船が泳ぐ

堀川士朗

第1話


 「船が泳ぐ」(第一話)


          堀川士朗



……。

……………………。

……オーディションがある!



私は色めき立った。

スーツ着用との事だった。

俳優を辞めていた私は、ポストに入れられたその案内を見てオーディションに参加する事を決意した。

新国劇場の座つき俳優で十五年やり、役者を辞め今は製造業の仕事をしている。

自動車製造に使う小さな部品を扱っている。

大変地味な仕事だ。

誰にでも出来るそれは、私にとって充分過ぎるほど退屈で冗漫な地獄の余生だった。



十二月二十日。

夜。

二十時。

寒い。

豪華客船に私は乗船していた。

一張羅のスーツを来てきた。

一応クリーニングしてある。

客船内の会場。

集まった二百人以上の役者たちは熱気を放っていた。

ここには一切の窓がなく、水面は見えないが、もうとっくに客船は出港しているのだろう。

微弱な揺れがそれを伝えていた。

沖合いを離れて久しい。

だが、誰もそれを何とも思っていない感じがした。



広い会場には、これだけの人数に対応出来るかのように豪華な食事が数基あるテーブルの上に置かれていた。

ちゃんと正装の給仕もいて、シャンパンやオードブルなどを次々と役者たちに振る舞っている。

酒類の監修は世界一のソムリエ、田代精一との事だった。

一見すると有名人の受賞パーティー会場のように思えるのは、私が過去何度かそういった場所に居合わせたためだ。

過去の栄光。

カコノエイコー。



ファイブピースバンドユニットの『東豹事件』の生演奏がこのオーディションのオープニングだった。

ヒット曲『華麗なる私たちは』を披露した。

ジャジーな演奏だ!

拍手喝采。

バンドのメンバーは一礼して会場を後にした。



私たちは全員、一人につき三枚の小さなトークンを渡された。

『アクトトークン』と説明があった。

演技に入る際に、審査員にこれを渡し、それから審査の演技を披露するというシステムのようだ。

つまり少なくとも三回は勝負する事が出来るのだ。

それ以上の説明は無かった。

アクトトークンは海のような深い青色をしていた。

私はそれを手の中で握り締めた。



船特有の、重油のような匂いがどうしても入ってきて私は豪華な料理を目の前にしても、手をつけたいという気持ちにはなれなかった。

私はしばらくこの会場にいる役者たちを値踏みするかの如く眺めていた。



突然、つんざくような大声が会場中央から聞こえた。


「分かるかっ!山道で熊に遭遇した五才の息子が、わー!クマ・モンだーって駆け寄って、熊に息子をむざむざと殺された親の気持ちがあんたらに分かるかーっ!」


と涙ながらに熱弁し熱演している小太りの中年男がいる。

確か大衆演劇出身の俳優、高城タブーだ。

テレビドラマでも味のある脇役としてチョボチョボ起用されている。

気持ち。

いや、分からないよと私は思った。

そんな、親の気持ち。

状況が特殊すぎる。

失敗だな。


高城タブーはうううと泣きながら床にうずくまった。

大衆演劇特有の熱演がわざとらしい。

コロコロした身体なので、うずくまるとここからだとほぼ完全な球体にも見える。

笑える。


高城タブーは演技の整理が全くついていず、パニックを起こしているようにも見受けられた。

明確な理論に裏打ちされた演技をせず、異質な方向に逃げてしまったのはけだし違うなと私は思った。

高城タブー。終わったな……。


案の定彼は審査員に肩を叩かれた。

失格の合図だ!

早くも三枚の『アクトトークン』を使いきってしまったのだ!


高城タブーは最後に、テーブルの上に置かれたロブスターを手掴みで千切り取り、汚く口に運んでクチャクチャと咀嚼した。


「あーあーダメだこりゃ!最期の晩餐の人造ロブスター、ちーっとも美味くねぇーなぁーっ!」


高城タブーは背の高い二人の黒服に両肩を掴まれて別室に連れていかれた……。

あの先には何があるのだろう?

地獄か?



そしてまた何事もなかったかのように、船の中に賑わいが戻った。


闘いはまだ始まったばかりだ。



            ツヅク


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