第2話 成人の儀 試練

「しんっっど!」

 二人がエーテル山に入り既に三時間が経過していた。

 それほどの時間をかけていながら二人が現在いるのはおよそ中腹に位置する場所。なぜ二人が未だそこまでしか進んでいないのか、それはエーテル山に巣食う多数の魔物の存在だった。

「文句言わないでください。私達に課せられた試練がこれなんですから」

「……わかってるよ」

 エリスの言葉にアルトリウスは不貞腐れたように言葉を返す。

 双子に与えられた成人の儀の試練。それはエーテル山頂上まで踏破し、頂に君臨する山の主を討伐することだった。

 それに際し、主以外の魔物の討伐は試練の範疇にはないということにはなっている。しかし、無視した結果後々数が増えてまとめて相手するのも厄介なため、襲いかかってくる魔物は全て斬り伏せてきた。その結果がアルトリウスの嘆きとも叫びとも取れる声だった。

「ここ最近、魔物が数を増やしたり変に強い個体が現れたりしてる。その原因が山の主だって話だからな。どのみちやれるやつがやらないと、これ以上被害が増えるのも面倒だし」

「わかってるのならいいのです。……さて、そろそろ休憩もこの辺にして先に進みましょうか」

 エリスがそう言うとアルトリウスは重い腰を上げ、立ち上がった。

「……んしょっと。あと半分くらいだしな。ささっと終わらせてさっと帰るか」

「はいっ!」

 エリスが元気よく笑顔を輝かせる。それを見て先へ進もうとアルトリウスが足を踏み出した次の瞬間。 

「――! エリス……っ」

「わ――」

 草木を掻き分け、音もなく魔物が姿を現した。

 僅かに早くそれを察知したアルトリウスは咄嗟にエリスの腕を引き抱き寄せ、魔物の強襲からかろうじて逃す。

「大丈夫か」

「は、はい。助かりました」

「そりゃよかった。じゃあ逃げるぞ」

「え?」

 妹の返事を待たずに、アルトリウスはエリスを抱き抱えその場から急いで離脱する。

 魔物の姿を見るや否や逃走を選んだアルトリウスの判断は間違いではなかった。

漆黒と灰色の体毛に覆われたおよそ二メートル強ある巨躯。それでいて接近を察知させないほどの速度。人体など簡単に裂けるであろう強靭な筋肉に覆われた前足と爪。特徴から察するに、山頂に巣食い、アルトリウスたちが討伐を命じられたエーテル山の王――フェンリル。

今の二人の実力では、正面からやり合っても万に一つも勝ち目がないのは明白だった。

「兄さん! 絶対追いつかれますって!」

「安心しろ! 俺は逃げ足の速さには自信があるんだ!」

「安心出来ませんっ!」

 兄の不安たっぷりの言葉に苦言を呈す妹。絶体絶命のピンチでありながら冗談や軽口を言えるのはアルトリウスの長所ではあるものの、少しは時と場合を考えてほしいとエリスはアルトリウスの背を叩く。

「痛い痛いっ。……ッ、エリス、魔法!」

「はい! ――……」

 フェンリルの追撃を察知した銀髪の剣士は牽制のために妹に魔法行使を一言で頼み込む。その声を聞いたエリスは即座に詠唱を始め、担がれながら構えた両手に魔力を収束させる。集められた魔力の塊は徐々に熱の球体へと姿を変え、解き放たれる。

「――〈ファイア・ボール〉‼︎」

「あっっっっつ⁉︎ なんで俺に撃つんだよ⁉︎」

「ちょっと間違えました」

 背中に放たれた下位の炎魔法にアルトリウスは悶絶する。威力の加減を考えてみても明らかにアルトリウスに向かって撃ったとしか思えないのだが、先にふざけたのはこっちだったと咎める言葉をグッと押し込める。

