第44話 外北守護領地の姿
表に出ると、通りの街灯には明かりが灯り、人の往来も多い。
その中を宿屋に戻ると食堂に入った。
すでにそこは満席になり、唸るような喧騒に満ちている。
やはり、大きな街道駅だけあって賑わっているようだ。
食堂を見渡すと、奥のテーブルから身体全体で大きく手を振るザクトが見えた。走るミリアを追って狭い通路を抜ける。
幾つもの浮き上がった光に食堂は淡く照らされ、縦横に走る太い梁の影が天井を彩っている。
ザクトの呼ぶ席には、すでに大皿が乗っていた。
「待たせたみたいだ」
椅子に腰を下ろす隆也に、
「料理は今来たところだよ。ゆっくりしているみたいだから、声を掛けなかったんだ」
まだ湯気が出ているような真っ赤な顔をしたザクトが、椅子ごと身体を寄せてくる。
「おかげで、ゆっくりお風呂に入れた」
答える隆也の前に、木のカップが置かれた。その香りで入っているものが分る。林檎酒だ。
大皿の料理は、同じような煮豆だが微かに肉片も浮いている。
傍らの席では、肥えた男が肉を持って何かを話し込んでいた。国は、食糧難に喘いでいるはずだ。
「街道駅の管轄は、商業ギルドだ。その地の商権を持つ商会が、街道駅を運営する。これほどの大きな街道駅ならば、食料も他国から取り寄せて潤沢に揃っているさ」
おれの視線に気が付いたのか、カザムが吐き捨てるように言う。
「そうなのか。サラたちに案内されたダレス街道駅では、持ち込んだ豆とイモを食べたな」
その言葉に、感心したように頷いた。
「民のことを見ている印綬らしいな」
民のことを思う、確かにそうだ。しかし、この国の状況ではその思いも夢で終わるようにしか思えない。
封建主義。
王の下に公貴と呼ばれる土地を持つ貴族。公貴の官吏たちは専横し、商業ギルドは富を独占する。
圧迫されるのは民でしかない。
その根幹をなすのが、ルクスの強弱のようだった。
周囲を見渡した。
確かに彼らのルクスは大きく見える。しかし、その輝きは鈍く黒と赤の靄に汚れている。
この食堂の中で真直ぐに輝いているのは、ザクトとミリアだけだ。
カザムも輝きは揺れ、黒い靄がわずかに纏わりついて見えた。
何らかの罪を犯した証なのだろうか。
「どうかしたのか」
目を向けるおれに、カザムが顔を上げた。
「別に」
「そうか。ところで、ここから先だが」
カザムが林檎酒を煽り、続けた。
「明日には、イリス街道駅まで進める。そこから外西守護地の関までは、歩いて行ける距離だ。隆也一人でも問題ないはずだ。言っていたように、わしらが一緒に行けるのは、ここまでだ」
「ありがとう。助かった」
礼を言う。右も左もわからない中をここまで進んでいけるのだ。本当に助かった。
「それで、外西のどこに向かうのだ」
どこと言われても、外西守護地に行けと言われただけだが。
そういえば、そこには仁の聖碑があると言っていた。
「聖碑を目指す」
「聖碑か」
困ったようにカザムが自らの首を叩いた。
「外西は人を集めている。傭兵希望といえば問題なく関は越えられる。しかし、そこからは訓練所に送られ、後は戦だ」
「反乱か」
「不戦の結界が消えるのは、後二十二日。すぐにイグザムは兵を東に向けるだろう」
喧騒の中で聞かれる心配がないのか、それとも周知の事実なのか、声を潜めることなく言う。
「同じ国民同士で、本当に殺し合うのか。外西守護地の兵も従うとは思えないが」
「否応関係なく、命ぜられたことを行うのが軍であり、兵だ。傭兵希望でなければ、関は越えられない。イグザムが求めているのは戦える者だけだ。例え、印綬の継承者でも関を越えさせない」
「印綬の者でもか」
「王がいない今、王宮も閉鎖されており、印綬の継承者も王が立たない限り正当な後継者ではない。自治権を擁する守護領主には、それを拒否する正当な権利がある」
カザムはカップの林檎酒を飲み干すと、大皿に盛った煮込み豆を取った。
「正当な権利ね。しかし、印綬の者は王か王の臣になることが約束されているのだろう」
「そうだ。しかし、それが三十年近くも決まらず、だからな。仁の印綬も出てこないかもしれない」
「何を言っている。仁の聖碑に光が灯ったと聞いたぞ」
隆也の言葉に、カザムの手が止まる。
同時に波紋が広がるように、周囲から音が消えていった。
「何だと」
怒鳴るようなカザムの声が、食堂に響いた。
「聖碑に光りは灯った。遠隔書式とか云うもので、連絡があった」
「光が灯ったのか」
「だから、印綬は現出したのだろう」
おれの方が声を潜める。
しかし、その潜めた声は周囲に地鳴りのようなどよめきを広げ、僅かな静寂の後に歓声に変わった。
「本当なのか」
周囲の客が一斉に駆け寄ってきた。テーブルが揺れ、椅子が押される。
「外西守護地のライラというエルフから、遠隔書式で連絡があった」
「ライラ、エルフのライラ」
皆、ライラという名に心当たりがないのか、ざわつきだす、
「いや、ライラは聞いたことがある」
奥から叫ぶような声が聞こえた。
「最近、外西にエルフが来たと御用商人から聞いたぞ。確か、その名がライラだ」
「では、本当なのか」
声に重なるように、歓声が弾ける。
「ここにいるのは、商人と官吏だけだろ」
平民が喜ぶのは分かるが、どうして商人と官吏がそこまで歓喜するのだろうか。
「外西守護領とリゼル王国の圧力だ」
「この国の併合か」
「この外北守護領地は、どの商業ギルドも欲しがっている。国がなくなれば、バリル鉱商も商権を失い、政務官たちは恩恵も預かれなってお払い箱だ。考えているのは自らの利権のみだ」
広がる歓声の中、手が引かれた。
引っ張っているのはミリアだ。
いつの間にか、ザクトとカザムはテーブルの料理を抱え人混みを抜けている。ライラの説明を始めた男に、周囲の者は意識が向いているようだ。
収まりそうにない騒ぎから、早々に逃げ出そうというのだろう。引かれるままにミリアに続いた。
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