第38話 死生観

 下に着ていたシャツにも幾つもの切られた跡があり、血が滲んでいた。

 ザクトとミリアの微かな視線を感じながら、痛みをこらえてそれを脱ぐ。

 胸には昨日の聖符の描かれた布が巻かれたままだ。身体中に切り傷、打身はあるがどれも軽いもの。

 治療のために、バックからカナンに貰った聖符を出す。


「隆也、あんたは何者だ」


 途端にカザムの声が変わった。


「その聖符、この国では見たこともない精緻なものだ。それに、ロザリスの衣装など公貴でも手に入れるのは難しい。それで平民だというのか」


 これらは、カザムが驚くほどに貴重な物らしい。カナンは良いものを選んでくれたようだ。


「そうだよ、おれはただの修士だ」

「修士、修士がどうしてそんな傷を負うのだ」


 治療をして貰った古傷のことを言いているようだ。


「四日前に、ラミエルにやられた。そこをカナンというエルフに助けられて、これらを貰った」


 答えると、

「エルフと友達なの」

同時にミリアが目を輝かせて寄ってくる。


 さっきまで警戒するように何度かこちらを見ていたのが、嘘のようだ。


「そうだよ、服も小物も刀の鞘もカナンが用意をしてくれた」

「隆也、悪いが旅札を見せてくれ」


 カザムが身体を寄せた。その言葉に、バックから白い札を渡す。

 そこには、いつの間にか文字が浮かんでいた。王都第一診療院発行、身元保証、王宮診療司イザリア。目的、記憶障害療養。

 今度は病人になっている。


「四日前にもラミエルに襲われたのか。それで、記憶に障害が」


 カザムが一人で納得したように頷く。


「あれがラミエルならば、確かにサラ様たち印綬の継承者もエルフも関与してくるのは分かる」

「それでエルフはどうだったの、教えて」


 ミリアが、お湯に浸した布で身体の血を拭ってくれた。


「ありがとう」

「やっぱり、お人形さんみたいに綺麗なの」


 まぁ、確かにカナンもレイムも美形だ。美形だが――。

 レイムは置いておいて、カナンには世話になったな。それに顔立ちも綺麗だった。


「そうだ、いい人だし、綺麗だった」

「本当に凄いや。お兄ちゃん凄いや、ラミエルに立ち向かうなんて聞いたことない」


 その腰にザクトがしがみ付いてきた。  

 感動したように潤んだ目で見上げてくる。

 最初に森の中で見た時は、ザクトも木の陰に佇み、何者も寄せ付けない警戒感を見た気がしたが、百八十度変わった人懐っこさだ。


「ちょっと、今お話をしているの」

「おいらだって、話をしているんだ」

「わたしが先だった」


 二人とも力が入るのか、傷口を布で擦られ、打身の場所に強くしがみ付かれては痛い。身体が軋むようだ。


「止めなさい。彼は怪我人だ」


 カザムが止める。


「怪我の治療が先だ。ミリアは身体を拭いて上げなさい。ザクトは、この間に集落の様子を見て来なさい」


 言いながら瓶を取り出すと、黄色いクリームを傷口に塗り始めた。

 塗られた場所は熱が逃げていくように冷たく心地いい。その上から聖符の描かれた布を巻かれると、痛みが消えていく。

 身体は重いが、動くことは出来そうだ。


「それで、ここから街道に出るにはどっち向かえばいい」

「焦らずに、今日はゆっくりしろ」


 その肩が抑えられた.