「……――」

「次こそは――」

 兄の複雑な表情とは裏腹に、妹はやってやると言ったような意気込んだ表情で魔力を溜める。

「頼んだぞ……」

 背中の火傷の痛みを頭の隅に置いておき、妹の一手に期待を込める。現状、フェンリルのスピードに反応出来こそすれ迎撃することはできない。それができるくらいの力はアルトリウスにはないのだ。そのため、アルトリウスの持たない遠距離攻撃の手札を持つエリス頼みとなっているのだが。

「……どこにいる……?」

 山中を駆け抜けている今の状況。

フェンリルの強大な気配や猛烈な殺気を全身に感じていたアルトリウスだが、その姿は一向に見えてこない。すぐ真横、すぐ真後ろにいるのではないかという錯覚に陥ってしまうほどにエーテル山の王の接近は察知しているというのにだ。

「エリス、見えないか!」

「少なくともこっちからは何も……」

「そう――……っ!」

 言葉を返そうとしたその瞬間。走るアルトリウスの目の前を掠めるように燃え盛る火炎が真横から飛來した。すんでのところで踏みとどまったアルトリウスはなんとか直撃は避けられたものの、エリスを抱えていたのもあってバランスを崩しその場に倒れ込んでしまった。

「――ってぇ……平気かエリス」

 自身も立ち上がり、尻餅をついている妹に手を差しだす。

「はい、私は平気です……でも」

「……ああ、まずいな」

 アルトリウスは剣を構え臨戦態勢を取りつつも、陥っている状況の悪さに嫌気がさす。そも、どうやってあの黒狼から逃げ果せようか。移動速度にも大きな差がある上に、相手はこの山の主。完全に相手の土俵の上だ。

「おいデカ狼! 大切な山を傷つけていいのかよ! これじゃ辺り一帯大火事、だ……」

 意思疎通が図れるのか知る由もないが、大声で叫んで動揺を誘う作戦に出る。アルトリウス自身馬鹿げた作戦だと自覚しているものの、やれることは全てやらなければ生きて帰ることはできない。

「…………?」

その思いで火炎の爆ぜた先に視線を送ると、火の手ひとつも上がっていないことに気づく。どういう原理か、フェンリルが放ったであろう灼熱は山の自然を破壊しないようだった。

「来ますよ兄さん!」

「あ、ああ」

 エリスに言われてハッとし意識を戦いに引き戻す。今は理屈のわからないものを考えて思考を割くよりも、襲いくる敵に集中する方が得策だ。

「――」

 エリスと背中合わせに全方位どこに来ても対応できるように構える。

静寂の中にある確かな緊張感。猛獣の縄張りに入ってしまった草食動物が味わっている恐怖がまさにこのようなものだろうと実感する。しかし、アルトリウスたちはただの草食動物ではない。武器を持ち、抗う覚悟を胸に抱いた『冒険者』だ。

「――――来る!」

 アルトリウスがそう叫んだのと同時に、獣の雄叫びがエーテル山に響き渡る。

「ガルァァッ!」

 木々を掻い潜り疾風の如き速度で現れたフェンリル。縦横無尽に駆け回り、跳躍したフェンリルの鋭爪がエリスに向かって放たれる。

「ふ、ん……ッ!」

 瞬時にアルトリウスが前に出て剣を水平にフェンリルの奇襲をかろうじて弾く。不意打ちを防がれた山の王は空中で無防備になり、その隙をエリスの魔法が追撃する。

「――〈ファイア・ボルト〉!」

 矢の形状で形作られた炎の魔力が空中に投げ出された狼の頭蓋に飛んでいき、撃ち抜く。

 撃たれたフェンリルは力無くその場に落ちた。

「……やり、ました?」

「ああ、多分……」

 存外にあっけなかった決着に拍子抜けだったものの、妹の言葉に頷きアルトリウスは動かなくなった狼に近づく。

「……赤い……?」

 フェンリルの身体を埋め尽くす体毛の色が最初に見た黒ではなく赤だった。

 一体どういうことなのか。よく見れば体長も一回り小さくなっているように思える。それらの情報から恐らく別個体なのは確実だが、感じた気配や存在感は確かに最初に遭遇したフェンリルと同種のものであったはずだ。

