第39話 カザム
カザムは空を見上げた。
山は日が落ちるのが早く、月が稜線に見える。
暗くなった森の中で、焚火が小さく爆ぜた。
その火に掛けた鍋から塩漬け肉のスープを小鉢に取ると、傍らの少年に目を向けた。
線の細い非力そうな少年だ。
ルクスに至っては人並か、普通よりも少し弱いくらいか。
気に掛けることもない普通の少年。森の中で会った時はダムズに食い殺されそうに見えた。
それがどうだ、あの廃集落での闘いぶりは。
あの化け物を相手に、こいつは撃ち合った。途中で助けたとはいえ、僅かな傷で生き延びたのだ。
どうやってあの強大なルクスを受け切ったのかは、分らない。
小鉢を渡すと、隆也は礼を言って両手で受け取る。
先ほどといい、今といい、この態度も確かに公貴ではない。
しかし、それは腰が低いとか、卑屈だとかいうものではなく、余裕のある品の良さとでもいうものを感じる。
その指は、手は、労働を知らず、農民でも工民でもない。商業ギルドの横柄さもなく、名家の子息という脆弱さもない。
学院の修士になるには、相応の地位と富がその家に求められる。平民ではないはずだ。しかし、それが何なのかは分らない。
それでも、隆也が悪い奴ではないというのは、すぐに分った。
その証拠に、ザクトが隆也に話しかけ、ミリアが笑っている。あの子たちが会ったばかりの者にここまで心を開くのは珍しい。
人見知りのミリアには至っては、初めてだ。
「ねぇ、どうしてラミエルに向かっていけたの。あんな化け物、怖くないの」
ザクトは一気にスープを飲み干すと、隆也を見上げた。
「あいつに、もう一人の友人を殺された」
隆也が静かな声で答えている。
「その仇討で、あんな化け物と闘うの」
「そうだ。大切な友人だった。それを目の前で殺したあいつだけは、許せない」
「でも、お兄ちゃんも殺されてしまうよ」
「だからといって、逃げられない。目の前に現れた以上、やるしかない」
静かな声。それが強い意志を表している。
「でも、そのルクスでどうやって戦えたの」
ミリアもスープを飲むと、その傍らに腰を下ろす。
「戦い方は、剣が知っているそうだ。剣の進みたいところに進ませてやる、それだけだよ」
「それもエルフの力。ルクスに何かしたの」
「違うな。それに、ルクスは使い方に慣れていない」
「記憶が何とかだったよね」
「そうだな、忘れたみたいだ」
「他に何を忘れているの」
「ほとんど全てだ。物の相場も分らないくらいだ」
子供相手でも、人としてきちんと接している。こいつは、信用できる奴だ。しかし、謎も多い。
「さぁ、明日も早い。もう寝なさい」
カザムの言葉に子供たちが頷いて立ち上った。
妖獣に襲われないように、寝るのはあのトンネルの中だ。二人がトンネルに入ると、カザムは隆也に顔を向ける。
久しぶりに、ザクトたちの笑顔を見た。これまで辛い旅が続き、気落ちしたように見えた二人だったが今日は楽しそうだった。
そこまで考えた時、不意に気が付いた。
どうして、自分はこの者を助けたのだ。
助けるということは、こちらに危険が及ぶかもしれないということだ。
隆也がラミエルを引き付け、自分たちが無事だった感謝の為か。
違う。
あんな化け物を見たのだ。本来ならばすぐに身を隠すべきだし、今まではそうしてきた。
最初に会った時、ダムズに襲われていた隆也を助けたのは身の危険がなく、先を急ぐのに邪魔だと思ったからだ。
それが、なぜ今回は彼を助けたのか。
それを深く思うと胸が締め付けられるように感じるのは、なぜなのだろうか。
自分が忘れたもの、失くしたものを思い返すような切なさは何なのだろうか。
気を落ち着けるように、焚火に枝を放り込む。
「その剣を見せてくれないか」
彼は素直に手にした剣を出す。
カザムは受け取った剣の柄と鞘に手を掛けたが、やはりびくともしない。最初に見たのと同じ、剣を模ったメイスにしか思えない、
「必要な時以外は抜けないらしい」
隆也の声が聞こえた。
必要な時、メイスでは対抗出来ず、命にかかわる時の事なのか。
だが、ダムズの時はどうなのだ。あれを相手に対抗出来ていなかったではないか。
いや、隆也の最後の一撃。あれは綺麗にダムズの鼻柱を捕えた。
あれが二撃、三撃と続けばさしものダムズも危ない。
そうだ、妖獣化したダエントをこいつは一撃で両断した。
だったら、自分が余計な手を出したのか。
これが、成長だとしたらとんでもないことだ。
成長。もし、急激に成長しているとすれば、あの化け物を相手に生き残ったことも説明が付くのか。
「ところで、一つ教えてくれ」
隆也が爆ぜる火を見ながら言う。何かを考え込むように火から目を離さない。
「なにをだ」
「身体から発する光、それがルクスか」
何を言いだすのか。
「光が見えるとでも言うのか」
「そうだ。目を凝らせば、身体から発する光が見える」
