第3話 月の下で
懐中電灯の電池の節約のために、蝋燭しか明かりのない蔵は、時間の感覚を失わせる。
学校のことや家のこと、とりとめのない話をするうちに坂本と藤沢は毛布に潜ってしまった。
おれは――眠れなかった。やはり、夜の蔵は怖い。闇よりも暗い蠢く影は見えないし、感じることもない。しかし、湧き上がる恐怖心は消えることがなかった。
あの夢を見たからか、それとも幻覚を見たためか。心がざわつき、眠れない。
窓から夜空を見上げた。
雲が流れ、真円に輝く月が見える。
おれは起き上がると、懐中電灯を手に階段に向かった。
蔵を出ると蒼く輝く大きな月が出ている。
その月に導かれるように家の横に回る。ここから月は良く見えた。
「月は同じだな」
不意にすぐ隣から声がした。いつの間にそこに来たのか、銀髪の少女が月を見上げている。
あの少女だ。
驚きよりも、恐怖よりも、おれはその横顔に目を奪われた。
深紫の瞳は愁いを帯びて見え、伸びた鼻梁は美しさだけでなく、気品も感じる。
「おまえは、ここの家の者か」
その質問にただ頷く。
「悪いが、あの蔵は貰い受ける」
その目の前に小さな妖精が現れた。
青く丈の短いドレスを身にまとった本当に人形を思わせる姿に、顔立ちだ。
思わず後ろに下がり、初めて今の異様な状況が理解できた。
白銀の鎧を着た美しすぎる少女と妖精。あまりに現実離れした光景だった。
でも、夢ではない。幽霊にしては足があるし、幻にしても妙に現実感がある。
おれは、おかしくなったのだろうか。
「しかし、何でおまえにはあたしたちの姿が見えるのかね」
妖精が顔を寄せる。
「その者の意識を覗いたのでしょう」
「あぁ、覗いたさ。だけどルクスの欠片もない、器の小さな子供だ」
二人で勝手なことを話し始める。
「この者も何らかの関係があるのでしょうか」
「ないね。なぜあたしたちが見えるのかは分らないが、印綬とは関係はない」
それを聞きながら隆也は、そっとその妖精に指を近づけた。
「汚いものを近づけるな」
途端にその指が弾かれ、鋭い痛みが走る。
「ご、ごめん。妖精を見るのが初めてで」
「妖精、何を言っている。あたしはエルフ、エルフのレイムだ」
エルフ、レイム。エルフといえば耳の長い想像上の亜人だ。確か森に住む弓の名手として、よく描かれている。
「そんな想像上のものと一緒にするな」
レイムが睨み付けてきた。
「じゃあ、二人は何者なんだ」
「わたし達は、この世界とは異なる世界の者。といえば分りやすいか」
少女が顔を向ける。
異なる世界。
「まぁいい。どうせ最後に記憶は消えるのだ。あたしたちの世界から継承の印綬という大切なものがなくなった。それが、この世界にあると天意があってな。それを引き取りに来た」
継承の印綬。天意。何を言っているのだろう。
「では、幽霊でも幻覚でもないのか」
途端にレイムに頭を叩かれる。小さな手だが、思ったよりも痛い。
「話の分からんバカだ。とにかく、それはその建物の中にあるそうだ」
そう言って目を向けたのは、蔵だ。
「それで、あの中を探していたのか」
「探していたのではない。感知しようとしていた。しかし、この世界のルクスはあたしたちの世界のそれとは少し異なる。そのせいか、ルクスを帯びたものも変容するようだ。探し物が見つからない故に、あの蔵ごと貰い受ける」
待て待て、貰い受けるって。
「それに、さっきから言っているルクスってなんだよ」
「ルクスはルクスだ。大地を巡るエネルギーで、生命を育み、護るもの。この世界の者はルクスを感知できない為に、あたしたちの姿も見ることは出来ない」
「見ることが出来ないって。現に目の前にいるじゃないか」
「おまえがおかしいのだ。ルクスもないくせに、あたしたちを見られるおまえがな」
苛立つように言う。
訳の分らないことを聞かされて、苛立つのはこっちだ。
そのおれの額で、痛みと共に乾いた音が響いた。
「痛いな」」
少女が細い枯れ枝で、額を弾いたのだ。
その枝を前に出し、
「わたしを叩いてみろ」
笑顔を見せる。
叩けと言っても、そんなことが出来るわけがない。
「では、甲冑の上から叩いてみろ」
そのくらいだったら。枝を手に取り、白銀の甲冑に振り下ろす。
しかし、小枝は甲冑に触れる手前で何かに当ったように逸れ、甲冑の横で空を切った。
「これがルクスだ。どんなに強く叩こうと、わたしに触れることも叶わない。ルクスに覆われた身体を打てるのは、ルクスに満たされたものだけだ」
ルクスは、シールドのように身体を覆っているということなのだろうか。覆われている故にその姿も見えないのだろうか。
分ったようで分からない。そして、それ以上に分らないことがある。
「それで、貰い受けるっていうのは、この蔵の事か。異世界か何か知らないけど、貰い受けるとはどういうことだ」
「言葉通りだ。ただ、わたし達も盗賊ではない。それに見合うものは用意している」
言いながら少女が手にしたのは革袋だ。
無造作に押し付けられたそれを、手に取る。大きさの割に、その重さはずっしりとした袋だ。
「じゃあ、蔵の床に書いた紋章のようなものは、やはりおまえたちが」
「聖符が見えるのか」
驚いたように少女が顔を向けた。
「変わった奴だ」
レイムが面白そうに言う。
「聖符には、確かに隠匿の結界を張ってある。ルクスも感じられぬ子供が、それを見るとはな。これも印綬が、長年ここに隠されていた影響かもしれない」
「その聖符って何だ。危険なものなのか。蔵の中には坂本と藤沢がいるんだ」
「聖符は、ルクスの力を制御する。いわば、設計図だな。これ単体では意味をなさない。しかし、ここにルクスが流れると、それを増幅し導いて行使する。心配するな。これは物に対しての聖符で、人には何の影響も与えない」
「だから待てって。こっちは譲るとは一言も言っていない」
「そんなことは関係ない」
レイムが横を向く。
「それに、ここはおれの物じゃない。話すのなら相手が違う」
「だから言ったはずだ」
少女が鋭い声で遮った。
「それが無ければ、多くの者が苦しむ。これは許可を求めているのではない。通達だ」
「勝手なことを言うなよ。蔵には、昔からの家に伝わる物が収められているんだ。それを運び出したら、爺さんがどれだけ怒るか」
言いながらも蔵の中を思い浮かべた。いや、大した物は入っていない。幼い時に父が言っていた、爺さんが金目の物は全て売り払ってしまったと。
しかし、それでも勝手に中の物を持って行かれれば、また爺さんの機嫌を損ねて暴れかねない。
「それも心配はない。その時には蔵の記憶さえなくなる」
言いながらレイムは少し距離を取るように飛ぶ。
少女もその後に続いた。
「とにかく、相応の礼は渡した。それを渡したくて苦労をしていたところだ。改めてそれは貰い受ける」
少女の言葉と同時に、その足元から青い光が湧き出してきた。
光は、徐々にその輝きを増していく。
このまま別の世界に戻るのだろうか。
「名前は」
思わず口に出た。
「サラ」
声は光の中から聞こえ、そして次の瞬間、光は消えた。
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