第4話 帰還



 全身の力が抜け、サラは膝をついた。

 周囲に広がったルクスはマントをはためかせ、消えていく。


「帰ったの」


 顔を上げた先に、小柄な少女の姿が月に照らされていた。身長よりも遥かに長い槍を手に静かに立っている。同じ印綬の継承者だ。


「聖符は刻まれた。待っていてくれたの、シルフ」

「そう。レイムとサラが最後の希望」


 感情のない声で言いながら、シルフが頷くと手を出す。


「ありがとう」


 その手を取り立ち上がった。

 シルフの肩越しに古い石造りの小さな建物が見える。その屋根の上に突き出た鐘楼からは、蒼い光が優しく落ちて石畳の広場を照らしていた。印綬の聖碑だ。

 国中に印綬に対応をした五つの聖碑があり、印綬が現出すれば消えあることのない光が灯る。

 しかし、今は仁の印綬の聖碑だけが灯っていない。

 光が消えて、そろそろ三十年だ。


 息を付いて、周囲に目を移した。

 枯れて葉を落とした木々に、土が露になったかつての草原。しかし、やっと帰って来られたと実感する、わたしの見慣れた景色だった。

 そのまま振り返る。黒い森の向こうになだらかな稜線が伸び、月を背に重厚な砦が小さく見えた。


「戻りましょう」


 足を向けるサラに、

「レイムは」

声が掛けられる。


「現出の時間と場所は同じだけど、日はずれるようね。向こうの世界では、レイムは一日遅れた」

「そう、レイムは遅れるの」


 シルフはレイムの事が気に入っている。常に側にいて離れようとはしないほどだ。

帰ってくるのが待ち遠しくて、待っていたのだろう。わたしではなく、レイムを。


「あれから何日たったの」

「五日」

「五日か」


 サラが向こうの世界にいたのは三日間だ。どうやら、時間の流れが微妙に違うのだろうか。


「では、一月切ったのだな」

「二十九日」


 シルフは相変わらず感情のない声で、必要最低限の単語しか口にはしない。しかし、それに他意はないことは知っている。長い付き合いになるのだ。

 しかし、二十九日。後、それだけしかないのか。


 森を抜けると、砦は少し大きく見える。東の国境に立つキルア砦。出入国管理のための関は、今は砦本来の役割を担っていた。

 森の外に用意された馬に乗る。


「皆は、揃っているの」

「いる。二人とも門衛棟」


 そうか、出て行ったあの日と同じままだ。それぞれが、今出来ることをしている。


「いつ帰るか分からないから、サラの真獣は休ませている」


 馬を進めると、シルフが傍らに真獣を寄せてきた。

 近くで見ると、シルフの真獣も立派だ。

 短い角に、赤く大きな体。元は野を駆ける野生の馬だったはずだ。


 地に満ちる妖気は、肉食、雑食の獣のルクスを侵して妖獣と変化させる。血に飢えた本能を強大化させ、牙と爪はおろか身体さえも一回り大きくなり、家畜や人を襲う。

 その中で、稀に草食の獣も妖気に侵されることがある。

 牙や爪の代わりに角が生え、体も大きくなる。しかし、草食で妖獣になると肉を食べられないために、死ぬしかない。


 しかし、肉食の妖獣と異なり、草食の妖獣は妖気の変換が出来る。妖気をルクスに変えることが出来る。

 シルフはこの妖獣と対峙し、自らのルクスで妖獣の妖気を抑え付けてルクスに変換させ、真獣にしたのだ。

 脚力、持久力とも跳ね上がり、全力で駆ければ馬では追いつけないほどだ。


「異世界への転移は、どう」


 不意に、シルフは目を向けないまま口を開いた。


「身体への負担はある」


 すぐに言葉が足らないと気が付いたのか、同じ姿勢のまま続ける。

 目も向けない所は、シルフらしいと言えば、シルフらしい。


「そうね、青い光に包まれて転移するのは一瞬だった。身体はつらくはないけれど、ルクスは吸い取られ四散するのを感じた。今もわたしのルクスは僅かしないわ」

「転移にルクスを使う」

「使うと言うより、本当に吸い取られると言う感じね」

「そう」


 前を見たままシルフは頷くと、そのまま馬を進めていく。

 何の会話もないままにどのくらい進んだか、砦が大きく見えてきた。


「サラの住んでいた町は、いい町」


 感想なのか、質問なのかが分からない。

 でも、シルフはわたしの町には来たことがないはずだから、質問なのだろう。


「そうね。エレルラの町は王都の外れだから、緑も多いし、いい所よ。町の人も気のいい人が多かった」


 言いながら、心が重くなる。

 今は、荒廃も進んでいるが町の人は本当にいい人が多い。でも、そこで暮らしていたわたしは、自分のことしか考えなかった。人にどうも見られているかを考えるしかない、いやな子供だった。


 気を落ち着けるように息を付き、

「シルフは中北の町だったわよね」

目を移した。


 同時に、シルフと目が合う。

 シルフが、こちらを見ていたのだ。

 シルフと目を合わせて話すのは、初めてではないだろうか。

 いや、二人きりで話すのは初めてだ。


 そのシルフは、弾かれたように目を逸らして前に向き直る。

 その様子が、たまらなく可愛いと思えた。

 極度の人見知りなのだ。シルフが要点だけを口にし、感情を見せないのもその表れだ。


「いい町。でも、作物がだめで窮乏している」


 呟く声に、わたしも頷く。


「干ばつに洪水、酷いものよね。食べるものもなく、多くが亡くなっている」


 その為にも早く王が立たなくてはならない。

 そして、その希望は見えた。


「大丈夫。印綬は現れる。そうすれば、最後の継承者も見つかる」

「でも、大変なのはそれから」

「そうね。でも、来月にはちょうど小麦の種まき時期になる。来春以降には収穫も出来るわ」


 言いながらも分かっている。

 麦が育たなくなり、多くの畑は旱魃に強い豆と芋に移行した。その畑に麦を植えても通常の収穫にはならない。

 土地の改良から必要なはずだ。


 でも、それでも麦が取れだせば民の心も晴れやかになるはずだ。

 前進する気力も湧くはずだ。

 この疲弊しきった国土に緑が戻り、民に笑顔が戻るはずだ。


「大丈夫。もう少し」


 自分に言い聞かせるように、もう一度口にした。

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