第104話 王を信じる

 

 居館の部屋は広く、窓からは広場が見下ろせた。

 遺体を運び出す馬車と故郷に帰る傭兵で、広場は喧騒に満ちている。あの死闘が夢のようにも思える。


「サラよ、どうする」


 レイムが何度目かの溜息を洩らした。

 返す言葉もない。


「諦めろ。バカだの、薄っぺらいだの、言いたい放題に言って、頭までもポンポン叩いたのだ。今更なかったことにして下さいと言えないだろう」


 アレクが突き放したように言う。

 しかし、それももっともだ。隆也の意識が戻り、ここに来れば、印綬の者は忠誠を誓わなければならない。

 どんな顔をして、忠誠を誓えばいいのだろうか。


「シルフも一緒に謝る」


 傍らにシルフが立った。

 いや、いい。自身の謝罪にシルフまでも巻き込めない。


「だけどよ、本来は印綬の継承者が互いの印綬を打ち合わせ、ルクスの強さと深さを知り、王を選ぶのだろう」

「あくまで儀式。あれを見れば、その必要はない」

「そうだな、シルフ云う通りだな。サラにならば、おれにも万が一の可能性があると信じて打ち合うが、隆也のルクスを感じればその気は起こらない」

「ならば、後は創聖皇の即位礼だけか。サラ、悩んでいる暇はないぞ」


 楽しそうにラムザスまでもが言う。


「だが、何と言えばいい」

「サラ、おまえはまだいい。あたしはカルマス帝にまで嚙みついてしまったではないか」


 いや、それは自業自得だ。


「それよりも、馬車の用意はどうなっているのだ」


 アレクが露骨にレイムの言葉を無視する。


「準備は出来ている。隆也の、いや、王の準備が整い次第に出せる」


 答えるラムザスの言葉と同時に扉が開かれた。


「皆揃っているのか」


 入って来たのはカナンだ。


「王は、どうなのです」

「意識は戻った。ルクスは感情に揺れ動いているが、安定しておる。しかし、立ち上がるには、しばらく時間が必要じゃな」

「仕方がないな、状況が状況だ。簡単に割り切れるものではないだろう」


 アレクが呟く。

 そう、友人二人を自身の為に失ったのだ。割り切れるはずなどない。


「しかし、立ち直って貰わなくてはならない。我らの王なのだから」


 ラムザスの言葉に身体が震えてくる。本当に王が立ったのだ。これで国の荒廃は抑えられる。


「言葉を掛けなくても、いいのでしょうか」

「一人にしておくべきじゃな」

「大丈夫ですか、イグザムの暗殺のこともあります」

「隆也には手は出せん」

「どうして」


 シルフの顔が上がった。


「やったのは、重商連合じゃろう。イグザムとの繋がりを消すこと以外に、動機は考えられんから」

「では、なおさら」

「隆也に手を出すな、関わるなと釘は刺しておる。重商連合とて、わしらを敵に回すほどの愚かさはなかろう」


 カルマス帝に言われたのならば、確かに動けるはずがない。それにしても、そこまで帝に言わせるとは。

 そして、わたしはその王をバカだと叩いてしまった。

 はぁ、どうしよう。


「さすがは、カルマス帝様」


 二重に敬称を付けたレイムが咳払いをし、カナンに席を譲るように机の隅に飛ぶ。


「ところで、レイム」


 カナンが机まで来ると、レイムの開けた場所に腰を下ろした


「ライラと一緒に、わしの所で行儀見習いからやり直すか」

「ライラは行儀見習いですか」

「あの軽さと薄さ、地にいるには早すぎた。少し苦労しないとな。レイムおまえは、どうしようか」

「カルマス帝様、あたくしはこの地で、民のために働きますので」


 レイムは声を張って言うと、その場で深く礼をしめす。


「民のために働くか。まあ、良かろう」

「あ、ありがとうございます」


 もう一度深く頭を下げた。

 レイムのこんな姿を見たのは初めてだ。カルマス帝から最も寵愛される、偉いエルフという言葉はすでに瓦解している。


「それで、カルマス帝。王のことを詳しく教えて下さいませんか。異世界にいたとの話を」


