第34話 野盗

 どのくらい進んだか、

「そちらは、親子でどこに行かれるのです」

女が柔らかく尋ねる。


「アルミス鉱山に向かいます。主人がそこにいますので」

「アルミス鉱山でしたら、ナガリナ街道駅ですね」


 即答したのは、商人の男だ。


「はい、街道駅には鉱山行きの馬車が出ているそうなので」

「そうですか、それならお嬢ちゃんも疲れなくて済む。だけど、鉱山はエルグの民が多いと聞きますが、大丈夫ですか」

「鉱山行きには全て護衛が付く。それに鉱山にも守備衛士がいるから大丈夫だ」


 衛士の間伸びをする声が聞こえる。

 エルグの民というのは、最後に生まれた民。確か、妖気が母親の胎内に入り、ルクスが蝕まれた民だ。

 護衛や守備兵ということは、それだけエルグの民を恐れていることなのだろうか。


 次の瞬間、馬車が大きく揺れ出し、預けた背中がずれる。

 山道に入ったようだ。隆也は目を開けて外を見た。

 御車の背中越しに小高い丘が見える。街道はこの丘を越えて伸びている。

 

 しかし、現在位置が分らないのは困った。街道駅の名前を言われても、それがどこにあるのかすら分らない。

 丘を越えると林が見えてきた。


「ちょっと済まないが、用を足したいのだが。こう冷えては小便も近くなる」


 男は御者に声をかける。


「この辺りと言っても、ここは道が狭いからな。爺さん、この先に廃集落がある。そこまで我慢できるか」

「はい、それくらいでしたら我慢できますよ」


 男が安心したように言い、座り直す。

 隆也も再び目を閉じた。

 傷みは、今はない。身体は、だいぶ休まった。心は、平静だ。抱えた刀を優しく持つ。


 どのくらい進んだか、やがて馬車が止まる。

 夫婦が下りるのを見ながら、隆也も馬車を下りた。

 刀を腰に留める。


 恐怖心はない。でも、本当に嫌になってくる。

 おれは、無事に外西守護領地とかに行けるのだろうか。

 大きく息を付くと、男の姿を目で追った。


 初めて来たこの地で、鉱山の名前を聞いただけで、なぜ街道駅の名を即答できる。

先にある廃集落を聞いただけで、なぜ「それくらいでしたら我慢できます」と答えられる。

 そしてこの夫婦のルクス。どうしてこうも不気味な紅い靄と黒い靄を纏っているのだろう。

 考え過ぎただけで、何もなければいい。でも、とてもこのままでは終わりそうにない。


 ゆっくりと周囲に目を移した。

打ち捨てられた集落。半ば崩れ落ちた家が幾つも並び、かつての畑は枯草と枯れ木に隠されている。

 黒く焼けた柱に蔦が絡み、壁を作っていた石は崩れ落ちて草に埋まっている。

 数年もすれば、ここに集落の痕跡はなくなってしまいそうだ。


 女は足早に離れて姿を消し、男は少し距離を置いてこちらを眺めるように立っている。

 そのまま待つ必要もなかった。壁が崩れ、屋根の落ちた家の陰から人影が湧いてくる。

 人数は、八人。手にしているのは鉈や斧だ。


 そのうちの六人は、頭に髪と同じ色の毛に覆われた耳と足の間から短い尻尾が見えた。

 あれが人種獣、エルスというのだろう。

 大きく厚い身体。見るからに力は強そうだ。

 そして、その誰もがルクスに赤と黒の靄が纏わりついている。

 これが、野盗という者たちなのだろう。


「いやに、落ち着いているな」


 男は荷台に戻ると肘を置き、こちらに顔を向けた。先ほどまでの柔らかな笑みはそこに無く、心が凍るような冷たい顔だ。

 その顔を真直ぐに見返すことが出来る。

 本当だ、落ち着いている。


 人に殺されるかも、人を殺すかもしれないのに、動揺もなく自分でも驚くほどに落ち着いている。

 おれの中の何かが、壊れてしまったのだろうか。

 男は膨らんだ胸元からは黒く丸められたものを出した。

 水晶と言っていたものは、これのようだ。


「狙いは積荷なのか」


 その手にしたものに目を向ける。


「全てだよ」


 黒く丸められていたものが解け、鞭となって荷台に走った。

 固く鋭い音が響き、首を巻き取られた衛士が荷台から転がり落ちる。その地面に落ちる音に重なるように、御車台から低い呻き声。


「積み荷も、その親子も、おまえもだよ。もっともおまえは身代金が入れば開放するがな」


 冷たい目には明確な意思が見えた。殺意だ。解放する気もないのだろう。


「この国は疲弊し、皆が苦しんでいる。立て直そうと心を砕いている者もいる。それなのに、盗賊か」

「わしらも生きていかなければならない」


 生きていくか。しかし、この人数で馬車の荷物を取ったところで、採算は合うのだろうか。

 特に、あの目立つエルスが混じっているならば、潜んでいてもリスクが大きすぎる。


「外西守護か」


 エルスの傭兵を使うのは、外西守護公領主のイグザムだと言っていたな。


「坊主。察しがいいのは、寿命を縮めるぞ」


 男の声が一転し、冷たい刃に変わった。

 間違いはないようだ。こういう地で藤沢は死んでしまったのか。あいつが見たのは、こんな世界ではないはずだ。

 あいつが住んでもいいなと言ったのは、こんな世界ではないはずだ。

 湧いてきた男たちは、ゆっくりと馬車を囲む。


「おまえら、バリル鉱商の積み荷と知っての狼藉か」


 地に落とされた衛士が顔を上げた。


「バリル鉱商、それがどうした」


 その兵の頭に、近寄った男が斧を振り下ろす。

 ラミエルにダエント、ダムズ、それに人間か。この世界に来てからとんでもないことばかりだ。

 噴き上がる血を避け、後ろに下がった。


「さっさと荷台から降りろ。ガキは向こうに連れて行け。母親はこっちだ。そこの坊ちゃんは腰の物を置きな」


 男は鋭い声で言うと、鞭で地面を撃った。


「生きていくためならば、女は関係ないのだろう」

「生きていくには、楽しみもいるのだよ」


 斬られるのも、人を殴るのも嫌だが、藤沢が笑えた世界だけは守りたい。あいつの思っていた世界であってほしい。

 生き返った藤沢には、人々が苦しみながらも助け合い、国を担うサラたちが奔走する世界を見せてやりたいものだ。

 刀に手を掛けた。柄はそのまま軽く鞘から抜ける。


 ここは、刃が必要な場合なのか。

 鞘から刀を抜いた。

 刀身が陽光を受けて青く輝く。浮いていた錆は消え、刃こぼれした跡もない。これが、鞘の力。

 それに呼応するように、周囲を囲む男たちが鉈や斧を振り上げる。

 斬られれば痛いだろう、死ぬかもしれない。他人事のように頭に浮かんだ。


「ほう、変わった剣だが、やる気なのか小僧」


 男が鞭を引く。

 その瞬間、天に昇る光が見えた。

 ルクスと妖気が剛体となって走り、身体を打つ。

 刀が抜けた理由はこれか。

 いいだろう。相手になってやる。

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