第22話 宴1
宿に戻ると食堂の一画に足を進めた。周囲のテーブルには何人もの男たちが腰を下ろしている。
甲冑を外しているが、彼らは一緒に来た騎士たちだ。
誰もいなかった食堂だったが、今は明るく賑やかだ。
ラムザスたちと同じテーブルに着くと、すぐに木製のカップが運ばれてきた。その横に置かれたのは陶器の大きな壺と小さな壺だ。
ラムザスが、無造作に大きな壺を傾けカップに注いでいく。
次に運ばれてきたのが、大皿に乗せられた料理だ。乗っているのは煮豆と焼いたイモのようだ。
その頃になってサラたちが入って来た。それぞれが勝手に席に座り、サラが当然のように隣に腰を下ろす。
「少しは、落ち着いたか」
「うん、今でも怖いけどね」
隆也は目の前に置かれたカップを取った。
「それは仕方がない。向こうでは、襲われることなど想像もしないのだろうから」
その通りだ。あんなでかい化け物に襲われるなど、考えたこともなかった。
カップを口に運ぶ。
リンゴの香りが広がるが――これは。
「酒か」
サラに顔を向けた。
「林檎酒だ」
当然のように答え、それを口に運ぶ。
「駄目だよ。おれたちはまだ未成年だ、酒は飲めない。水にしてくれ」
「何を言っている。ここの水は飲料には適していない。水道のラインが壊れたままだ。温泉のお湯も飲めるものではない」
「でも。酒では、そうだ、昼にもらったお茶があったじゃないか」
「あれは非常用だ。運んでいる水は少ない、すぐに腐ってしまうからな。しかし、林檎酒は日持ちがする。それにな、酒と言ってもアルコールは低い」
ラムザスが言いながら、カップに小さな壺から液体を注いだ。
「だから、我らはこれにアルコールを混ぜるんだ」
ラムザスたちはそれでいいだろうけど、こっちは今まで酒なんか飲んだことがない。
「隆也の歳は」
シルフがカップを飲み干すと尋ねた。
「十七だ」
「ここでは、十七から大人」
なんだよ、それ。郷に入れば郷に従えというのだろうか。第一、シルフは十七を越え ているのかよ。
とにかく、あまりこれには口を付けないように――。
「リンゴジュースだね」
「あぁ、美味しいな」
すぐ横で坂本と藤原の燥ぐ声が聞こえた。だめだ、二人は順応性があり過ぎる。
「それより、隆也。食事にしろ」
サラが笑いをかみ殺したように言う。一人で空回りをしていることを笑いたいのだろう。
「街道駅でも食事は同じなのだな」
「これは、わたしたちが運んできたものだ。この地区も食糧はなく、他国から運ばれたものはべらぼうに高い。それに、見ただろう。街道駅というのに人の少なさを」
「皆、旅に出る余裕もないのか」
「民ではない。使っているのは、官吏と商人たちが主だ」
官吏と商人、それでは往来は少なく街道駅も賑わうことはないだろう。
皿に煮豆を取り入れ、あの硬いパンを浸す。
「金は取られるが、持ち込んだ方が安く済むからな」
ラムザスがカップの酒を口に運ぶ。
しかし、その言葉よりもおれは、パンをフォークに突き刺したまま呆然と宙を見た。
仰向けになったレイムが、漂いながらカップを抱え込んでいる。中の酒を一気に飲み干すと当然のようにアレクに突き出していた。
あの小さな身体のどこに入るのか。いや、それ以上に関わったらダメだ。
ここからでも目が座ってきているのが分る。
さっさと食事を済ませ、部屋に戻った方がよさそうな雰囲気だ。
パンと豆を一緒に口に放り込む。
それを流し込むように、林檎酒にも口を付けた。確かにアルコールの感じは少なく、口当たりがいい。
その目の前で、アレクがレイムのカップに小さな壺から透明の液体を注いだ。あれで、この林檎酒のアルコール濃度を上げているのか、今飲んでいるこれとは別物と思った方がいい。
急いでパンを口に詰め込む。
その横で坂本と藤沢が立ち上った。
「僕たちは、これで」
おい待てよ。席を立つならば一緒だろう。おれも口一杯に詰め込んだまま腰を上げた。
次の瞬間、その肩が抑えられる。
見なくても誰が抑えたかは分る。
「まぁ、隆也は座れ」
柔らかなサラの声だ。
「じゃあ、僕たちは行くね」
気まずそうに藤沢たちが席を離れ、おれは椅子に引き戻される。
藤沢と坂本を止めようにも、サラに文句を言おうにも、口に詰め込み過ぎて声を出せない。
慌てて林檎酒を口に運ぶ。
「何だよ」
振り返ると、サラの目が座っている。腰を引くその目の前に、レイムがカップを抱えたまま胡坐を組んだ。
レイムが前かがみその顔を寄せ、笑みを浮かべる。
人形のような整った顔立は、天使の笑みを思わせ、見惚れてしまうほどだ。
「隆也。しかし、よくあの妖獣を相手にそのルクスで立ち向かったな。あの一振りがなければ、間違いなくお前たち三人の一人は死んでいたぞ。あたしでも間に合わなかったからな」
何だ、褒められているのか。
