の横に座るエルメリウム。

 ぼすんと衝撃が来た途端、ソファの反対側に座っていた私はその勢いに押されて端へ押しやられる。

「大丈夫か、セレ」

「ええ、ありがとうございます」

 ぐっと殿下に抱きかかえられる様に支えられて事なきを得たけど、ソファの端から腕置きを乗り越えて転げ落ちるかと思った。

「あれー。ごめん、セレイン。気づかなかった―」

 いやいや、ぜっっったいワザとだろ。

 可愛子ぶっているその顔面に紅茶ポットを叩き込みたくなったけど、頑張って我慢……。

「気を付けてくれ、エルメリウム嬢」

 殿下の真面目な抗議に背後でぷふっと吹き出すロボス。

 何について笑ったかによっては、色々考えるわよ。との思いを込めて睨んでおくと慌てて真面目な顔を作る。

「ごめんなさーい、でんか」

 いや、こっちに謝れ。

「それよ――」

「あ、ケーキ食べてくださいね。これ、ボクのおすすめなんですけど、めっちゃおいしいんです~」

 ヒブから受け取ったケーキの皿を強引に押し付けられて、イル様は素直に受け取ってしまう。

「パティシエが張り切って作ってくれたんで、皆さんのお口に合うと思いま~す」

 ヒブが私の前に皿を置き、残りのケーキをラミアに渡していた。クリームが繊細にデコレーションされ、ピンクのバラを模したチョコレートが乗っている。

 何かを仕込んで……は、いない。

 確認したのがばれたのか、こちらを見てにやりと嗤うエルメリウム。

「でーんか。手がふさがっちゃいましたね」

 取り上げたフォークで素早くケーキを掬い取り、イル様の口元へ差し出す。

「はい、あーん」

 強引に素早く押し付けたケーキを、慌てたイル様がぱくりと食べた。


  ――ばきっ。


 ……あら、手元のフォークが砕けたわ。

 造りが安っぽかった?客に出すものとして、どうなの。

「――ぐ、その、……んぐっ、セ、セレ……」

 慌ててもぐもぐ口を動かしてケーキを飲み下す殿下。

 あら、なんでそんなに真っ青になってるんでしょうか。汗までかいて、暑いのかしら?

「いや~。ピンチに陥ってるからじゃないですか?」

 愉しそうね、ロボス。

 ビキビキッとガラスがひび割れるような音がする。

 ここの窓は分厚いから、ひびなんて入らないはずだし、変よね。何の音?

 あら、殿下の顔が白いわ。

 口をパクパクさせて、魚みたいねー。

「あ、ヤベ……!お嬢様、マジギレしてる……」

 焦ったロボスが何か呟いてたけど、もっとはっきり言ってくれないと聞こえないのよね。

 背後でごすんと鈍い音を立てて、重くて硬いものが絨毯に落ちた。

 今まで全く動いていなかった影が身をすくませて視線を動かすと、大きく目を見開いた。

「でーんか。美味しかったでしょう?はい、もう一口……えっ?!」

 ばりん。

 エルメリウムの持つ皿が真っ二つに割れ、ケーキがぐしゃりとフリルの上にへばり付いた。

「あら、勿体ないわね」

「ちょっと、セレイン!ボクのドレスに何てことしてくれるの?!」

「――あなたがケーキを落としたんでしょ?」

 にっこりと微笑んでみせると、一瞬言葉を飲み込んだエルメリウム。顔を赤くしたと思ったら、おもむろに立ち上がって、スカートから落ちたケーキをまたいで扉へ向かう。

 あらあらそんな大股で。ドレスの裾がばさばさしてるじゃない。

「もー。着替えないといけないじゃん。夕食までそんなに余裕ないのに!」

 ぷりぷりと怒ったままこちらを見ずに部屋を後にするエルメリウム。ヒブは丁寧に非礼を詫びてその後を追った。

「落ち着きがないわね」

 あぁ、紅茶がおいしい。ラミアってば、本当にお茶を入れる天才ね。

「そ、その……セレイン……」

 あら、殿下。手をうろうろさせてどうしたんでしょう。

「何か?」

「いや、その、あの……申し訳、なかった」

「ナニがでしょう?」

 聞き返すとびくりと肩を震わせる殿下。

「あ、や、ええ……と、ケーキが――」

「ああ、ケーキ。食べさせてもらって、美味しかったですか?」

 あら。殿下、すごい汗。

 ここ、そんなに暑くないと思うんだけど。

「ち、違うんだ……いきなり近づけられて、その、は、反射的に……」

 へぇ、反射的。

 がちゃん、と紅茶ポットが左右に割れ、テーブルを茶色に染めた。

「お嬢様、汚物を見るような目つきは、さすがに不敬かと思われます」

「あら」

 ありがとラミア。気をつけなくちゃね。反省反省。

 思っていることを表情に出すなんて、まだまだだわ。

「そろそろ夕食の席のご準備をいたしましょうか」

「そうね。おじさまにご挨拶しなくてはいけないし、頼んだわラミア」

「ええ、お任せください」

 ラミアはそう言って、ぎこちない動きで挙動不審な殿下を見た。

「では、お嬢様のお支度をいたしますので、殿下もご準備をお願いいたします」

 殿下と影、そしてロボスまで雑に部屋を追い出された。

「今日の衣装は臙脂殿下にない色にしておきましょうか」

 さすがね、ラミア。




 ※

 いつも思うけれど、この方は多分アレだ。――変態ってやつだ。

 エルメリウム様が五歳の時に護衛として就けられたオレは、てっきり出世の道を閉ざされたと思ったものだ。同じ双子のカルマンドラ様の方が優秀だと思っていたし、カリスマ性だってあった。

 だが、エルメリウム様の強さは異常なのだ。

 カルマンドラ様が正統派の武人であるのに対し、エルメリウム様は戦の天才だった。

 十歳を超えるころに周知されたのは、敵を殲滅するよりも敵国そのものにダメージを与える方法を考え出し、やってのける才覚。

 言動におかしなところが多少見られても、補って余りあるものをお持ちだ。

 ご当主様が嫡子をお決めにならない理由はそこにあるのだろうと――思う。

「ふ、ふふふふふふ。さ・い・こぉ」

 衣裳部屋から聞こえる何とも言えない声と音。

 正直、ここから逃げたい。

 普段からちょっとヤバい方ではあるんだが。セッター辺境伯令嬢が来られると、ヤバさが天元突破する。

 入れてもらえない入りたくない衣裳部屋が毎回どうなっているのか、知りたくない。

 ――オレはたとえ戦場で死ぬとしても、まともな恋をしてみたい。

 あっちの世界には、決して触れるわけにはいかないのだ。

「ご主人様、そろそろご準備をお願いいたします」

 しれっとした顔で衣裳部屋をノックしてそのまま入って行った執事ヒブ。

「また、こんなに散らかしてしまわれて……絨毯の汚れは取れにくいと申し上げておりますのに」

 年の功だけではない勇者のごとき平常心に感嘆する。

「えぇ~も~お~?」

「残念ながら、お時間でございます。続きは後程になされませ」

 とろけたような声のエルメリウム様に、よく普通に話しかけられるな。

 がさがさと紙を動かすような音やなんとも言えない音がして、不満げな声が聞こえた。

「せっかく、コレクションがふえたのにー」

 コレクション?

 いや、だめだ。好奇心は身を亡ぼす。

「こんなに汚されて。洗濯の者に言っておかねばなりませんな」

「血よりは落ちるよ」

 ……何で汚れたんだろ……。

 平穏無事に、お客様が帰ってくれることを願っとこ。

 

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