第21話 ダレス街道駅
大きく陽が傾いた頃、馬車は小さなゲートを潜った。
幾つもの建物が見える。ここが、街道駅のようだ。
宿場町のようなものを想像していたが、明かりは少なく、人の往来も見えない。
馬車はゆっくりと止まる。
馬車を降りると、通りに目を向けた。さほど広くない道の両側に、石造りの三階建ての建物が並んでいる。僅かに明かりが灯っているだけで、ゴーストタウンのように思えた。
「ここが、ダレス街道駅なのかな」
不安そうな藤沢の言葉に、
「そうだ。今夜はここで休む。ついて来い」
ラムザスの声が応えた。
建物に入ると、一階は食堂になっている。席に座る人はなく、その奥の小さな受付に初老の男が見えた。
その受付にいたアレクが、階段へと手を向ける。
おれたち三人に用意されたのは、三階の部屋だ。部屋には、三台のベッドが並んでいる。
天井には太い梁が走り、壁には板が貼り合わせられている。
広くはない部屋だが、部屋の中の明かりは小さな燭台が一つしか見当たらない。光の球を作れない三人には、この燭台だけが明かりになるようだ。
「ここが宿なんだな」
坂本が感慨深そうに言いながら、窓に足を進めた。
「だけど、ゆっくりはしていられないよ。すぐに下に降りてくるように言われたからね」
藤沢は外套を脱ぎ、身に付けた防具を外している。
確かに、この防具はもう必要ない。慌てて肩当てを外していく。
「さぁ、行くよ」
藤沢は部屋のドアを開けたまま、坂本を呼んだ。
どうしたのか、藤沢がえらく元気に張り切っている。
隆也も胸当てを置き、そのドアから再び廊下に出た。
部屋の確認の為に、ここに通されただけだ。これから食事でもするのだろう。
追いかけてきた坂本と一緒に階段を降りると、そこにはすでにサラたち四人が揃っていた。
全員が甲冑を外し、ゆったりとした服を身に纏っている。
「来たか」
隆也たちの姿を見るなり、彼らは表に出た。
食事をするのならば、一階の食堂でするはずだが。
彼らは通りの先にある、建物に向かった。
そこが何かは、すぐに分かった。外灯の光に広がって見えるのは、水蒸気。ここはお風呂だ。
彼らに続いて中に入ると、すぐ側に値段の書かれた札と小さな窓がある。
「ここで入浴札を買う」
窓の手前にお金を置くアレクの言葉に頷き、隆也は札に目を移した。公設大浴場、三十ぺリルと書かれている。アレクが払っているのを見ると、ぺリルというのは小さな銅貨のことだ。
そのアレクから三枚の赤い札を渡される。
二枚の札を坂本と藤沢に渡し、奥に進んだ。
奥にはそのまま伸びる廊下と階段があり、階段には女性浴場と書かれている。サラたちと別れ、おれたちはラムザスに続いてそのまま進んだ。
着いた先は広い脱衣所になる。人は二人しか見えず、壁の棚には大きな箱が置かれていた。どうやら、そこに入っている白いガウンのようなものに着替え、着ていたものは箱に収めるようだ。
ラムザスとアレクが服を脱ぎだすのを見ながら、隆也も服を脱いだ。刀と一緒に箱に収め、薄いガウンを着る。
アレクが、箱に木の札を置いた。
見よう見まねで、同じようにする。その瞬間、小さな音がし、木の札は箱に引っ付いた。
試しに箱を開けようとするが、開かない。これが鍵なのだろう。凄いな。
坂本たちもこちらを見ながら、同じようにしていた。
そのまま足を進め、脱衣場の奥のドアを開いた。
白い大理石の貼られた広い浴場が現れる。湯気で奥までは見通せないが、幾つもの給湯口から絶えずお湯が流れ込んでいる。
この世界は進んでいるのか、遅れているのか本当によく分らない。
「この周辺の街道駅では、ここだけが唯一、公設浴場が動いているんだ」
ラムザスが振り返る。
「分かったろ。女性陣がこの街道駅に固執した理由が」
アレクも言うと、浴槽の横の洗い場に腰を下ろした。
木のような茶色い石鹸を取ると、ガウンをタオル代わりに、羽織ったまま身体を洗いだす。どうやら、最後にガウンごとお湯で洗い流してから浴槽に入るようだ。
「これが、この世界の作法のようだな」
坂本たちに言うと、隆也も洗い場に腰を下ろした。
石鹸をガウンにこすりつけて身体を洗う。泡立つが石鹸の香りはしない。それをお湯で洗い流すと、やっと浴槽に足を入れた。
やや熱めのお湯だが、それでも気持ちがいい。浴槽の縁に背中を預ける。
この世界に来てから二日。いろいろなことがあり過ぎた。あの妖獣を思い返せば、今でも身体が震える。
「やっぱり、風呂は気持ちいな」
坂本の間延びした声が聞こえた。どうやら、彼らは妖獣のショックからは立ち直れたようだ。
肩まで身体を沈める。
「でも、ルクスっていうのは魔法だとは思ない」
藤沢の声が反響した。
「そうそう、ルクスを魔力に置き換えるとしっくりするんだ。魔力が強い、弱いとかな」
「それに、あの聖符も魔法陣と思えば分かりやすいよね」
剣と魔法の世界か。
「でも、火を噴いたり、雷が走ったりとかはしていないぞ」
第一、そんなものがあれば妖獣相手に苦労はしないだろう。
「だけど、そういうのがあったら使ってみたいよな」
「そうだね、そしてそれを帰った世界でも使えれば楽しいよね」
「だめだろ。ルクスに包まれれば人には見えなくなるのだから」
疲れと緊張が結流れていくようで、下らない話が楽しくなってくる。
「透明人間っていうのもいいよな」
「食事はどうするんだ」
「何とかなるよ」
「ならないだろう。生き辛いだけだ」
口にして思い返した。そうだ、自分たちの世界でも生き辛いんだ。
「だけど、三人で旅っていうのは初めてだな」
慌てて話題を変える。
「そうだね、隆也くんは修学旅行も来なかったからね」
「うちにそんな余裕はないよ」
そこまで言った時、不意に湯気の中に人影が揺らめいた。
湯気を割って現れたのは、長身で細身の男だ。その髪は緑に輝き、瞳も同じ緑だ。じっくりと見るわけにはいかないが、肌はガウンと同じように白く、流れるように歩いていく
その男が浴室を出ていくと、浴槽の中をラムザスの側に進んだ。
「さっきの人は」
坂本と藤沢も湯をかき分けて後に続く。
「エルミのことか」
「エルミ」
「人種樹とも呼ばれる。森の国の種族だ」
同じ人じゃないんだ。これは凄いものを見た。本当に異世界だ。
「なんか、僕たちがマンガでよく見るエルフみたいだったね」
「確かにな、レイムよりも今の人の方が、エルフという名にはしっくりするな」
坂本たちが後ろで囁いている。
「それよりも、そろそろ出るぞ。飯にしよう」
ラムザスが立ち上がった。
厚い胸板と太い腕、鍛えられた身体がガウン越しに浮かび上がる。隆也たちも急いで風呂から出た。
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