レイムは、そのまま視線をおれの背後に移した。
「騎士長のラウゼン、おまえもそう思うだろう」
その言葉に後ろの席の男が直立した。
「仰る通りです」
「そうだろ、そうだろ。それに比べてどうだ、騎士を名乗り特権を与えられているはずのおまえたちのだらしなさは。盾を構えて槍を繰り出す、何を相手に戦っているつもりなのか。盾を捨て、槍で迎え討つ者が一人もいないとはな」
騒然とした食堂内にも、その声は良く通った。背後で席を立つ音が聞こえだす。
騎士たちに文句を言う為に、おれを持ち上げたのか。
「いや、でも騎士たちがいなければ、おれたちは抗いようもなかった」
なぜ、こっちが気を使わなくてはならないのか。レイムはいいだろうが、おれたちは騎士たちに護って貰わなければ、妖獣に対抗できない。
「隊を二つに分け、一つは斬り込むべき。指揮官の無能さが際立った」
こっちのフォローを無視するように、シルフが呟く。
「返す言葉もございません」
だめだ。気を使うだけ損だ。背後の騎士たちの席を立つ流れに乗るように、腰を上げる。
再び、その肩が抑えられ、
「でもな、わたしは隆也が戦うのは、認めていないぞ」
サラの声が聞こえた。
そうですね、分りましたよ。おれだって殺されるのは嫌だ。次からは大人しくするさ。
「まずは、剣の振るい方から習うべきだな」
レイムが横から言う。この酔っぱらいは何を言っているんだ。
「ルクスの弱さでは、それは無理だろう」
ラムザスが答える。
「いや。妖気ならば、ルクスが弱くても削れる。連撃を浴びせればいい」
「そうだな。立て続けの攻撃で、妖気を削り取り、その首を飛ばせばいいな」
アレクまでもが納得したように言う。
何を話しているんだ。それでは、おれが戦うことが前提じゃないか。
冗談じゃない、あんな怖い思いは二度とごめんだ。
「いや、いざとなれば自分たちの身は自分たちで守らなければならない。隆也の太刀筋はいいのだから、後は身体がぶれないように中心線をしっかりと固めておくことだ」
アドバイスはいいよ。――心配するな、おまえ達を戦わせることはない――と言ったではないか。
「まさか、あれほどの群れが現れるとは思わなかった。想定外だな」
他人事のようにアレクが言う。想定外、それで済ますつもりなのだろうか。
「心配するな、必ず護る」
不意に顔を寄せ、耳元でサラが口にした。
近い、近すぎだ。酔っているのか、いないのか、はっきりしろ。
「まぁ、いざとなればだ。何せ三人とも修士だからな」
「そうだ。確かに学士だったな」
サラが顔を寄せたまま目を向ける。
「何を学んでいるのだ」
だから、近いって。おれは身体を反らすように避けるしかない。
「大学に行くための勉強だよ」
「大学、もう一つ上の上級学院か」
この世界では、学生を修士、学校を学院というのだろう。修士というのは、特別な存在のように思われている。
「そうか。それで、そこで何を学んで、何になるのだ」
「そんなことはまだ決めてないよ」
「目的もなしに学ぶのか」
アレクが驚いたように聞く。
「目的、目的はあるさ。安定した暮らしをすることだよ」
「何だそれ、どうすれば安定するのだ」
「たとえば、貿易商に就職するとか」
「おまえ、商人になりたいのか」
商人、イメージしたのは商社だが、言われてみれば商人か。
「しかし、この世界では止めておけ。商人になるには商業ギルドに加盟しなければならん。それには一定水準のルクスと供託金が必要だからな」
「自由に店は開けないのか」
「国内に均等に商品を回す流通網と商品価格差を無くすための制度だ。サリウス帝の作った共通儀典に記された商業規制だ」
「サリウス帝、なんだそれ」
「面倒くさいな。サラ、説明してやれ」
レイムが飽きたように横を向き、サラが頷く。
「一皇、三帝、十王。この世界を治める理だ。一皇は創聖皇、三帝はサリウス帝、ラキアス帝、カルマス帝。かつて二国を治めた賢王と国を持たぬ王。創聖皇が認めた帝になる。彼らは創聖皇と共に中つ国で世界を統治し、十王は国土と民を統治する」
中つ国、天のことか。彼らの思考は神話と現実が一緒になって分かりづらい。
しかし、この世界では勝手に商人になっても仕入れ販売が出来ないのは、確かのようだ。
「だったら、工場を起業して何か新しい物で造ればどうだ」
「下らんな」
いきなりサラに頭を叩かれた。
「隆也は何のために生まれてきた。一度しかない生ならば、天下国家を考え、民の安寧の為に尽くす。それが生きる価値だ」
痛いな、なにが生きる価値だ。
「それは政治家の仕事だ。政治家なんて考えたこともない」
「だったら考えろ」
再び叩かれる。すぐ側に顔を寄せたり、叩いたり、なんだ、こいつは酒癖が悪いのか。
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