第2話 ケモノの怒り

 湖で助けられてから何日も経つのに、ケモノ生みは全く姿を現さない。まるで人である彼の方が、人を避ける野生動物みたいに。それなのにケモノは、たいてい私のそばにいる。


 助けられた次の日、私が「ケモノ生みの孫としてブローヌ国に売られ、運ばれる途中で逃げたのです、ここにいさせてください」と頼むと、しぶしぶ頷いてくれた。そして毎日ケモノが木の実や魚などの食料を運んできてくれる。私がおいしそうに食べると、ケモノは目を細めて私を眺める。

 まるで私がケモノに飼われているペットみたいだ。


 そんなちぐはぐな暮らしだけれど、とても穏やかで、幸せなのだった。


 ひとつわかったのは、ここはもともと湖ではなく、洪水か何かでケモノ生みの暮らしていた村が沈んでしまった場所らしいということ。

 数体の水死体が浮きあがり、ケモノが悲しそうに墓を作るのを見た。

 悲劇が起きたのは、この夏のことだと思う。死体は新しく、流れ着く樽や、布などは、腐っていないから。


 ケモノ生みは、その悲しみのために、私に会いたくないのだろうか。


「ケモノ生み様は私がここにいるせいで、隠れながら生活してるのですよね。私がいたら、迷惑ですよね」

 ある日、ケモノに問いかけてみた。 

 ケモノは首を振った。そして小山のように大きな体を丸めて、指先でいちど私の頭をなでた。分身であるケモノのしぐさに、私はケモノ生み本人の優しさを感じる。同時に、隠れている不便さや、ケモノに乗り移っている時、抜け殻になっているはずの彼の体が心配で、ため息が出てしまう。


 その日も、ケモノは食料を求め山の中に入って行った。どこかでケモノ生みに合流するのだと思う。

 私は流れ着いた服や布を洗濯して干す作業をはじめた。冬になったらきっと役立つだろうから。

 今年の夏はとても暑かったけれど、山の上を吹く風は、どんどん冷たくなってきていた。



「おまえがペルラか?」

「きゃー!」

 突然、背中から声をかけられて、悲鳴を上げた。いつのまにか後ろに立っていた兵士が顔の横に剣を突き出していた。服に見覚えのあるブローヌの兵士だ。その兵士以外に何人もの人影がある。

「ケモノ生み様!」

 叫んでしまって、とんでもない間違いを犯したことに気づいた。兵士の顔色が変わり、十人ほどの兵士がわっと飛び出てきたからだ。両手をつかまれ、後ろに回された。


 少し偉いらしい、身なりの良い若い男が目の前に立った。

「湖に飛び込んだあなたを巨大な怪物が食った、と報告を受けました。やはりケモノ生みのケモノだったのですね」


 なんてこと!


 ケモノが私を助けた時、私を護送していた追手の兵士は、私が怪物に食べられたと勘違いしてブローヌに帰った。それはケモノ生みのケモノだったのではないかと、この男達が探索に来てしまったのだ。


「ペルラ殿。私はブローヌ王の近衛、ジェスと申します。ぜひケモノ生みと我らを引き会わせていただきたい。あなたが我が国に来ることを拒み、逃げ出した理由はわからぬでもない。我らはケモノ生みさえいれば、あなたをマデラ国にお返しします」


 こういう時のために、ケモノ生み様は私に姿を見せなかったの?

 ていねいな言葉を使ったって、ケモノ生みが出てきたら、取り囲んで武器で脅して連れて行く気に違いない。

 ケモノを使えば、こんな男達やっつけられる…でも、彼を戦いに巻き込みたくない。


「無理です。わたしケモノ生み様を一度も見ていません。ケモノしか」

「ケモノを使ってケモノ生みがあなたをここにかくまっていたということですか」

「はい…」

「なら仕方ない。あなたを連れて行くまで。おい、この娘を縄で縛れ。背負って山から降ろすぞ」

「そんな…」

 つかまれた手を振りほどこうとしても、兵士の力にはかなわない。もがく私をジェスは落ち着いた目で見つめた。

「ケモノ生みに助けを求めてはいかがですか?」

 私は口をつぐんだ。

 彼らの目的はもちろん、私よりケモノ生みだ。


 縄をかけられるにまかせていると、うわーっと、男の悲鳴が聞こえた。

 ケモノが木立の前で兵士をひとりずつ両手につかみ、仁王立ちしている。大柄な兵士をしてもケモノの大きさはけた違いで、手の中で彼らが振り回す剣は役に立っていない。そもそもケモノは生き物ではないから、死なないのだ。


「ケモノ生み様!出てきちゃだめです!」

 大声で叫ぶと、ジェスが私の縛られた体に片手を回し、首に剣をつきつけた。

「ケモノ生みよ、我らと共にブローヌにご参上いただきたい。さすればこの少女は故郷に戻すとお約束します」


 ケモノは目を吊り上げ、牙を剥き、見たことも無い怒りの表情でジェスを睨みつけ、手の中のふたりを湖に放り投げると、私とジェスに向かってきた。まわりの兵士が踏みつぶされまいと逃げまどう。

「やめろ!ケモノを近づけるな!この娘がどうなってもいいのか!?」

 そんな脅しはものともせず、ケモノはあっという間に私とジェスを両手でつかんで引き離し、ジェスを湖に放り、私の体にかかっていた縄を爪で断ち切り、自由になった私を肩にのせた。


 ようやくわかった。

 ケモノ生みは一国の軍隊に匹敵するという言葉の意味を。

 

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