第2話
「船が泳ぐ」(第二話)
堀川士朗
制御を保っていた船は高波で少し揺れて、天井に吊るされたシャンデリアが揺籃(ようらん)した。
落ち着きのない私の今の気持ちを表しているかのようだった。
私は氷を浮かべたグラスでサングリアの代用ワインを楽しむ事にした。
しかし、両の目は演技のネタに使えそうな列席者を探し、ハンターのように会場を観察する事を忘れなかった。
よし!
『アクトトークン』を使おう。
私は審査員にトークンを渡してから、傍らにいた若い男性に声をかけた。
「あの……私が貸した五百万の返済が今日までなんだが、お金は用意出来ましたか?」
「へ?」
男は最初何の事だかという感じだったが、すぐ状況を把握し審査員にアクトトークンを渡して、軽く咳払いしてから私の演技に応じた。
「ま、待って下さい!もう少し待って下さい!あと一週間で薔薇の収穫が終わります!そうしたらお金を返済出来ますから……」
若い男は哀れに満ちた顔で、弱々しいがハッキリと通る声で借金漬けの薔薇を作る男性になりきっていた。
こいつ……思ったよりもやるな!
「ギリシアの大いなる気高き神々、カルビスとハラミスとユッケスとナムルスに誓って言えるか?」
「え?あ、はあ」
「よし、七月七日にしか咲かないという伝説の漆黒のスピカ薔薇をうまく咲かせたら考えてやろう」
「へ?」
「あのスピカ薔薇は王国で高く取引されている。赤い薔薇では二束三文だからな!分かっているな?」
「へ、は、はい……」
「王は私ほど寛容ではないぞ。それを胆に命じておけ!」
「分かりました、必ずや、必ずや……なんだっけ?」
「伝説の漆黒のスピカ薔薇だよ!」
「そのあれを咲かせてみせます」
「頼んだぞ!キョンタム!」
「あ、あん。うへい……」
若い男は展開についていけず赤面していた。
ちょっとシュールな感じになり矛盾点もあったが、失敗を恐れる事なく力押しで私は新劇特有の大芝居に打って出た。
それが正解だと思ったからだ。
多分この若い男には大上段の芝居についていける素養とスキルが無いと判断したからだ。
演技をしながら私は快楽を感じていた。
私たち二人の演技を至近距離で他の多くの役者が観ていた。
久しぶりに、まるで舞台の上で舞台俳優として、ステージを披露している快感があった……!
若い男は審査員に肩を叩かれた。
失格の合図だ!
喰ってやった……!
ベテランをなめるなよ。
彼の顔は青ざめている。
即座に背後から二人の黒服が近付いて来て、狼狽する若い男を取り押さえ別室へと連行していく。
……あの別室の先で失格者が待ち受けているものとは何だろうか?
恐らく無事では済むまい……。
私は同時に、人には言えないある種の快感めいたものを覚えていた。
『合法的な他殺』とでもいったところだろうか……!
かつては月九ドラマやトレンディドラマの主役も経験した事のある茶啜春樹(ちゃすすりはるき)は、はなっから芝居する事を放棄し、シャンパングラス片手に列席する女優を口説きにかかっている。
中にはポルノ女優の木ノ下いっきの姿もあり、彼の口説きにうっとりとし、赤いドレスの中で肉体をくねらせて笑っている。
私生活でもプレイボーイとして数々の浮き名を流している茶啜だが、本当に性の化け物だなこいつは。
いや、これも演技なのか?分からない。判別出来ない。
会場の列席者の中に、保藻尾田(ほもおだ)の姿があって私は大変びっくりした。
彼は死んだはずでは?
衆道(同性愛)が死刑になる法律が出来てから久しい。
ははあん。
司法との裏取引があったな。
つまり、保藻尾田は死罪を免れるために、このオーディションに参加したと見て良い。
確かにトリッキーなキャラは一人くらい会場に混じっていると展開も豊かになる!
保藻尾田は演技相手を探しているようだった。
よし。面白い!
私は波に乗っている!
応じてやろう。
私は保藻尾田に声をかけ、審査員にアクトトークンを渡した。
私は第一声を発した。
「ヨォ、貧乏神」
「な」
「この街にまだいるつもりかよお前」
「あんたは何だ、失礼だな!」
「うるせえよカマ野郎」
保藻尾田は動揺し、今にもオカマ言葉を発しそうだ。
脂汗をかいている。
「ウチの組から抜けてスナックのママになろうとしてたそうじゃねぇか。そんな事が許されるとでも思ったのか?テメエは!」
「あた、私、私は、まともな職に就きたかっただけだ。もうヤクザ稼業はまっぴらごめんなんだよ!」
ヤクザなのに『私』はおかしい。早くも保藻尾田にマイナスポイントが下されただろう。
「ホホォ。それでテメエが選んだ道が場末のスナックかよ。つくづくオミズの道から離れられねぇみてぇだな」
「上納金はアブラギ組にしっかり渡すよ!渡すから許しちゃくれないかい?この私を!」
「カネの問題じゃねえ。ケジメの問題だ」
「どうするつもりだい?」
上手い事演技が噛み合って来た。
テンポが良いなと演じながら私は思った。
この勝負、好勝負だ!
「指ィ詰めな」
「それだけは勘弁しておくれよ」
「駄目だね。指は組頭に渡す約束をしてある。もう遅い」
「ひぃっ!」
「ドスならあるぜ~」
私はテーブルの上のナイフを取り、保藻尾田の手を引っ張りテーブルの上に置いた。
抵抗する保藻尾田。
「泣いたり喚いたりするとその分出血するぜ!」
「やめとくれよぉ!」
「まあもっとも、その方が俺は楽しいが、な!」
「許しておくれよぉ!」
「三つ数えろ」
「ひぃ」
「サン、二ィ、イチ、ゼロ!」
「ひぃっ!」
私はナイフを振り下ろし、寸止めした。
「……終わりです」
演技は終了した。
終わりです、で最後の動揺を相手に与えるまでが私の演技プランだった。
私はナイフをテーブルの上に丁寧に置いて、保藻尾田に微笑みかけた。
彼はまだ最中にいた。
小指ではなく、肛門の辺りを押さえていた。
審査員が近寄って来た。
……どっちだ!?
審査員の手が保藻尾田の肩を叩く。
そして別室へと連行していく。
やった!
二連勝!
俳優を辞めて十一年。
まだまだ私はいける。
くそう。
何で辞めたんだろう?
勿体なかったな。
私は勝利に酔いしれていたが、同時にまたムカムカと胸の奥でひどく不快な何かが込み上げて来るのを自覚した。
ツヅク
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