「一体どういう……」

 生まれた謎に首を傾げるアルトリウス。しかしその疑問もすぐに晴れることとなった。

「に、兄さん……!」

「ちょっと待て、今考え――……ッ⁉︎」

 手で制し思考を巡らせようとした瞬間、再び全身に猛烈な殺気が襲いかかった。

 およそ四方向から感じる狩人の視線。直感でまずいと察したアルトリウスは咄嗟にエリスのそばに駆け寄ろうと足を踏み出すも――、

「……ッ、くっそ!」

 それを阻むように地面から土壁がせり上がり、エリスと完全に分断された。

 自身の身に迫る危機よりも先に妹の身を案ずるアルトリウス。焦燥感に駆られ、焦りにより一時的とはいえ正常な思考が回らなくなっていた。

「グルルル……」

「ガルルル……」

 それを待っていたかのように現れる二体の狼。深緑と群青色のそれぞれ一匹ずつ。

「こんな時に……!」

 分断された現状。

 現れた二体の魔物。

 エリスの方にも恐らく魔物の手が回っているはず。その考えが頭をよぎり、一気にアルトリウスの中で苛立ちが目に見えるように増していく。

 焦りと苛立ち、この二つの感情は戦いにおいて最もあってはならないものだ。焦りによって余裕がなくなり、苛立ちによって判断力が割かれる。ましてや、今対峙しているのは一介の魔物では無く、この山を統べる王フェンリル――と思しき魔物。

 さっきは冷静だった上に数的有利だったから難なく倒せた。しかし、現状はむしろその真逆。狩る者と狩られる者、完全に立場が逆転していた。

「――兄さん!」

その時、土壁の向こうから妹の声が耳に届いた。

「こっちは平気です! たった一匹の狼なんかに遅れは取りません! 兄さんはそっちに集中してください!」

「…………!」

 力強くそう言い放つ妹の言葉にアルトリウスはハッとする。

 ここで冷静さを欠いてしまえば、それこそフェンリルの術中というもの。アルトリウスは胸の内でエリスに小さく感謝をした。

「――ああ! 二人で勝つぞ!」

 姿勢を低く、アルトリウスは地面を蹴った。同時にフェンリル二体は二手にわかれ、持ち前の瞬発力で左右に駆け回る。

「ふ――!」

 一方の動きを間接視野で視界に入れつつ、もう一方を狙って剣を振るう。数的不利な戦闘において有効的な戦術は連携を取らせないこと。一方を迎撃し、瞬時に片方へとシフトチェンジ。簡単にいえばその繰り返しだ。

 しかし、そう簡単にことを運ばせないのが山の主たる力だった。

「ゥルァァア!」

 フェンリルの咆哮と同時に大気が刃と化してアルトリウスに襲いかかる。

 風属性下位魔法――〈ゲイル・スラスト〉

 想定外の魔法攻撃にアルトリウスの反応が一瞬遅れ、不可視の刃を数発食らってしまった。その後追撃を避けるため土壁を背にするように後退する。

「魔法使えんのかよ……ッ」

 流れる血が服に滲むのを感じながら小さく舌打ちをする。

 全く考えていなかったフェンリルの手札。しかし、よくよく考えてみれば魔法を使うことに気づくことはできたかもしれない。黒狼のフェンリルから逃げている時に飛んできた炎も、今背負っている土壁も魔法によって作られているものだろう。いや、十中八九そうだ。二つも手がかりがあったというのにそれに気づかなかったとは、それほどまでに冷静さを欠いていたということ。

「……はっ、情けねえなおい」

 自分の失態と憐れな姿に思わず失笑する。

 これから先はもうこんな失敗は許されない。思考を巡らせ、考え得るありとあらゆる可能性を考慮して、二体の魔狼の命を狩る。

「……――」

 アルトリウスは再び、剣を構える。

 二体の魔狼と銀髪の剣士の間に訪れる静寂。アルトリウスの耳に届くのは、風で揺れる木々のざわめきとフェンリルの小さな唸り声。互いに出方を伺い、睨み合うだけの時間が続く。


