第33話 駅馬車

  

 森を進むと木々の隙間から道が見えてきた。

 これが街道になるのだろう。カナンの言葉通りだ。

 街道に出ると左に折れる、サラたちと通った街道より狭く、石畳も痛みが激しい。そして、この街道も相変わらず人は通っていなかった。

 脇に積まれた黒い袋の補修材も、多くなっているようだ。

 足場の悪い道を進んでいく。


 本当は今すぐにでも座り込みたい。

 男が倒木に腰を下ろした時、危うく隆也も座りそうになった。しかし、今座ってしまえば、立ち上がることが出来なくなるのを自分が一番分かっている。

 坂本と合流しなくてはならない。サラたちに会わなければならない。

 外西守護地に全員が集められるのならば、一刻も早く辿り着きたかった。


 疲れ切った身体を引きずるように歩いていくと、街道の先にゲートが小さく見えた。あれが、男の言っていたアルム街道駅のようだ。

 ゲートに向かうと、簡易な甲冑を身に付けた衛士が槍を突き出す。

 その門衛の甲冑はいたるところに凹みがあり錆も浮いていた。今まで見て来た門衛とは違い、衛士のようには見えない。


 目を凝らすと、その門衛の身体から立ち昇るような光が見えた。揺らめく青白い光、周囲には黒い靄も見える。

 さっきの男と子供にも見えた光、もしかすれば、これがルクスなのか。

 あのカナンから分けられたルクスで、人のルクスも見えるようになったのだろうか。


「旅札を」


 即すように言いながら槍の穂先を動かす。

 意識を外すと、光は消えた。意識を集中するとルクスは見えるようだ。

 それよりも旅札――カナンに渡された白い板を出した。


 渡そうと手を伸ばした先で、旅札に文字が記されているのが見えた。

 王立修学院修士、タカヤ。後見人、王立上級学院、レグム・オルファイズ院長。

 修士ということは学生か。男はそれを一瞥すると手に取ることなく、槍を引いた。


 ゲートを通りながら、もう一度その白い札に目を落とす。刻まれていた文字が消えていく。

 この旅札もカナンのルクスの力なのだろう。

 それをバッグに戻し、周囲に目を移した。


 今まで見た街道駅と比べ、ここは活気がある。何両もの馬車が並べられ,その荷台に群がるように、男たちが木箱を乗せていた。

 彼らのルクスに揺らぎは見えず、微かに黒い靄があるだけだ。

 そう言えば、街道駅では定期便の馬車が出ていると坂本が言っていた。


 隆也は宿の装飾看板に目を向ける。

 あった、手前の一軒に馬車の絵が描かれている。

 その宿屋に入った。一階の食堂の席は僅かに人がおり、その誰もが身なりは良い。外に忙しく働く人々との格差が窺える。


 目を凝らすと、光の大きさが異なるのが分る。これがルクスによる格差。生まれながらの序列ということのようだ。

 薄暗いその中を進み、奥のカウンターに向かった。

 格子の入った窓越しに、初老の男が顔を上げる。


「西に行きたい。馬車に乗せてくれ」

「積み荷が多くて、乗用はおいていやせん。乗るなら荷物の後ろになりますよ」

「構わない」


 おれの言葉に、老人は探るように服装を見ながら、


「一ルピアだな」


 呟くように言った。

 一ルピア。ペリルというのは小さな銅貨だったが、ルピアという単位が分らない。

 カナンに貰った革袋を出して、好きにコインを選ばせるわけにもいかない。そんなことをすればいいカモだし、どんな危険があるかもしれなかった。

 隆也は革袋を開け、大ぶりの銅貨を一枚カウンターに置く。

 老人はそれを見詰めると、大きくため息を漏らした。


「しっかりしてやすね。分った、五十ペリルで構いません」


 格子窓の隙間からその銅貨を取ると、白い札を三枚出す。


「もうじき出やす。通りの真ん中にいるのが、御車頭ですから」


 この札を御車頭に渡せということなのだろう。それにペリルというのは銅貨の総称のようだ。その一つ上の単位ならば、小さめの銀貨があった。あれがルピアなのだろう。


「それと、この周囲の地図はあるか」

「あるわけないでしょ、主要街道駅じゃねえんです」


 当然のことのように言う。ここがどこなのか、それを聞くことも出来そうにない。