嘘だ。普通の者にルクスなど見えるわけがない。
ルクスの強弱を知るには、身体が触れ合わなければならない。それで、自分との比較で強弱が分る。
ルクスが強い者でも、感じるだけだ。見ることが出来るのは、エルフくらいだと言う。
この者のルクスは自分よりも弱いのだから、見えるはずなどない。
「万が一、見えるならばそれがルクスだ」
少年に目を向けた。
「そうか」
何の感慨もなさそうに頷く。嘘を言っているようには思えない。
「なぜ、そんなことを聞くのだ」
「カナンにルクスを分けて貰った。それから光が見えるようになった。人によって光には強弱もあり、揺れや靄もある。それが知りたかった」
「あいにく、自分が教えられることはない。なにせ、自分たちにはルクスが見えないのだからな。ただ、ルクスは心だ。その揺らぎも靄も心なのだろう」
「そうか」
呟くように言う。
嘘か本当かは、今の自分では判断できない。しかし、この剣が全てが嘘でないことを教えている。
カザムは手にした剣を返すと、
「鞘はそのエルフに貰ったと言っていたが,中身はどうなのだ」
身体が向き合うように座り直す。
「これは、家に古くから伝わるものだ」
古くから――、床を押し上げて覗いた時、最初に目に飛び込んだのは、陽光を煌めかせた反りのある片刃の剣だった。
その美しさに一瞬心を奪われた。
これほどのものが古くから伝わっているのか。しかし、これも嘘をついているようには見えない。
「外西に友に会いに行くと言っていたが、そこで何をするのだ」
「故郷へ帰る。帰る為には、そこに行くようにとの天意だそうだ」
「天意」
その言葉に、返すべき言葉を失う。
創聖皇の御意志だというのか、そんなものが平民相手に出されるのか。
天意は、そのカナンというエルフから下りたことは想像できる。しかし、そこまでの人物には見えない。
エルフは見る事さえ奇跡に近い。
ほとんどの者は、それを見ることなく生涯を終えていく。
会えるのは、エルフが興味を持った人物。それこそ、ルクスの強い公貴か、宮廷の一部の者だろう。
それが、エルフから物を貰い、そればかりか天意までもが下る。
隆也の持つ物を見なければ、一笑に付すところだ。この様子ならば、孤高のサラとも知り合いというのも嘘ではないのかもしれない。
どこに、そんな繋がりがあるというのか。
「最初にラミエルに襲われたのは、どこなのだ」
「ラミエルの現出は今回で三度目だそうだ。一度目は礼の聖碑、二度目がラウル街道駅。おれはラウル街道駅で襲われた」
「ラウル街道駅、外東守護地じゃないか。それが、なぜここに」
「ラミエルとカナンに、それぞれ空間転移で跳ばされた」
あっさりと当然のように、とんでもないことを言う。
空間転移。
エルフというのは、任意のルクス波長を感知すると、その場所に瞬間移動が出来るというのは聞いたことがある。それが、人までも瞬間移動させることが出来るのか。
ラミエルが現れた時、爆発のようにルクスが沸き上がり、突然それが現れた。
ラミエルも瞬間移動が出来る。いや、エルフのようにルクスの波長は関係ない。
現出した時に、すぐ側には自分らしかいなかったが、ラミエルが自分らのルクスの波長を知るわけがないのだから。
エルフよりも強いルクス。そんなものに二度も襲われたのか、こいつは。
隆也の故郷に、関係があるのだろうか。
「天意までが下りるという故郷は、どこなのだ」
「それが分らないから、天意が下りたのだと思う」
故郷が分らない、帰る為にわざわざ創聖皇が天意を下した。
言葉をなくすカザムに、
「あの廃集落が故郷なのか」
隆也の声が向けられた。
深入りし過ぎたか。
隆也の話は謎が多く、見極めの為に質問を重ねていたが、やり過ぎた。
隆也から見れば、自分も十分に怪しい。あえて、隆也は尋ねなかったのだろうが、こちらが踏み込み過ぎた為に、質問を返された。
「違う、故郷は別だ。あそこは移住した場所だが、四年前に破棄した集落だ」
ここを誤魔化してしまえば、不信しか残らない。命の恩人にそれは出来なかった。
「そうか」
隆也が口を開いたのは、それだけだった。それ以上は何も聞いてこない。他に聞きたいこともあるのだろうが、そこで止めた。
もちろん、その意味は分かる。それ以上は踏み込まないようにとの、こちらに対する牽制だ。
そして、同時にこの者の思慮深さも分かった。
どうやら、普通の少年から評価をまた一つ上げなければならないようだ。
このまま別れてしまうには、惜しい。もう少しこの少年を見てみたい。
そういえば、ここまで人に興味を持ったのはいつ振りだろうか。得策でない事は分かるが、ここは自分の感情に従うのもいいのかもしれない。
カザムは焚火の側で温められた林檎酒を取った。
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