第103話 それぞれの立ち位置
「アベル様」
掛けられた声に、足を止めた。
立っているのは、カザムだ。
「様はいらない。カザム殿と同格だ」
「いえ、自分もシムグレイの一族です。そして、一族の長はアベル様です」
頑なな目だ。
こういう目をしたカザムは、引くことはない。動かせるのは、主上だけだろう。
「まあ、いいさ。身体の具合はどうだ」
「問題ありません。カリウス帝の治療です。以前よりも良いくらいです」
嬉しそうな笑みを見せる。
それはそうだ。三帝の一人が直接治療して下さったのだ。これ以上のものがあろうか。
「それは良かった。ちょうど、カザム殿には話したいことがあった」
「自分もです。主上とのことについて、話したく思いました」
考えていることは同じようだ。
「そうだな」
「自分は、主上に付いて行きたいと考えています。ですが、自分のような者が側にいれば、王宮内での反発もありましょうし、権力争いの種にもされるでしょう」
そうだ。地方領主館の中でも政争はあるのだ。王宮内のそれは、一族をすり潰すかもしれない。
「それに、あれほどの王です。自分らがいれば王の評判にも影響します」
その言葉に、頷くしかなかった。
「自分は、王都に紛れようと考えています」
王都に紛れる。
影に徹して、主上に尽くしたいと考えているのだ。
「一族を離れたいということか」
「ご迷惑をお掛けするやもしれませんので」
聞きながら、壁に背を預けた。
「同じだな、カザム殿。考えていることが同じ過ぎて、笑ってしまいまそうだ」
これが、心服するということなのだ。
主上によって、一族の危機は脱することが出来た。それも、出会って数日のうちに全ての障害が取り払われた。
主上の為ならば、この命も惜しくない。
「同じ思いだ。わしも陰ながら支えていきたい」
「しかし、アベル様は」
「確かに、族長だ。一族としては動かず、個人として動く。これは、誰にも言ってはいない」
「そうですか、アベル様も」
「ルーフスはどうするのだ」
「ルーフスには、これから穏やかに過ごしてもらいたい。声を掛けてはいません」
「納得しないのじゃないのか。主上に心酔しているぞ」
「それは、皆も同じでしょう。ここでルーフスだけを引き込めば、皆に知られます」
確かにそうだが、あのルーフスが納得するか。時間を取って、わしからも話をすべきだな。
「分かった。それで、主上は」
「今、カルマス帝が部屋に入っています」
「そうか、主上についていてくれ。わしはイグザムに会っておきたい」
一礼するカザムに背を向けた。
イグザムと顔を合わすのは、何十年ぶりになるのだろうか。
しっかりと顔を合わせておかなければ、次に進むことが出来ない。
主上のこともそれからだ。
居館の地下に降りた先、湿った石組みの廊下の左右に牢はある。廊下の奥は高台の麓に抜ける秘密の入り口の側だ。
わしは浮き上がった光に影を刻み、牢に進んだ。
入り口にはイリヤとフラン、それに二人の騎士が固めている。
「イグザムは、どうだ」
「最初は叫んでいましたが、今は大人しいものです」
イリヤの言葉を聞きながら、牢を覗いた。
ベッドに腰を下ろす初老の男。ルクスを表す威圧感はあるがその背は丸く、先ほどまでの威勢は見えない。
しかし、この男のせいで一族は土地を追われ、数十人もの命を奪われたのだ。
わし自身の祖父母、両親も殺された。
今までの悪行をすぐにでも問い詰めたい。殴りつけたい。
しかし、イグザムは国が捕らえた犯罪人になる。主上から何を言われたわけではないが、勝手な尋問などするわけにはいかない。
王となられた主上の認可が必要に思えるのだ。
いつの間にか握りしめた拳が痛い
カザムとの話が蘇る。。
王が立たれた。それが我が主上だ。そしてそれは、一族と主上との決別も意味する。
地方領主の権力闘争ですら、愚直な一族はこの有様だ。王宮内の魑魅魍魎相手ならば、一族は消し飛んでしまう。
同時にそれは、主上の立場も危うくしてしまうことが想像できた。