「そうか」


 男に手を上げ、隆也は宿屋を出た。

 積込をする男たちを見渡すように、外套を着た男が通りの中央に立っている。

 その男に札を見せると、その一枚を取り、すぐ傍らの馬車を指さした。


 その幌馬車はすでに荷物を積み終え、荷台には五人の先客がいる。

 錆の浮いた甲冑を身に付けた男が荷物を護るように座り、その手前に夫婦であろう初老の男女、その前に五歳くらいの子供を連れた若い女性だ。

 その親子は、見るからにやせ細っている。

 護衛や商人たちには食べられるものがあるが、民には回ってこない。それがこの国の現状なのだろうか。


 彼らを避けるように、御者も札を一枚取ると荷台に乗るように手を振る。

 おれは腰に留めた刀を外して、その夫婦に向き合うように腰を下ろした。

 刀を抱え込んで背中を預ける。重くなった身体を背中で支えるのが精一杯だ。とにかく、休まなければならない。


 待つほどもなく、馬車はゆっくりと進み始めた。

 荒れた石畳に馬車は大きく揺れる。サラたちが用意した馬車とは雲泥の差があるが、歩くことを考えれば十分だ。

 馬車の後ろから外を見る。彼方に連なる峰々は白く染まり、やはりここが北の地であると教えていた。


 その目の隅に初老の女が、傍らから白い水筒を取り出すのが映る。

 そうだ、カナンの荷物の中に水筒が入れてあった。

 隆也も腰のバックから水筒を出す。


「それは良いものを、やはり公貴様なのですね」


 途端に、前に座る男が身体を乗り出した。目を輝かせて水筒を見ている。

 公貴、そう言えば森の中であの男にも言われた。気にはしなかったが、どうやら公貴とは貴族のことらしい。

 どうりで隣の親子が避けるように横に寄ったはずだ。

 違うと言えば、これだけのものを持っているのを怪しまれるだけだろう。頷くしかなかった。


「どうされたのですか、乗合馬車などに乗られて」

「乗っていた馬車は壊れた。急いでいるからこれに乗っただけだ」


 出来るだけ会話が続かないように、視線を落として水筒を開ける。


「それは大変で御座いましたでしょう。それで、どちらに急がれるのですか」

「西だ」


 それだけを言うと、水筒を口に運んだ。甘いがこれも薬なのだろうか、暖かいお液体が喉を通り、疲れも溶けていくように感じた。


「そうですか。この辺りは物騒です。馬車に乗られたのは良かったです」


 男はそれだけを言うと、身体を戻して自分たちの水筒に手を伸ばす。

 物騒か、ニュアンスからすれば、妖獣や獣のことではなく、人が物騒なことのようだ。

 盗賊の類でも出てくるのだろうか。もっとも積み荷の警備の為に衛士が乗っているのはありがたい。


「爺さん、他人の心配よりも自分の懐を心配しな。胸元の膨らみが危なっかしいぞ」

「これは、ご心配をおかけします。イルムサの街で仕入れた水晶を抱え込んでいるものですから。お前さん、しっかり守っておくれよ」


 女が衛士に頭を下げる。


「ほう、水晶か。そんなにでかい水晶を売る先があるのか」

「王都で商いをしていますから、こっちに来たのは初めてですがね。売り先は西ですよ。外西は戦の準備の様で、人も水晶もかき集めているらしいですから」


 男は大事そうに胸元を抱えながら顔を上げた。


「外西ね、あそこは戦場を勘違いしているようだ。この地の鉱山を露骨に狙ってやがる。初めてなら、商いも気を付けた方が良い」

「ご心配ありがとうございます。護衛さんも水晶をお運びでしょうから、お気を付け下さい」

「なあに、積み荷の水晶は西と言ってもエリム港行きだ」

「そうですが、外西守護の傭兵でなくても水晶を狙う盗賊は多いですよ」


 彼らの会話を聞きながら、隆也は目を閉じた。

 水晶を何に使うのかは分らないが、戦に関係があるものらしい。そして、それは貴重な品のようだ。

 この世界は知らないことが多すぎる。

 会話の端々からでも、知識を得なければいけない。おれは身体を預けたまま、耳を傾けた。

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