第101話 西に出、彩雲
「下がれ」
カナンの声にサラは足を止めた。
僅かに遅れて、凄まじい何かが膨れ上がって来る。
サラは、大きく後ろ跳んだ。衝撃波が身体を叩き、吹き飛ばされた石畳が周囲に飛ぶ。
巻き上がった土煙に、視界が失われた。
何が起こったのだ。
崩れた石壁の先にかすかにレイムが見えた。サラは駆け寄ると、土煙に目を戻す。
シルフも避難するように、その横に立った。
「覚醒じゃ、隆也の封印が解かれた」
聞こえたのはカナンの声だ。
「どういうことです」
「二つ目の隆也の鍵が発動し、封印を解いたのじゃ。隆也の隠されていたルクスが解放された」
あれが隆也のルクス。まさか、ルクスと呼べる次元ではない。
「創聖皇が、王として準備してきた隆也の力じゃな」
「王として」
呟いたのは、シルフだ。
「隆也が、この国の王なのか」
「おまえたち、印綬の者も無意識のうちに気が付いていたはずじゃ」
「どういうことですか」
ラムザスが身を乗り出す。
「お前たちは、自然と隆也の周りに集まっていたじゃないか。意識の奥では、王を感じていたのじゃ。それに、隆也が敬語を使ったか。そして、それが気になったか」
そうだ。確かに敬語は聞いたことがない。そのことに違和感すら覚えなかった。
「使うわけがない。敬語の概念がないんじゃ。創聖皇から王として用意された者、敬語は必要ないからな」
「しかし、印綬は。それに、ルクスなどなかったはずでは」
「あの刀が、印綬じゃ」
「あれにその気配は微塵もなかったぞ」
レイムが否定するように叫ぶ。
「わしの所に跳ばされた時、あの剣は友の血で濡れておった」
仁の印綬。色は赤、形は定まらず。赤とは、その血のことを言うのか。
「その友が、一つ目の鍵。印綬解放の鍵じゃ。いや、友の命がというべきじゃな」
「ちょっと待て。印綬をわざわざ封印し、藤沢という隆也の友人の死を開放の鍵にしたと言うのか」
ラムザスの声が、わたしの心を代弁する。隆也は藤沢の死にどれほど心を痛めたのか。
「では、ルクスは」
シルフの重い声が流れた。
「レイム、おまえが底が浅いと感じた器は、底ではない蓋じゃ。隆也のルクスを閉じ込め、漏らさぬための蓋」
「蓋。何のために、そんなものを」
「隆也のいた世界では、次元の異なるルクスに包まれれば、その姿は見えなくなる。隆也が生きていけなくなるのでな」
「あれが、蓋だと言うのか」
レイムが瓦礫の上に腰を落とした。
「レイムがそこにルクスを入れたものじゃから、それが呼び水となって僅かに隆也自身のルクスが漏れ出した」
「それが、隆也のルクスが消えなかった理由なのか」
「しかし、なぜわざわざ異世界に隠すのだ」
「隆也はよく、悪夢を見ると言っていなかったか」
「言っていた。紅い火に何度も殺されると」
「紅い火に見えたのは、あれの瞳じゃ。あの悪夢は、殺された記憶なんじゃ。創聖皇は隆也を王として用意したが、それは、あれに殺された」
「しかし、隆也は殺される夢は毎回異なると言っていた――何度も殺されたのか」
「創聖皇が何度やり直しても結果は同じじゃった。その為に、異世界に逃がした」
「何度も。その度に、創聖皇は時間を戻してやり直したと言うのか」
「何百もだ、何百回となく殺され続け、世界はやり直しを繰り返した。そして、隆也を十七になるまで隠した」
「十七、なぜ十七なんだ」
「ルクスが安定するのが十七じゃからな。毎回、十七になる前に殺されていた」
「しかし、隆也はここでも殺されかけたぞ」
「その為に、深手を負った時に創聖皇はあれの空間転移を利用して、隆也をわしの所まで送ったのじゃろう。あれを治癒できるのはわししかおらぬからの」
「ちょっと待って、いえ待ってください」
座り込んだレイムが顔を上げた。
「あなたは、もしやカルマス・ナギサ・シオン様ですか」
その言葉にカナンが頷く
待て、待て。カルマス。三帝の一人、エルフの帝カルマス様のことなのか。
「カルマスという名は、威張り腐っておるようで好きじゃない。ゆえに、隆也にはカナンと呼んでもよいと言った」
「これは。失礼致しました」
「それよりも、隆也のルクスが集束するぞ」
その言葉に、顔を振り向けた。
土煙が風にあおられたかのように吹き飛び、対峙する隆也とラミエルが現れる。
あのルクスを完全に制御したのだ。
隆也はゆっくりと坂本を石畳に寝かせていた。ラミエルは、動かない。いや、動けないのだ。
隆也がラミエルに向き直る。ただそこにいるだけで、身体が委縮してしまうほどのルクスを感じた。
ラミエルも距離を取る。
一瞬だった。本当に一瞬だった。
隆也の姿が瞬間移動したかのようにラミエルの前に現れ、戦斧を握った腕を斬り飛ばす。
しかし、何だその速さは。疾風のサラと呼ばれたわたしですら、見ることが出来なかった。
隆也の足が、今度はゆっくりと進む。
その足元に落ちた腕が、瞬くに干からび塵となって消える。
ラミエルは右手を伸ばし、引き寄せた剣を握った。
次の瞬間、右腕が断ち斬られ、その上半身がずれた。これも見えなかった。あの固いルクスに包まれたラミエルを両断する刀の動きが。
崩れ落ちるラミエルが塵となって舞う。
隆也は、そこに立ったままだ。
「意識を失くしたか」
カナンの言葉に、アベルたち一族の者が隆也に向かう。
「意識を失くしたのですか」
「それはそうじゃろ。今まで封印されていたルクスが解放されたのじゃ。制御したとはいえ、今の隆也の意識は自らのルクスの嵐の中にいるのじゃ」
サラは、ただ頷くしかなかった。混乱した頭で、考えがまとまらない。
「王が、立った」
シルフが空を見上げた。
その視線を追った先、晴れ渡った空に虹色に輝く彩雲が走っていく。
王が擁立したことを示す証だ。本当に、隆也はわたしたちの王なのだ。
その頃になって、歓声が沸き起こった。生き残った騎士や傭兵たちが高らかに上げる声に、領主館が震えるようだ。
「英雄王」
歓喜の声が一つになる。
「英雄王ね」
その中で、カナンが冷めた声で続けるのが、サラには小さく聞こえた。
「屍の中に立つ、血に染まった英雄王か」
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