しかし、とも思う。主上の語られた国のあるべき姿。王になられたのだから、この国は間違いなく変わる。一族でそれを側で支えたい。民の為、国の為、そして主上の為に働きたい。
わし個人の力など、たかだかしれているのだ。
思いが交錯して苦しさだけが広がってくる。
「アベル様」
不意に掛けられた声に振り返った。
膝を付くのはルーフスだ。顔色は良くなっている。
「主上の所にはカルマス帝が訪問されていると聞いたが」
「あっしのような者が、近くにいても邪魔なだけです」
「そうか。しかし、側に控えずに、ここまで来てもいいのか」
「あっしなりのケジメです」
ルーフスは立ち上がり、牢の中のイグザムを見る。
常に主上のことを第一に考えているルーフスが、その側から離れることなど考えられない。
それでもここに来なければならないケジメ。
考えるまでもない。イグザムのへの恨みに焼かれ、囚われていた心への決別。そしてそれは――。
「王に付き従うのか」
「あっしのような半端者が、王様に仕えることなど出来やしません。王宮内でいらぬ噂もたちましょう」
「それでは」
「あっしは、あっしのやり方で主上に付き従いやす。陰からでもお役に立ちたいと考えておりやす」
はっきりとした言葉が地下牢に響く。
そうか、わしよりも、いやカザム殿よりも、腹を括った迷いのない男がいる。これも行くべき道なのだろう。
「それで、いいのか」
「十分でさぁ。忠義とはそういうもんじゃねぇんですか」
その強い声に、イグザムの顔も上がった。怯えたような目を向ける。
「お、お前たちはシムグレイの者か」
アベルもその目を真直ぐに見た。
「わしは、アベルの名を継ぐ者だ」
「お前が、当代か」
シムグレイの一族は、頭領になる者が代々アベルの名を引き継いでいる。今のわしの名だ。
イグザムの視線が落ちた
「イグザム。お前には、一族の多くの者が殺された。罰は受けてもらう」
「余を罰するだと、誰がそれをするのだ」
「新しく立たれた王だ」
「たとえ王の勅命でも、物事は動かんよ。公貴を裁くのに、大司長や他の公貴が止めないはずはない。逆に余を監禁した罪がお前たちに降りかかる」
確信している口振りだ。ルーフスの目も底光りする。
王宮官吏や公貴も、この謀反に関与したと言っているのと同じだ。しかし、それではあの怯えは何だ。
「ラミエルを使役したのは、お前かイグザム」
「誰に向かって口をきいている、下郎。アセットごときが――」
続く言葉を遮るように、湿った足音が響いた。
誰かが階段を下りてくる。
誰だ。思った瞬間、膝が落ちた。抗えない力で床に引き倒される。
それはルーフスも騎士も同じようだ。膝を付き支える両腕も抗えない。
「何を偉そうに語っているの」
聞こえてきたのは、子供の声だ。十四、五歳の女の子のように思える。
白と黒の格子模様のブーツが、湿った石畳から水の飛沫上げた。
「あんたは所詮木偶人形。人形なら人形らしくしていろ」
ルーフスの顔の前にブーツが進み、水の飛沫がその目に掛かる。それでも目を閉じることさえ許されない。指先すらも動かせない。
鈍い音を軋ませて、牢の扉が開かれた。三重に掛かったはずの鍵も意味をなさない。
だが、それよりもなぜルクスを感じないのか。
地下牢にいる六人の身体を押さえつけ、平伏せさせているのだ。圧倒的なルクスを駆使しているはずなのに、なぜ感じない。
いや、ルクスだけではない。すぐ側に居るというのに、気配もない。
「あんたに、もう価値はない」
少女の声と同時に、血が目の前の石畳に散る。苦悶の声は聞こえない。
楽しむかのように、鈍い音はゆっくりと時間をおいて響き、その度に血は広がっていく。
見ること出来ないが伝わってくる壮絶さに、心が凍りそうだ。
どのくらいの時が流れたのか、アベルたち身体も降り注ぐ血に染まった頃、
「愚王を擁したな。あれは、お前たちの自由を阻み、解放を阻害する者だ」
声が降り落ちた。
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