――その均衡は突如として咆哮と共に破られた。


「ガァァァッ!」

 青狼のフェンリルが放つ氷柱の弾丸、氷の下位魔法――〈ヘイル・バレット〉。高速で飛来する氷の魔法に続くように緑狼のフェンリルが駆ける。

 時間差で襲い掛かる野生の連携。しかし、それを受ける剣士は微塵も動揺などせず――、

「ふん――ッ!」

 想定していた通りの魔法攻撃にアルトリウスは持ち前の剣技で対応。正確な連続剣で氷の弾丸を全て斬り落とす。

剣戟が止んだ隙を突くように、緑狼が追撃に風の魔法を纏わせた爪撃を撃ち出す。

「お前の動きは――――」

 飛びかかるように突進するフェンリルの一撃。

 それに合わせて、アルトリウスは上段から脳天目掛け一直線に振り下ろす。

「――もう慣れた!」

 鮮血が舞い、断末魔すら吐かせず。凄まじい勢いだったフェンリルの身体は真っ二つに切り裂かれた。

 攻撃の手を休めず、アルトリウスの視線はもう一体の魔狼へと移る。見れば、追撃の準備をしていたのは魔物の方も同じようで、すでに空中に氷の刃が形作られていた。先ほどの〈ヘイル・バレット〉より上位の魔法――〈フリーズ・ブレイド〉。

 剣士と青狼の間はおよそ十二メートル。この距離では近づく前に氷魔法で撃ち抜かれる。剣で弾こうにも、物量や威力で押し切られるのは必至。

であれば、残された選択肢は回避し、反撃に移る――

「……な訳あるかよ」

 サファイアの瞳が見据えるのは敵の命を刈り取る自分の姿。思考を埋めるのは、どうすれば最速で倒せて妹の方へ加勢できるか。回りくどく時間を懸けている余裕などありはしない。彼の選択肢には端から『回避』は存在しなかったのだ。

「――――ッ!」

 溢れんばかりの殺意が篭った青海の瞳に睨まれた魔狼は、たった一瞬、刹那とも言える僅かな時間、魔法行使に空白を生んでしまった。

 目の前の剣士の放つ殺気に気圧され、焦り、不完全な魔法を行使させられたのだ。威力にして通常の半分。戦い慣れた戦士であれば、致命的ダメージには決して至らない程度の殺傷能力に留められた氷の刃。

 好機を逃すわけもなく、己へ襲いかかる氷刃を喰らうのを覚悟で、攻めの一手に躍り出る。

「ふん――ッ‼︎」

 アルトリウスは力の限り、その手に持っていた剣を魔狼目がけ投げつける。

 その刃は、氷魔の斬撃を砕き一直線にフェンリルへと突き進む。

 僅かとはいえ恐怖の念を抱いていたフェンリルは、高速で飛来する必殺の刃に反応できるわけもなく。回避すら間に合わず、刀身は脳天へと深く突き刺さった。

「ハッ……、ハッ……」

 ――これが試練。これが成人の儀。

 命を懸けて戦い抜いた先に果たして何があるのか、それは儀式を受けた本人であるアルトリウスにすらわからない。しかし、これを乗り越えれば確実に強くなれる。成長できる。そのことだけは確かだった。

「……エリスは……」

 荒い息を軽く抑えつつ、土壁の先へ意識をやる。

恐らくエリスはまだ戦っている。たった一体といえど、されど一体。それは脅威に他ならない。

いくらエリスが魔法に長けていようとも、勝てる可能性の方が高いと言っても。アルトリウスの妹で、守らなければならない存在なのは変わらない。アルトリウスは重い足取りでゆっくりと土壁のほうへ進んでいき――、

「――は」

 目の前に到着した瞬間。

 前触れも何もなく、地面から迫り上がっていた土壁は音を立てて崩れ落ちていった。

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