「傷を塞いだだけだ。今日はここで野営する。明日、街道駅まで送ってやろう」


 カザムはそう言うと、焚火の前の倒木に腰を下ろす。

 ここは素直にその言葉に従ったほういい。おれも服を着るとその倒木に座った。

 それを待っていたように、ミリアがカップを運んでくる。


 二人に礼を言ってそれを受け取ると、

「行かなければならない所があると言っていたが、どこに向かっているのだ」

カザムが尋ねて来た。


 森の中で話したことを覚えているようだ。


「外西守護領地に行く」

「外西。まさか、公の手の者か」


 声に冷たい針がある。公、イグザム公領主のことを言っているのだろう。


「友人に会わなければならないだけだ」

「友に会いに行くのか。外西で傭兵でもしているのか」

「いや、同じ修士だよ」

「修士、あんな所に修士がいるものか」

「友人もそこに向かっている」

「外西に向かっているのか。あそこは危険だ。気の荒い衛士が多く、得体の知れない傭兵も集まっている」

「リルザ王国に繋がっている」


 サラたちが話していた言葉を思い出した。


「そうだ。公領主のイグザムは、リルザと密約を交わし、西から国を侵食し王都を挟撃するつもりだ」

「どうしてそんなことをするのだ」

「イグザムは、ルクスは確かに強いが、それ以上にプライドが高い。己が印綬に選ばれなかったことが、よほど気に入らなかったようだ。己を選ばない国など滅べばよいと考えている」


 その言葉にカザムとイグザムの間に確執があることが窺える。

 この男たちこそ何者なのだろうか。男と子供たちの様子にも違和感を覚える。やはり、親子のように見えない。

 熊のような獣を一撃で撃退する手練れ。不意に現れ、消える神出鬼没さ。森の中でのことが思い返される。


 しかし、ただ者ではないが、悪い人ではない。カザムのルクスに見える黒い靄も僅かなもので、嫌な感じはしない。

 そう思った時、鈍い音が彼方で響き、トンネルの出口が風圧で崩れるように開いた。

 その出口から、ザクトが白く埃をかぶって出てくる。


「タイミングを間違えた」


 ザクトが言い、ミリアが笑う。

 トンネルを吹き飛ばしたのか、この子供が。


「どうだった」


 カザムは笑みも見せずに顔を上げた。


「向こうは妖獣が溢れている。共食いまでしているよ。あんなの初めて見た。あそこから入ってきても困るから、壊しておいた」


 あっさりと言うと、ザクトはそのまま川に向かって下りていく。


「ちょっと待て、あそこに生き残りの人はいなかったか」


 背中に問いかけた言葉に、

「盗賊の心配かね」

カザムが応えた。


「同じ馬車に親子が乗っていた。娘は妖獣に殺されたが、母親は」

「ダメだよ。あの場所で生き残っている人はいないよ。妖獣が暴れていて近づけもしない」


 ザクトはそのまま川に入って、埃をかぶった身体を洗いだす。


「おまえ、まさか子供を助けるために、あの時、妖獣を斬ったのか」


 呆れたようにカザムが言った。

 当然じゃないか、目の前で子供が襲われているのだ。

 しかし、ザクトはあの歳で人の死に恐れはないのだろうか。


 そこまで考えた時、おれは自分の心の変化に驚くしかない。

 当然、本当に当然なのか。

 咄嗟に身体が動いたが、おれはそんなに正義感が強く、身を投げ出されるほどに強かったのか。


 そういえば、目の前で護衛の衛士が殺された時、冷静にそれを見て噴き上がる血を避けた。

 盗賊と対峙した時も死を他人事のように感じただけだ。いや、ダムズの時も死に怯えなかった。

 最初にダエントに襲われた時は、あれほど恐怖したのに。


 夢の中で数え切れぬほどに殺されてきたからか。傷みも苦しみも現実のように感じてきたからか。死への耐性が出来たというのか。

 いや、違う。自分自身の死生観が変わったように思う。

 死は常に背後にいる。すぐ側にある当然のものと、意識が受け入れたのだ。

 そして、それはこの世界では、ザクトのような子供でも当然持っているものだった。


 しかし、自分自身の死は受け入れても仕方がないが、あの親子の様に罪のない者への理不尽な死は受け入れられない。

 受け入れてはいけない。

 強く拳を固めると、自分を落ち着かせるように大きく息を付いた。

 この世界は、思っていたものとは違い過ぎた。

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