第3話 ケモノの決意
ケモノの肩の上から右往左往する兵士達を見下ろすと、まるで自分が万能の力を手に入れたような気持ちになった。
けれど湖に投げ入れられた兵士のひとりが濁った水面から片手を出し、もがいたすえに沈んでいくのを見て、あわてて指差し、叫んだ。
「あの人を助けて!」
ケモノは不満そうに小さくうなった。
「ケモノ生みは人を助けるために存在するって、おじいちゃんが言っていました。だって戦ったら、ケモノが勝つに決まってます。人と戦ってはなりません!傷つけてはなりません!」
私はケモノの肩をまたぐようにして、頬の毛に両手でつかみかかり、びくともしない頭をぐいぐい引いた。
「はやく!あの人を助けてってば!」
ケモノはしぶしぶ湖に進み入り、ケモノにとっては腰の深さほどの場所に沈んでいた兵士を片手で掬い上げた。他の二人は自力で岸に上がって咳き込んでいる。その横に助けたひとりを転がし、ケモノは私を肩にのせたまま歩み去ろうとした。
「待ってくれ…ケモノ生みよ…ごほっ」
湖から這い上がり、全身どろまみれのジェスが、よろめきながら追いかけてきた。
「その巨大なケモノを連れ、少女を連れ、どこに逃げる気だ?ブローヌは必ず大軍でこの山に舞い戻り、あなたたちを捜索する。
ジェスの訴えをケモノに同化して聞いているのか、近くの森に隠れたケモノ生みが聞いているのか、ケモノは立ち止まった。
雪に閉ざされるはずのこの山で、私が一緒にいては足手まとい…たしかにそのとおり。なによりブローヌに見つかったのは私のせい…
「ケモノ生み様。私を彼らの元に置いていってください」
本体に戻っていても聞こえるように大きな声で言いながら、眼下を見回した。別れる前にひとめ彼の姿を見たかった。けれど私のしぐさに、はっとしたのか、何人かの兵士がケモノ生みを探そうと森に駆け入ってしまった。
「ああ…ケモノ生み様。どうか見つからないで。逃げて…」
私はケモノの毛を握りしめた。
「ケモノ生みがケモノを消さずに離れられる距離は150歩ほどだ。ケモノを中心に四方に広がって探せ」
ジェスも気づいて兵士たちに指示を飛ばしている。そしてケモノの足元に立ち、両手を広げた。
「ケモノ生みよ、逃げる前にその子を下ろせ!ケモノが消えたら落ちるぞ!」
ジェスは本当に私を心配し、もし落ちたら受け止めようとでもしているかのようだった。ケモノ生みがその気になれば、ケモノの一歩で踏みつぶされてしまうのに。
ブローヌ王の
私がそう思ったとき、ケモノが体をかがめてジェスをもう片方の手で掴んだ。
「うわーっ!」
握りつぶされるか、もう一度湖に投げられるか、そんな恐怖に悲鳴をあげたジェスを、ケモノは体を起こしざま、私とは反対側の肩に乗せた。それに気づいた兵士が、ジェス様!とまたしても右往左往しはじめる。
「お、お、俺を人質にでも取ったつもりか!?」
肩の上は二階屋の屋根ほどもあって、それは恐ろしい高さだ。毛皮にしがみつき、かろうじて勇ましい声を出しているジェスの震える体を、すこしは慣れた私はケモノの後頭部ごしに小気味よくのぞき見た。
「ふふ、これでケモノ生み様を捕まえても、ひどいことはできませんね。ケモノ生み様って頭が良いわ」
「ひどいことなどするつもりはないのです、ペルラ殿」
「なら、どうやってケモノ生み様をブローヌに連れて行こうというのです」
「それは我が国の状況をご説明し、納得いただいて…」
「状況って?」
「隣国デルルクがケモノ生みを召し抱えたと、我が国に通告してきたのです」
「わざわざ?」
「我が国からの侵略へのけん制です」
「そういうの、自業自得って言うのでしょ?」
「しかし、我が国もケモノ生みを召し抱えれば、力は均衡して安易な戦いは避けられます。今のままでは我が王は、デルルクのケモノどれほどのものかと、斥候部隊を突撃させかねません」
ケモノがウウとうなって、近くのひときわ高い大木に近寄った。枝に木箱がひっかけてあり、爪の先で器用に中からなめし皮を取り出したケモノは、手のひらに広げて私とジェスに示した。
それを見たジェスが体を乗り出して落ちかけ、ケモノの首にしがみついた。
「なんと、地図だ!それも空飛ぶケモノに乗ったケモノ生みが作り、大金と引き換えに売っているという噂の…我が国にも一枚、秘蔵されているのを見たことがある」
その地図には見たことのない形が描かれている。空から見る世界はこんなふうなのだろうか。目を凝らして、私も肩から落ちそうになり、慌てて毛をつかんだ。
「え?なら、そのケモノ生みも同じひと?ケモノを育てなおしたってこと?」
そしてケモノが地図のあちこちを差し、今いる山岳地帯と、ブローヌの場所をジェスに確認した。
「ブローヌの場所を知らないとは、あなたは、この地図の作者ではないということか?」
つぶやくジェスに、ケモノは小さく頷いた。ならこの地図をどこで…と聞く間もなく、ケモノは、その胸と、地図を指して、ブローヌに行くことを私たちに示したのである。
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