第4話 ケモノの選ぶ道

「ペルラ殿は本当の本当にケモノ生みを見たことが無いのですね!?」

「ほんとのほんとです!」


 ケモノは私たちを両肩に乗せ、ブローヌに向けて山道をくだりはじめた。私とジェスがケモノの頭の両側で声を張り上げるものだから、とうとう、うなりながら首を振った。うるさい、というように。

 ジェスは機嫌を損ねてはならないと思ったのか口をつぐんだ。


「ごめんなさい、ケモノ生み様」

 小声で謝ると、ケモノの指先が私の足の裏を器用にくすぐった。


 ふりむいて見おろすと、ジェスが連れてきた兵士たちが、親鳥に従う小鳥のようについてくる。ケモノの足に追いつくため皆、小走りで、ときどき転ぶ兵士の姿に、いい気味だわとほくそ笑みながら、同じように転びながら逃げてきた山道を思い出した。最後は湖に阻まれたあの道は、もともと山の上の集落を抜け、この道に続いていたのだと思う。


「今この時もケモノ生みは森の中に隠れながら、付いて来ているはず。よほど走るのが速いとしか…」

 ジェスが困惑した声でつぶやいたとき、ケモノの大きな口の端がふっとほころんで、牙が見えた。


 笑った?


 はっとした。私たちの会話をうるさがり、ジェスの言葉に反応した。ケモノ生みが同化しているからだ。けれどケモノ生み自身が移動することと、自分の体が動かなくなる同化をいちどきにできるはずがない。


 このケモノ生みは普通じゃない。ケモノ生みのおじいちゃんを見ていた私にはわかる。

 このことは秘密にしなければ!


 私は自分に言い聞かせた。



 ふもとの小さな集落に着くと、住人たちは丸太でできた山の民らしい家屋の窓からおそるおそる私たちをのぞき見ていた。山の斜面を降りてくる巨大なケモノの姿に気づいて、だいぶまえから恐れていたのかもしれなかった。

 さらにくだって町に着き、ブローヌ兵たちは預けた馬を引き取るため宿屋に向かい、ケモノは私たちを肩に乗せたまま、町のはずれに立ち尽くした。建物の中や影からケモノを見る、たくさんの視線を感じる。


 そのとき、白いひげをたくわえた老人がこちらに近づいてきた。うしろに武器を持った男達を二十人ほど従えている。

「貴公らはケモノ生み様をブローヌにつれていくおつもりか?」

 老人はケモノの肩の上にいるジェスによくとおる声で問いかけた。


「ケモノよ、降ろしてもらえないか」

 ジェスが頼むとケモノはあっさりと彼を老人の前に下ろした。

 

「わしは山の部族のおさ、ローと申すもの」

「ブローヌの近衛このえ、ジェスと申します。この度は我らの通行を看過かんかいただき、御礼申し上げます」

 丁寧な言葉で会釈したジェスに、老人は厳しい一瞥を投げかけた。

「ケモノ生み様は、この土地で生まれ、この土地の人々のためにここにおられる。よってブローヌに連れて行かれては困る、とお伝えにまいった」


 ジェスは一変して老人を威嚇するように顎を上げ、肩を怒らせ背を反らせ、泥にまみれた装束は、修羅場から生き延びたかのような凄味を付け加えた。

「それはブローヌに敵対するということだが、覚悟の上か?」

「ケモノ生みを持つ国は決して他国に攻め落とされぬと聞く。そも、悪評高いブローヌにケモノ生みを差し出しては、わが部族がそしりを受けよう。ケモノ生みを置いて、この土地から立ち去っていただきたい」


 ジェスが一歩、踏み出した。

「なら、まず私を切ってみろ」

 彼は剣を持っていないのに、恐れを見せず胸を突き出した。

「ケモノ生みよ!私が切られれば、戦端が開く。山の民のために、おしよせるブローヌ軍を迎え撃つのか、山の民と決別し、ブローヌに行くのか、考えておけ!」

 ジェスは前を見据えたまま、大声で言った。


 老人は明らかにうろたえ、彼の後ろの男達も人を切ったことなど無いと見えて、ぎこちない手つきで剣や斧を握りなおしている。

「ジェス様!なにごとです!?」

 馬を引き取った兵士たちが戻って来て、ジェスと対峙した山の民の一群を、剣を構えて遠巻きにした。


 ケモノ生み様が山の民の味方になって、ここで戦争を始めたらどうしよう…

 

 緊張にケモノの首の毛を握った。 

 このケモノなら、ブローヌ軍にも太刀打ちできるのだろう。けれど彼らがあきらめるまで、何人もの兵士を殺さなければならない。白い毛皮が真っ赤に染まるまで。


 ブローヌ兵にケモノを見せてしまったのも、ケモノ生み様が逃げられず、ブローヌに行くことになったのも、私のせいなのに…


 老人の後ろから、中年の男がケモノの顔に向かって叫んだ。

「ケモノ生みよ。山の上の離れ里から降りてきたのを川上の集落のものが見ておったぞ。あんたも山の民のひとりだろう、この兵隊たちを追い出してくれ!」

 それを聞いたジェスが、ふっと肩で笑った。

「離れ里か。山の民と言っても、交流が無い部族だったのではないのか?同朋とは名ばかりではないのか?」

「いや、そんなことはねえ!昔、おれらは同じ部族だったはずだ!」

「あなたたちは離れ里とやらのありさまを知っているのか?離れ里の人間を最後に見たのはいつだ?」

 ジェスは皮肉な言い方をした。町の男達が顔を見合わせて、首を振ったり、かしげたりしている。この町の人々はあの集落が水に沈んだことを知らないのだ。


 ジェスは、どこかに隠れているはずのケモノ生みにではなく、私に向かって言った。

「ケモノ生みよ。あなたは私の兵士ひとりの命さえ失わせず、助けた。我らがあなたをお連れするのは、戦いのためではない。力の均衡を保つためだ。もういちど、それを思い出してくれ」

 山の民たちの視線が私に注がれ、驚いたことに、彼らは私をケモノ生みだと勘違いしていることに気づいた。ジェスはそれを利用し、彼とてケモノ生みの姿さえ見ていないことを隠そうとしているのだ。


 知られたら町の人々が総出でケモノのまわりに散らばり、ケモノ生みを探しにかかるかもしれない。


 私はケモノの肩の上に立ち、ケモノの耳に顔を近づけ、ささやいた。

「ケモノ生み様、山の民を大事に思うなら、なおさら、ここを立ち去るべきです。私は、あなたが望む限り、おそばにおりますから」


 ケモノ生みは山の民が「離れ里」と呼ぶ集落で、仲間を失い、浮き上がる死体を墓に埋めるだけの日々を送っていた。私を助けて面倒を見てくれていたのも、ブローヌに行く決意をしたのも、その孤独を私が埋めたから。山の上での日々は私にとって夢のように幸せだったけれど、ケモノ生み様もそう感じていたはず。ケモノ生み様は私が好きで、必要なの!


 私はその「おもいあがり」に賭けた。


 ケモノは町の奥に青い目を向けた。その遠い先にブローヌがある。

 ケモノはジェスをつかんで元通り肩に乗せると、その方角に向けて歩き始めた。



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