 わたしは、カルマス帝に目を戻した。


「隆也か。あの時にも話したが、隆也は創聖皇が用意した王じゃ。この世界に生まれ、育ち、王になるようにな。しかし、そこで創聖皇にも思いもよらない邪魔が入った」

「天外の者、ラミエル」


 シルフが呟く。


「隆也の天敵じゃな、あれは。隆也が殺され、その度に時間を戻し環境を変えた。だが、それでも結果は同じじゃった」

「それを何百回も繰り返したと」

「そうじゃ、結果が変わらぬことを悟った創聖皇は、隆也を隠すために異世界に送ったのじゃ」

「そんな、簡単に。向こうにご両親もいるでしょうに」

「隆也は元々この世界の人間じゃ。向こうの世界に縁はない。縁のない人というものは、親とも別れ、友もいない孤独なものじゃ」


 そうか、ご両親は事故で亡くなったと言っていた。向こうの世界では、さぞ生きにくかったのだろう。


「では、坂本と藤沢が唯一の友だったというのか」

「あの二人も、創聖皇に用意されたこちらの世界の者じゃからな。縁はあるさ」


 だが、その二人の命を鍵にして、隆也を覚醒させた。それは、あまりにも過酷ではないのか。


「隆也は、どうしてそれを知ったのでしょう」

「ルクスが解放された時、隆也自身も創聖皇の御意思を見たはずじゃ。今のあの者の心は、空虚の一言に尽きる。自らの足で立ち上がるの待つしかないの」


 初めて、カナンの言葉が沈んだ。

 それを消し去るように、

「それより、酒を出せ。せっかく下界に降りたのじゃ、うまい酒を飲ませろ」

明るい声で言う。


「うまい酒と言われても」


 ラムザスの言葉に、カナンがレイムに顔を向ける。


「居館の酒倉から取って来たものがあるのじゃろ」

「はい。カルマス帝様のために、とっておきのものをご用意しております」


 叫びながらレイムが飛んだ。


「しかし、なぜ二人の命を鍵にしなければならなかったのですか」


 問う声が震えた。


「異界に隠し、エルフにさえ見つけられぬ封印を施したのじゃ、なまなかな鍵では封印は解けん。また、その鍵もあれがいる限り、この世界には用意が出来ない。ならば、隆也の心の動きで、封印を解かせるしかなかったのじゃろう」


 唯一の友が目の前で殺される、その心の動きだというのか。


「隆也は、納得するでしょうか」

「心までは、分からん。だが、納得できる者など居るのか」


 そうだ。居るわけがない。


「隆也が、王となった時に禍根にはなりませんか」

「禍根か。隆也が私怨で国をすり潰すとでも」


 カナンの言葉に、思わず首を振る。


「いえ、それはありません」

「では、禍根とは」

「それは、分かりません。分かりませんが」

「では、一つ聞こう。隆也が言っていた国の在り方。王になれば、推し進めるやもしれん。どうする」

「創聖皇が、そこまでして隆也を王に選んだのならば、その意図があるのでしょうか」

「質問を質問で返すか」


 カナンが笑った。


「これは、失礼しました。国の状況は伝えます。それでも、王が推し進めるというならば、出来る方法を共に考えます」

「出来る方法か、皆が納得する方法があるのか」


 そんなものは無い。自らの地位と権力、富を手放すなど公領主がするはずなどない。それでも推し進めれば、国は沈む。


「正直、わたしには分かりません」

「では、サラが王になった時、おまえはその選択をしないという事じゃな」

「はい、わたしには出来ません」

「国を、民をすり潰すとは、そういう事じゃ」


 カナンの声が、心に響いた。


「進めるべきですか」


 シルフが尋ねる。


「わしは、エルフじゃ。創聖皇の代弁者に過ぎない。王政に関与することはない」


 カナンは言葉を切ると、わたし達を見渡した。


「王を信じるしかあるまいて」


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