第14話 外西守護公領主 


 遠隔書式の紙を手に、イグザムは執務席の椅子に腰を落とした。


――礼の聖碑にラミエル現出。印綬の者四人と交戦し、異世界からの転移物を四散させる――


 異世界からの転移物、一体なんだそれは。異世界とはどういうことだ。意味は分からないが、何かを四散させたらしい。

 しかし、そんな物はどうでもいい。印綬の者が居たのならば、なぜその中の一人でも殺さなかったのか。

 ラミエルといえば、大陸には居るはずのない天外の化け物。そのルクスは人を凌駕するという。

 それほどならば、印綬の者といえども一人くらいは殺せたはずだ。


 腹は立つ。腹は立つが、実際これでラミエルの実在が証明された。

 イグザムは、机のデカンタを取り林檎酒をカップに注いだ。

 それを口に運び、ふと思いついた。


 ラミエルには、一つだけ指令が出来るという。ならば、指令を与えればいい。

 引き出しを開け、並べられた遠隔書式のペンから一つを選ぶ。

 そうだ、ラミエルに印綬の者と言っても分からないだろう。


 礼の聖碑に何かを転移させたのならば、聖符が描かれていたはずだ。

 そして、その聖符の中に立つのは四人の印綬の者たちしかいない。ならば、聖符の中にいた者を殺させればいい。

 ペンを走らせる。


 どうだ、これで王は立たない。

 引き出しを閉めると同時に、執務室の扉が開かれた。入り口に立つ衛士が慌てて侵入者の前に立つ。


「火急の報告があり、馳せ参じました」 


 声と共に入って来たのは、内務司長のスリダフ。青ざめた顔が何か切迫したことがあるのを教えているが、礼儀がなっていない。


「控えろ。誰の許可を持って勝手に入って来た」

「申し訳ありません。火急の報告故に」


 相手が内務司長の為に、衛兵も取り押さえることをしない。これも気に入らない。   もし、スリダフが余の命を狙うとすれば、この衛兵はそれを眺めるだけなのか。


「何をしている。すぐに取り押さえぬか。報告があれば、侍従を通して面会を求めるはず。それをしない以上、賊だ」


 その言葉に、やっと衛士が動く。


「お待ちを。聖碑に明かりが灯りました」


 広い執務室に、その言葉が反響した。

 聖碑に明かり……仁の印綬が現れたのか。ラミエルが四散させたという物の中にあったのか。

 それは、余の元に来るのか。


 待て、どうする。いや、どうなる。

 印綬が余の元に来るならば。余は王になるやもしれない。五つの印綬を揃えて、初めて王が決まるのだ

 そうなると、王が立つ前に印綬の者が欠けることはあってはならない。ラミエルに印綬の者を殺させるわけにはいかなくなる。

 しかし、印綬が余を選ばないのならば。

 開かれた扉からスリダフが引きずり出されていくのを見ながら、イグザムは考える。


「騒がしいことですわね」


 考えは、扉から聞こえた艶やかな声に遮られた。

 重商連合の連絡員、イザベルの声だ。大きく胸元が開き、深いスリットの入った漆黒のドレスを身に纏った彼女は、ゆっくりと執務室に入って来る。


「よく来た」


 動こうとする衛士より先に言葉をかけた。

 衛士のこの鈍さも気に入らない。イザベルが余に危害を加えるわけがない。無条件で案内さえすればいいのだ。


「どうかされたのですか」

「いや、このスリダフが所定の規約を守らなかったので、やり直させているのですよ。さぁ、どうぞ」


 イザベルはその言葉に頷き、

「聖碑に光が点ったとか」

当然のように部屋に入ってきた。


「どうして、それを」

「先ほど、伝令が館に駆け込み大騒ぎになっていますよ」


 伝令は何をしている。そのようなことは余にそっと伝え、周囲に漏らすものではないだろう。臣下の相次ぐ無能さに怒りだけが沸き上がってくる。


「衛士は表に立て」


 強い声で執務室から追い出すと、イグザムは深く椅子に身体を預けた。

 イザベルは少し離れた椅子に腰を下ろし、足を組む。深いスリットからその肢の白さが広がった。


「臣下の愚昧ぶりを晒したようで、恥じ入るばかりだ」

「気にされることはありません。それよりも、わたくしは公が継承の印綬に、心が動かされていないか心配ですわ」

「どういうことかな」

「印綬が異世界にあったこと、そして、今のこの時になって現れたこと。示す答えは一つです」

「異世界とはなんだ」

「言葉通り、ここではない別の世界です。印綬は別の世界に隠されていたのです。そして、それが今になって現れた」


 ラミエルが四散させたという物のことか。そういうことなのか。


「しかし、別の世界とは。どうしてそこまで知っているのですかな」

「その地に傭兵を送るように進言したのは、私ですわ。何の確証もなく進言は致しません」


 一体何を、どこまで知っているのか。ならば、ラミエルのことも知っているはずだ。しかし、余からそれを口にするわけにはいかない。


「それでは、印綬も確証が」

