第40話 人の尊厳
差し込む朝日に身体を起こした。
温度を調整してくれる外套は、朝の冷え込みを遮り、暖かかった。
身体はゆっくりと休めたようだ。
大きく入口の外されたトンネルから出ると、カザム達はすでに荷造りを終えている。
「隆也、そろそろ出るぞ。付いてくるといい」
その言葉に、川まで降りて顔を洗った。突き刺すほどに冷たい水が頭を覚まさせる。
「早く行こうよ」
ザクトの声に引っ張られ、隆也は森の中へ足を向けた。
足場の悪い森をしばらく進むと、すぐに街道に出る。
「街道までと言ったが、この先のトリルト街道駅までは案内する。物流拠点の街道駅で、夕方には着けるはずだ」
カザムが振り返った。
それは助かる。心から礼を言った。
一緒にいてくれるならば、その間に知識を取得出来る。
貨幣の単位と価値、相場。移動手段に食料の確保、知らないことが多すぎる。
こうなると、改めてカナンの用意してくれた旅札の凄さが分った。
記憶障害となれば、それらを素直に聞くことが出来る。そして、昨日のようなカザムの質問にも細かく答えなくて済む。
とても異世界から来たと言っても信じて貰えるとは思えない。まして、彼らの正体が分らないのだから。
いや、前を進むカザムの背中に目を戻した。
推察出来るものはある。
あの廃墟は、とても四年前に打ち捨てた建物には見えなかった。
至る所が炭になり、壁の石組も崩れ落ちていたのだ。自然にあそこまで崩れるには、更なる年月が必要だろう。
そうなると、襲われたようにしか思えない。
さらにあのトンネル。ここの習慣は知らないが、それでも地下に設けるとしたら保管庫か避難所だろう。
わざわざトンネルを伸ばして、脱出路まで作るのは考えられない。
そのトンネルに案内された時、白い煙幕が張られ、さらにはトンネル自体を破壊した。
これも、襲われることが前提ならば納得がいく。
そして、二人の子供との関係に、イグザムとの確執。向かう先が西ならば、元々は外西守護地の出身ではないのだろうか。
その地に住んでいた人々が集まったか、その地の集団の末裔か。
どちらにしても、そこに関わる気はない。
距離を取ることが必要だ。
そのカザムの肩越しに、ゲートが遠くに見えた。次の街道駅のようだ。
「ところで、この地はどこの守護地なのだ」
傍らのザクトに聞く。
「そんなことも忘れているの、外北守護領地だよ」
外北守護地、一番北の地ならば寒いはずだ。
「ここから、外西守護地まではどれくらいだ」
もう一度ザクトに尋ねる。
「えっと、街道駅が六個かな」
六駅、約百二十キロか。
徒歩なら四日、馬車で一日というところだろうか。電車ならば、二時間で着く距離なのだが。
しばらく進むと、街道の一部が少し広くなっていた。馬車の離合の為の広場だろう。
片隅には黒い布で覆われた補修材が。積み上げるように幾つも重なっている。
それを見ると、不意にミリアは大きく避けるように進んだ。
「どうしたのだ」
「怖いから」
怖い。街道補修用の何かを置いているのではないのか。
「ただの死体だよ」
ザクトが、その黒い物に足を進めた。
「死体、どういうことだ」
「それすらも記憶にないのか。旅に出るならば、遺体保護聖符を持っているはずだが」
カザムが呆れたように続けた。
「行き倒れや、獣に襲われた人だ。通常は巡回警吏が回収していくが、今はほとんどそれも出ない。遺体に出くわした者が、聖符に包んでおく」
当然のように言う。
「その遺体は、どうなるのだ」
「まとめて焼却するだけだ」
まとめて焼却、まるで物の扱いじゃないか。遺体だぞ、それをただまとめて燃やすだけなのか。
「ただの死体だよ。魂は地を流れるルクスに入って、また新たな場所でルクスから離れ、人として生まれるんだから」
ザクトが知っていることを誇らしそうに言うと、黒い布を足で小突く。
生まれ変わり、輪廻転生のことを言っているのだ。
これが宗教観。いや、この世界で真実として受け止められていること。
彼らの死生観なのだ。
死は常に側にあり、目の前で死ぬのを見ることも珍しくはない。自分が死ぬことも珍しいことではない。
隆也は足を止めた。しかし、それと遺体を魂の入れ物として破棄することは、違う。
「ザクト、母親はいるか」
「もちろんいるよ。外西で待ってくれているよ」
質問が分らず、不思議そうに答えた。
「その母親は、お前の身体を抱きしめ、その頭を撫でてくれたはずだ。その手は、その身体は、入れ物だから死ねばそこらに捨てるのか。その遺体を足で突くのか」
ザクトの足も止まった。
「今、母親が死ねば、新たに生まれ変わるからとお前たちのことを忘れるのか。そうではないはずだ。それならば、妖は生まれない。大事なお前たちと引き裂かれる哀しみと苦しみに、妖は生まれるのではないのか」
その言葉に、ミリアが激しく泣き出した。自分の母親の死を思い描いたのだろう。
ザクトも涙を浮かべる。
何なんだ、この世界は。新たに生まれ変わると言って、ゲームをリセットするような死生観なのか。
ぶつけようのない憤りに石畳を蹴った。
「遺体を破棄することは、人としての尊厳を破棄することだ」
「尊厳」
反芻するように、カザムが呟くのが聞こえる。
「それに、ミリア。遺体は怖がるものではない、感謝するものだ」
しかし、そうは言ってもこれらの遺体をおれだけではどうしようもないのも事実だ。
藤沢の遺体は王宮廟に運ばれると言っていたが、それがサラたちの心遣いなのだろう。そして、死生観を問わず遺体を葬るという概念もあると信じたい。
その足を再び進める。
左右の手に、ザクトとミリアがしがみ付くように持った。
言葉を発することはないが、その手の強さが、おれが言ったことを理解したと教えてくれていた。
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