第3話
「船が泳ぐ」(第三話)
堀川士朗
俳優の馬田鈍足(うまだどんそく)がいた。
腕がボンレスハムの太さ。
アクション映画で活躍している巨漢の俳優だ。
筋肉質だが、バランスが悪く、まるでカラダ中に硬いケツをぶら下げてノシノシと歩いているかのようである。
関わり合いたくない。
演技の相性がとても悪そうだ。
私はお手洗いに行った。
尿意を催したのではない。
過度のストレスから吐き気がしたのだ。
大便器で水状の嘔吐をし、口をゆすぐために洗面器に向かう。
先ほど飲んだ代用ワインの甘ったるい味がする。
スーツが濡れるのも構わずパシャパシャと顔を洗う。
一枚鏡。
そこには、生気を失った敗残者のゾンビのような顔が映っていた。
……どうしてだ?この、アドリブ演技バトルに二連勝で勝っているのに?
それにしてもこの十年でひどい面になったもんだ……。
敗北という名の人生にどっぷりと浸かりきった顔だ。
浮腫んでいる。
おそらくこのトイレにも、監視カメラは設置されているのだろう。
トイレで演技バトルする荒っぽい輩もいるはずだし、この中でなら特殊な演技も作りやすい。
私は今はとても勝てる気がしなかったので、他の役者がトイレに入って来る前にそこを素早く出た。
私がトイレから戻ると、馬田鈍足は数人の黒服に囲まれていた。
判定に不服従だったのだろう。
他にも何人か役者が床に倒れていたから、きっと彼は敗北して暴れたのだ。
暴れるのはスクリーンの中だけにしておけよ鈍足。
首筋に何発もスタンガンを撃たれ、彼は泡を吹いて前のめりに倒れた。
衝撃で船が揺れたような気がした。
鈍足は、乱暴に担架で別室へと運ばれた。
会場で演技を繰り出している役者の数が当初の三分の一以下にまで減少してきた。
各人、疲労の面も見られる。
「面白くなってきたな」
と私はつぶやいた。
ここからが、命の削り合いだ!
茶啜春樹がここに来て動き出した!
彼はこのオーディションのオープニングを飾った東豹事件のピアニストが置いていったアップライトピアノに向かい歩き出すと、ホンキートンクな演奏を始めた。
なおかつ超絶技巧を駆使した演奏だった。
それは間違いなく、この会場にいるほぼ全員を魅了した。
「フウ……この曲はキミのためだけに贈ったヨ、子猫ちゃん」
茶啜はピアノの真ん前にいた、かなり不細工な豚のような女優にそう言った。
さっき茶啜が口説いていた女たちの中の一人だ。
「えっ?あ、あだす?やんだ、はがはがしできだ(えっ?あ、あたし?やだ、ドキドキしちゃった)」
女は山形弁だった。
素晴らしい!
オチまでついている!
私は絶賛した。
拍手は至るところで起きていた。
審査員もうなっている!
ここに来て茶啜が大量ポイントゲットとなり、他の役者連中に差をつける形となった。
軟派な彼が、まさかここまでやるとは思っていなかった。
狙っていたのだ。
勝機を。
負けてはいられない!
誰か相手を見つけて演技を展開しなければ。
私はキョロキョロと田舎のキョロ作のように周りを観察した。
もう時刻は深夜になっていた。
ツヅク
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