「印綬は、創聖皇の意思。確証はありませんが、推察は出来るでしょう」

「余の元には、来ないか」


 溜息と一緒に言葉が出た。


「はい。公の元に現れるのでしたら、創聖皇が異世界に印綬を隠すことはありますまい」

「あれを、創聖皇がお隠しになったのか」

「それが出来るのは、創聖皇のみ。この国のどこかで生まれた子供の成長を待つために、印綬を隠したのでしょう」

「どうして、印綬を異世界にまで隠したのか」

「壊そうと考える者がいるからですよ」


 イザベルが豊かな黒髪をかき上げ、笑みを見せる。

 余のことを言っているのだろう。そうとも、余の元に来ないのならば、そんなものは無い方がいい。


「公よ。悩まれることはありません。リルザ王国との密約をこのままお守りなさい。悪くても外西の他に外北守護領地も、公の物になります」

「外北守護領地か。それはそちらが鉱山を欲しているからだろう」


 余の言葉に、再びイザベルが笑みを浮かべた。


「当たり前ですわ。その為に、公には資金援助をしているのですから」

「確かに、そうだな。しかし、これでもしも王が立つようなことがあったならば、余はどうなる」

「簡単なことです。わたくし達が投資した五千万シリングを返して頂くか、この守護地の全ての権益を重商連合に渡してもらうかです」


 この美女は、そうなれば本当にそれを行うだろう。余も重商連合を相手に、それを拒むことも出来ない。ならば、やはり印綬の者は殺さなければならない。


「そうだな」


 自分自身に言い聞かせるように言うと、カップを口に運んだ。

 同時に扉が叩かれ、大きく開かれた。

 外に立っているのは、侍従長とスリダフだ。二人は片膝を付き、


「火急の要件があり、お目通りを願います」


 頭を下げながら侍従長が言う。

 これでは、断るわけにもいかない。


「なんだ」

「聖碑に光が灯りました。印綬が現れ、王が立たれます」


 スリダフが駆け寄って来た。


「内務司長殿」


 慌てたように侍従長が止める。

 なんだ、こいつらは。


「公よ、お人払いを」


 真顔で侍従長が見上げてくる。バカか、余が信頼をしているのはイザベルだ。そして、すでにそのイザベルとの話は決まっている。


「それには及ばない、ここで述べよ」


 手を振った。


「分かりました」


 スリダフが足を進める。


「公よ、王が立ちます。リルザ王国とは、ここで手を切るべきかと愚考いたします」


 愚考か、確かに愚考だ。


「スリダフ、いいか」


 大きく咳払いをすると、その老人の顔を睨みつけた。


「今、王が立ってこの国の民はどうなる。王が立てば、宝物庫は開かれようが、その富で民を養えても一年と持たない。その後はどうする。農地は荒れつくしているのだぞ」


 膝を付いたまま、スリダフは黙っている。考えているのだろう。しかし、どれほど考えても同じだ。それゆえに愚考なのだ。


「よいか、今から農民が土を耕しても、実りを得るのは二年後だ。その間に、どれほどの民が死ぬことになる。しかし、八十年に及ぶ統治を誇るリルザ王国には、民を飢えささない備蓄がある。それは、この守護領地が証明をしているではないか」


 そう、ここにはリルザ王国からの支援物資が届いている。その為に、三万もの衛兵を養えていけているのだ。


「しかし、王が立てばリルザ王国の庇護下には入りますまい」


 当たり前のことを、何を言っているのだ。その為に、王が立つのを阻止しようとする余の意思を何故汲まないのか。そして、そのことを余の口から引き出さす気か。

 余の不幸は、この無能な臣下によるものだ。


「スリダフ殿」


 イザベルの柔らかな声が、響く。


「公は、確かに印綬には選ばれなかったもしれませんが、その智謀は諸国の王にも匹敵します。公は民のことを案じられ、国よりも優先されているのですよ」


 幼子に言い聞かせるように言う。そう、こういう臣が欲しかった。イザベルならば、余の真意を汲み取り煩わしい思いもせずに済んだのだ。


「王が立つというのならば、立った時に考えればよろしいこと。それまでに選択肢をわざわざ減らすこともありますまい」

「そうだ。その通りだ。おまえたちも下らぬ愚考に余を煩わせずに、イザベルのように熟考せよ」


 イグザムはカップを手に立ち上がると、跪く臣下から目を離した。

 窓ガラスにその顔が映る。

 余も老けてしまった。王が廃位された時は二十五歳だった。やっと自分の時代が回って来たと思った。王になると信じていた。

 それが、どうだ。すでに三十年の齢を重ね、髪も白くなった。

 その間に、熾のように憎しみだけが心を焦がしている。余を選ばなかった全てのものに対して。

 カップに残った林檎酒を飲み干す。

 この熾は、エリス王国が消えなければ収まるまい。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る