井上さんと楠本さん
村崎愁
第1話 楠本さんの名前
とある介護施設の話だ。
井上さんというお婆ちゃんが入所していた。
井上さんにはお気に入りの介護者がいて楠本さんという。
いつも何かあるとナースコールで「お姉ちゃんお姉ちゃん、あのお姉ちゃんを呼んで」と他の介護者に声をかけていた。
楠本さんも井上さんの事が気に入り、いつも丁寧に介護をしていたが一つだけ不満がある。
それは名前を覚えてもらえないこと。
どうしたら井上さんに名前を覚えてもらえるのだろう。
楠本さんはそればかり考えていた。
「井上さん、私は楠本ですよ」毎日声をかける。
それでも井上さんは「お姉ちゃん」と呼ぶ。
楠本さんはネットで「名前の覚えられ方」を調べ、実行した。
それは、井上さんが目につく所に名前を書くという簡易なものだ。
井上さんの一番身近な物。それはティッシュ箱。
楠本さんは早速出勤してすぐに井上さんのティッシュ箱に「楠本」といくつも書いた。
それを井上さんは不思議そうに見ている。
井上さんはティッシュを沢山使うので、一週間も経てば覚えてくれるだろう。
そうして一週間が経った。
楠本さんは緊張と弾む心を抑え、井上さんにティッシュ箱を指差し聞いた。
「井上さん、私の名前は何といいますか?」
井上さんはティッシュ箱をちらりと見て、答えた。
「鼻セレブ」
井上さんと楠本さん 村崎愁 @shumurasaki
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