第43話 トリルト街道駅
空が紅に染まる頃に、馬車はトリルト街道駅に着いた.
すれ違う箱馬車の向こうに、街道駅を貫く広い通りが見えてくる。
今まで見て来た中で一番大きな街道駅だ。
「ここは、エリムの港と外西街道の中継地になる。外北で二番目に大きな物流拠点だ」
カザムの声を聞きながら、周囲に目を向ける。街道よりも広い通りの両側に何軒もの宿が並び、通りの奥には倉庫が並んでいる。
「水晶を運んでいるのか」
「外北には巨大な鉱脈がある。それをベルツ鉱商というギルドが独占し、運び出している」
なるほど、それらを護るために、積み荷の護衛や街道駅の門衛などを派遣しているのだ。
そういえば、外西守護領地も水晶を集めていると言っていた。
「水晶は戦に使うのか」
「何にでも使うよ」
ザクトが困ったように答えた。常識のようだ。
「何にでも」
「そう、何にでも。水晶はルクスを貯めて流すから、聖符を描くには水晶の粉も使うんだよ」
ザクトが歳のわりに難しいことを言う。
「では、怪我をした時に水晶を聖符の上に置けば、傷はすぐに治るのか」
「ザクトが言ったように、水晶はルクスを流して貯め、放出していく。聖符があって初めて機能する」
答えたのはカザムだ。
「それに、ルクスには人それぞれ波動がある。ルクスが強ければ、異なる波動は拒絶される。強いルクスを送れるのは、エルフだけだ」
続けながら、手近な宿に入った。
そういうことか。最初にルクスを入れたレイムは、レイムの波動のまま入れたのだろう。
おれたちにはルクスが無いのだから。カナンはその上からルクスを入れて、治療してくれたのだ。
宿の奥のカウンターに行くと、カザムが部屋の交渉をしている。すぐに話はまとまったようで、カウンターの上に銀貨二枚を置く。
どうやら、こっちの分も払ってくれたようだ。
案内されるままに階段を上がった。
用意された部屋は四階。狭い廊下の左右にドアが並び、その一つをカザムが開いた。
部屋の広さは、畳で言うと十畳ほどだろうか。板張りの床に低いベッドが四台置かれている。他にあるのは、大きな扉の付いたタンスだけだ。
しかし、おれも同じ部屋にするとは思わなかった。宿代を抑える為だろうが、カザムに信用はされているようだ。
「金を払っておきたい」
言いながら、バッグから革袋を出した。
「今のところは、馬車代の二十五ぺリルと宿代だけだ。しかし、精算は別れる時でいい。どうせ、この街道駅は混むから、分けて支払することは出来ないからな」
「だけど、食事も御馳走して貰った」
「あれは奢りだ。気にするな。それより、先に風呂に行こう。浴場もじきに混みだす」
カザム達はバッグを置く。
「防具はそのままで、剣も持っておくといい」
カザムは、自らも短槍を背に掛け、そのままドアに向かった。子供たちの腰にも短剣が収められたままだ。
サラたちの時は武具を全て外して行ったが、これは彼らの習慣なのだろうか。
「少し、気に入らないことがある」
カザムが周囲に聞こえぬように重い声で口にした。
「この時間に出ていく馬車があった。ここから先の街道駅には、まだ一時間以上かかる、日が落ちた中を、妖獣が多いと言っていたこのタイミングで、街道を進むとは思えない」
確かに、ゲート潜る時に出ていく箱馬車とすれ違った。
「どういうことだ」
「あの馬車は、駅馬車ではなかった。この先の集落に向かうのであればいいが、篭脱けかもしれない」
「篭脱け」
「建物を壊す、火を放つ、それらの仕掛けをした上で、街道駅を出て外に展開。その後に街道駅という籠を混乱させ、乗じて倉庫を襲う。盗賊のやり方だ」
カザムの声は、どこか嫌悪する響きがある。
それからは、無言のまま階段を下りて宿を出た。
西の空は紅に染まり、何両もの馬車がゲートを潜ってきている。
なるほど、物流拠点だけはある。霧のような湯気に煙る先で、護衛の衛士と馬車が奥の倉庫群に列を作り始めていた。
カザムは心配をしていたが、盗賊がこれほどの衛士がいる町を襲うとは考えられない。
彼らに続いてその湯気の中を公設浴場に入った。
ここは以前の施設よりも広く、石張りのホールも立派なものだ。ホールの中の先に、格式のありそうなカウンターがある。
入湯料は少し高いものになるのだろう。
カザムがそこに大股で進んでいくと、すぐに札を手に戻ってきた。
白い札を配り、ミリアだけが子供とはいえ女性の為に、一人で二階へと向かう。
大きく手を振る少女に手を振りかえして、そのまま奥に進んだ。
脱衣所はすでに何人もの先客がいる。助かるのは、以前の公衆浴設とシステムは同じことだ。
服を脱ぐと、
「そこに座れ」
カザムが身体に巻いた聖符を取ってくれた。
ラミエルに深く刺された胸にはまだ生々しい傷跡が残っており、自分の身体ではないようだ。
「傷は塞がっているな。これは、後で廃棄しておくといい」
その言葉に、外した聖符を別の袋に包む。脱衣所の隅にあるのが、聖符を収める専用の箱のようだ。
ローブを羽織ると浴場に向かう。
「わしらは蒸気浴に行くが、どうする」
蒸気浴、サウナの事だろう。サウナは坂本たちとスーパー銭湯で何回か入ったが、好きなものではない。
「いや、おれはいい。ゆっくり湯船につかりたい」
白い湯気に覆われた浴場に入ると、二人と離れ隆也は洗い場に座った。
手早く身体を洗う。ローブで身体をこするが、傷の痛みはそこまでない。
お湯をかけてローブごと洗い流し、浴槽に浸かった。
湯気に煙った奥に幾つもの人影が動き、高い天井に話し声が木霊している。しかし、その喧騒も心地いい。
少しの熱めのお湯に疲れが溶けだしていくようだ。
浴槽に背中を預け、目を閉じると大きく息をつく。
どのくらいそうしていたか、汗すら出てきた。
ここまでお風呂でゆっくりしたことはない。
そろそろ上がろうか。身体を動かした時、湯気を割って人影が現れた。
ローブ越しでも屈強な身体が分る若者だ。
その中で、目を引かれたのは頭。
濡れた髪から突き出た螺旋状の巻角だった。
廃集落で尻尾の生えたエルスを見たが、この人も同じエルス種のようだ。羊は草食の大人しい動物だと思っていた。しかし、そのがっしりとした体格と頬に浮いた傷跡が、まるで肉食の羊を思わせる。
ルクスは人と同じだが、紅い靄が周囲を包んでいた。
すぐ横を通る時、ハーブの香りに混ざって微かな刺激臭がする。これが人種獣の体臭なのだろうか。
凄いのを見たな。隆也は男が浴場を出るのを見送ると、ゆっくりと身体を起こした。
服を着てロビーに出ると、先に出ていたミリアが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「待っていたのか」
「少し。ザクトお兄ちゃんとカザムさんは、先に食堂で席を取っておくって」
そのまま引っ張るように出口に急ぐ。
目を閉じてゆっくりしていていた時に、カザム達は先に出たようだ。それに、カザムさんか。やはり親子ではないのだ。
しかし、そこに感じたのは親しみだった。
おれのように、疎外されて育てられているわけではない。
「そうか、では、急がないといけないな」
おれの言葉にミリアが頷き、握った手に力が入った。
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